hist007
夫が徴用されて(21歳
イ・プンジョさん
(女性 87歳)
足跡:韓国慶尚北道→福岡→川崎→栃木に疎開→川崎

〈九州の炭鉱での仕事ぶりを聞かれて〉
 九州は大きい会社があって、そこによく石炭を山盛りにした車が20台、30台も連なってきた。石炭が落ちてきたら死ぬ、危ない仕事だった。石炭が落ちてできた傷が今も残っている(足の傷を見せてくれた)。石炭がくるくるくるっと落ちてきて、尖った部分が骨のあるところに刺さった。日本人が赤ちんをつけてくれたが、その後もずっと仕事をさせられた。そうしたら、また血が出てきたから、包帯を巻いて仕事をした。(略)
 朝鮮にいた時、日本行きは急に決まった。日本の人はみんな徴兵に行って、国内の仕事をする人がいないからたくさん朝鮮から引っ張ってきた。炭鉱の仕事は朝鮮人ばっかりだった。男も女もいた。給料は少なくて1円50銭だった。日本人はあまりいなくて、たまにいると、同じ仕事をしていても、給料は朝鮮人より多かった。1円80銭だった。

〈終戦直後の川崎で〉
 うちも朝鮮へ帰ろうと思ったけど、切符がなかなか取れなかった。その時はヤミでしか手に入れられなかったから。川崎の駅のキング通りは終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした。うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。向こうのみんなが日本に帰ってきたから、自分たちも帰るのをやめた。今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた呉服屋以外、みんな戦後勝手に振り分けた土地の所有者が代々継いできた店。
 
 
 22名の語り手の方々のことばです:
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!