九十一話 壺の中身は 4
「なんというか……わしはもうちょっと悪魔って奴は賢いものだと思っておったが」
「うん、こないだのマオちゃんの時も思ったけど、世界は割と不思議に満ちてるよね」
「……妖精のお前さんに言われたらおしまいじゃな」
「何をおっしゃりますかカワズさん。希少価値なら妖精より上のくせに。でもうちでご飯をおいしそうに食べている悪魔さんはそれ以上じゃん?」
「大公爵とか言うとったからなぁ。本当ならおいそれと出てくるようなもんじゃないじゃろうよ」
「その通りだ……もぐもぐ。あの壺は持ち主に合わせて悪魔を召喚するのだよ。
ところがなぜか最上位の者どもが軒並み嫌がってな、そこで我にお鉢が回ってきた。
わけのわからぬやつらよ……モグモグ」
「褒めると食いつくんじゃな。……しかしこの悪魔、初対面の時の誰かさんを彷彿とさせるのぅ」
「まだそのネタ引っ張るの! あれは……ちょっとうっかりしてただけじゃん!」
和やかなランチは滞りなく終了し、俺は全員分の食器を片づけてしまってから、今度は緑茶をふるまう。
今日のランチは和食。
すでにここまでの再現が可能と思うと感慨深いものである。
最初を思えば格段の進歩だと思わずにはいられない。
発酵食品を魔法で作り出すのはなかなか骨だったが、その分十分な出来のものが食卓に上っているのだから言う事はなかった。
「お味はいかがでしたか?」
そう尋ねてみると、ガツンと緑茶の入った湯呑を勢いよくテーブルに叩きつけたデビニャンさんは、ほっぺたにお弁当をつけていたが、それ以外はおかしな所もなくものすごく満面の笑みだった。
「うむ! 我はとても満足だ! お前は料理がうまいのだな!」
「それはありがとうございます」
「時にお前は食べんのか?」
「すいません。この間ちょっと病気をしましてね。食欲がないのです」
「む! ならばこの我が直々に癒してやろうか!? 悪魔の治療術は世界一だぞ!」
「すいません。もう治りかけですので」
「そうかー……せっかく役に立てると思ったのだがなぁ」
「ありがとうございます……少し失礼?」
「む?」
俺はそっとデビニャンさんの口元についていたごはんつぶを指でつまむとそれをぱくりと食べた。
「ご飯粒が付いていましたよ?」
「そうか? すまぬな! 普段悪魔はこのような食事はあまりとらんのでな、慣れておらんのだ!」
「キタコレ!」
「なんじゃね!?」
「わかんないかな!? これが異世界からわたって来た萌えと言う名の文化だよ! ああ、今の映像は絶対女王様の所に持って行かなきゃ! 今タロは意識してやったのかな? やったとしたらとんでもねーぜ!」
などとわけのわからない発言が飛び出したが、もったいないからやっただけだ、他意はない。
「うむ……だが飯はともかくだ、本題の方をどうにかせねばなぁ。本当にお前には願いがないのだな。
発言に嘘偽りの気配がまるでない。いうなればまるで聖人のようだ。
かといってただ穏やかな様に見えて、我よりも力が強いとは……色眼鏡で人間を見てはいけないな。お前のような奴は初めてだぞ?」
「そうですか?」
「うむ! 我は人間にこき使われる使い魔の類を小馬鹿にしておったのだがな。
今なら少しだけ理解出来るかもしれない。
認めたくはないが……お前と言う存在に、我は畏怖と同時に尊敬を感じる部分が多々あるのだ!
最初は適当に遊んで、魂をいただこうかと思っていたというのに、これはどうしたことだ?」
「そうだったんですか?」
「うむ。だがもはや隠す気もない。そもそも幻術を掛けた時点で、我の狙いなど明白だろうに。
しかしお前は我を許した。これはそう容易く出来る事ではあるまいよ。
ならば我も対応を改める必要があろう。
我は認めたものは厚く遇する。
悪魔である前に貴族として当然の事だ。
どうだ? おぬし、先ほどの遊びの様な契約ではなく、我とちゃんとした契約を結ぶ気はないか?
我はお前に真の名を明かす、それで我はお前と主従の契約が結ばれるだろう。
本来……これは我ら悪魔にとって最も重い契約だ。
なにせ名を明かした者には絶対服従せねばならないからな。
しかし、お前が他の者と契約するのは我は嫌だ。なら我がもらう他なかろう!」
どうだと出された手の主は、どうやら本気の様であるが、俺は目を伏せて首を振った。
「辞退させていただきます」
「なんでだ!」
やはりこの発言は腹に据えかねたのか、デビニャンさんは顔を真っ赤にして怒っていたが、さすがにそんな真似をさせるわけにもいかないだろう。
「ええっと、俺には絶対服従してもらう理由なんてないですし」
「……そんなことはないだろう? お前は我より上だ。理由などそれだけで十分であろうが?」
「そうでもないでしょう? それに我の物と言うのなら序列が逆でしょう?」
「そうか? 絶対服従と言うのは悪魔なりの敬意の払い方でもあるのだぞ?
悪魔に死はない。だからそれ以外の者との時を貴ぶのだ。
我々にとって上に立つのは当たり前だが、認め敬う物などそう出会えるモノではない。
だから自分がこれと見込んだ者に自らの血の一滴までも捧げ尽くす。
それは血よりも濃い絆となりうるのだ。
人間にもあるだろう? 騎士道とか義兄弟の契りとか?
