1943年11月23日夜、蒋介石は王寵惠(おうちょうけい=蒋介石の部下:筆者注)を伴ってルーズベルトと単独会談を行い、日本が収奪した中国の土地は中国に返還されるべきであるという四項目の要求を提出した。
蒋介石の要求に対して、ルーズベルトはすべて同意した。ルーズベルトはさらに「日本が発動した侵略戦争は中国人の生命財産に大きな損害を与えている。中国の要求は合理的である」と言った。
日本が太平洋で占拠した島嶼(とうしょ)の剥奪に関して話が及んだ時に、ルーズベルトは琉球群島を思い出した。彼は蒋介石に「琉球群島は多くの島嶼によって出来上がっている弧形の群島である。日本はかつて不当な手段でこの群島を争奪した。したがって(日本から)剥奪すべきだ。私は、琉球は地理的に貴国に大変近いこと、歴史上貴国と緊密な関係があったことを考慮し、もし貴国が琉球を欲しいと思うなら、貴国の管理に委ねようと思っている」と語った。
ルーズベルトの提案があまりに唐突だったので、蒋介石にとっては予測がつかなかったし、またどう答えていいか分からなかった。しばらくして、蒋介石はようやくルーズベルトに次のように答えた。
「私はこの群島は中米両国で占領し、その後、国際社会が中米両国に管理を委託するというのがいいかと思います」
蒋介石のこの言葉を聞いて、ルーズベルトは「蒋介石は琉球群島を欲しくないと思っているのだ」と解釈し、そのあとは何も言わなかった。
ところが、43年11月25日、蒋介石とルーズベルトが再び機密会談をした時に、またもや琉球群島のことに話が及んだ。
ルーズベルトは言った。
「何度も考えてみたのだが、琉球群島は台湾の東北側にあり、太平洋に面している。言うならばあなた方の東側の防壁に当たる。戦略的位置としては非常に重要だ。あなた方が台湾を得たとして、もし琉球を得ることができなかったとしたら、安全上好ましくない。もっと重要なのは、この島は侵略性が身についている日本に長期的に占領させておくわけにはいかない、ということだ。台湾や澎湖列島とともに、すべてあなたたちが管轄したらどうかね?」
ルーズベルトが再びこの問題を提起したのを見て、蒋介石は「琉球は日本によってこんなに長きにわたって領有されているため、もともとカイロ会談で制定された提案には、琉球を含んでいない(筆者注:カイロ宣言のために提案した文書の中では、「中華民国」に返還されるべき領土の中に琉球群島は含まれていない。なぜなら琉球は長いこと日本が領有しているので日本固有の領土だと思っていたから、という意味)」と思っていたので、何と答えていいか分からなかった。
ルーズベルトは蒋介石が何も答えないのを見て、もしかしたら聞こえてないのかと思って、さらに一言付け足した。
「貴国はいったい琉球を欲しいのかね、それとも欲しくないのかね。もし欲しいのなら、戦争が終わったら、琉球を貴国にあげようと思うのだがね」
蒋介石はようやくその前の質問のときと同じように「琉球の問題は複雑です。私はやはり、あの考え、つまり米中が共同で管理するのがいいのではないかと……」とあいまいに答えた。
ルーズベルトはここで「そうか、蒋介石は本当に琉球群島が欲しくないんだ」と思った。と同時に、蒋介石のこの反応を不思議だとも思った。
最後にルーズベルトは「米中両国で共同出兵し、占領してはどうか」と持ちかけたのだが、蒋介石はそれでもやんわりと断っている。
――といった内容だ。
東シナ海の地図が決まった瞬間
東シナ海を巡る世界地図はこうして、この瞬間に決まった、と言ってもいい。