堅い主従の契約だな。
元はどういう物であったかはわからんが、悪魔はそうやってお互いを高め合い、ともに歩んだ時を誉れとするのだ! どうだ? 憧れるだろう?
中には死後も魂と永遠に共にある悪魔もおると聞く、何とも尊い話ではないかー」
ちょっとだけ夢見る女の子のように瞳に星を一杯に浮かべているデビニャンさんにはどうやら、悪魔として憧れる理想像の様なものがあるらしい。
「結局魂は捕るんじゃん」
と身も蓋もないトンボのツッコミに過剰反応していたのもその証拠だった。
「無理矢理捕るのではない! 譲り渡してもらうのだ! それに願い事の契約などとも全然違う!
あんなものはただの食料調達の様なものだ! 無傷で魂を取ってこれれば、魔力が毎日手に入るからな! 全然違うわ! アホ!」
「アホって言われた……」
「もっとも……最近では小ずるい魔法使いがその掟を利用して、悪魔を自在に操る方法として用いているようだがな。
まったく……身の程を弁えぬにもほどがあるという物だ!
だが我は幸運かもしれぬな! こうして面白い出会いを得られたのだから!」
そして後に続いたのは、思い通りにならない現状への愚痴と、希望に満ちた言葉だ。
「だけど、そんなこと言われても絶対服従は感心しません」
しかし、俺としてはやはりそう言ったことにいつも以上に拒絶反応が出てしまう。
俺が改めてお断りをすると、デビニャンさんは今度はどこか落ち込んだ様子で肩を落としたのである。
そしてどこか遠い目をして呟くように言った。
「……そうか、そうであろうな。お前には我の力など必要ないか。
……だが我は本気だぞ? お前とならさぞや素晴らしい物語りが綴れるに違いない! それこそ世界を統べる物語すらな! まぁ、目鼻立ちはもう少し整っておる方が好みではあるし、言動も心持ち凛々しければ言う事はないが! そこには目を瞑ってもよい!」
「狙う予定はないので、申し訳ありません。そして容姿についてはすいません」
「むぅ……そうか? やはり無欲なのだなぁ。見かけは平凡だが、そのあり方はやはり希少だぞ! 面白いなお前は!」
「ぶふ! それって普段はいいとこないって事だよね?」
「ゲロリ……まぁそう言う事じゃな」
あえてスル―させてもらった囁きに、心の奥底でダメージを受けている誰かがいた気がしたが気にしない方がいい気がする。
それよりもデビニャンさんは無理に元気そうに振舞ってはいたが、かなり気落ちしているのは間違いないようで、俺はやっぱりこういうのは拒んじゃいけないのかなとさっそく後悔していた。
しかし一方的な絶対服従など俺の倫理観では到底許容出来るものではないのだ。
だが、この場でお帰り下さいも少し違う。
俺は考えに考えた。
そして、ある答えを出すと、今度はこちらから手を差し出して言ったのだ。
「主従とかは。俺のいた場所でそう言う考え方が一般的ではなかったので受け入れられませんが、せっかくですので……俺と友達になってくれませんか?」
これが今現在俺に出来る精一杯の所だった。
「……なんだと?」
「上下だけが人間関係というわけでもないでしょう? 名前を渡すのが絶対服従の契約と言うのなら名前は教えないでください」
「……本気か?」
「問題ないのでは?」
だが差し出していた俺の手はぱちんと勢いよく振り払われてしまった。
しかし目をパチクリさせている俺が、どういう態度をとるか決めかねていたのは、たぶんデビニャンさんの顔がどこか楽しそうだったからだろう。
彼女はやっと王様的な最初の調子を取り戻すと、テーブルの上から俺を見下ろし、言ったのだ。
「ふん! だが断る! 我は悪魔だぞ! そんな友人などと生ぬるい関係で満足すると思うなよ! だが……今回は見逃してやろう! うまい膳の礼だ!」
「そうですか」
「それにこうなれば願いを叶えるという契約もあきらめた方がよいのかもしれん。これにはお前の同意がいるが……よいか?」
「ええ、構いません」
「うむ! ならば契約の破棄はここに成った!
だがもし我の助けがどうしても必要だと言う時があるならば呼ぶがいい! お前の付けたあだ名をな!
ひょっとして、ものすごく暇であったなら……戯れに手を貸してやらんこともないぞ?」
最後は少しだけ小さめにそう言ったデビニャンさんの頬はうっすら紅潮していた。
これも彼女なりの妥協なのだろうなと妙に納得して、俺もそれに乗っておく。
「どうもありがとうございます。ああでも、呼ばれなくても遊びに来てかまいませんから」
「ならば! 我が来る時は飛び切りの供物を用意しておくがいい! あとぬいぐるみもな!」
ばさりと背中の羽を一度羽ばたかせたデビニャンさんは踵を返すと、やっとこの時初めてテーブルから降りた。
そのままドアの方に歩いてゆき、最後に肩越しに振り返って、出てきたとき同様八重歯を覗かせて不敵に笑う。
「最後に……お前の名前を聞いてよいか?」
「ええもちろん。太郎と言います」
「うむ! 覚えておくぞ! タロー! そのうちまた会おう!」
高笑いを残して扉の向こうに彼女の後姿を見送り、俺は小さく手を振る。
なんとも面白い方だった。
変な壺はどうやら俺に新たな出会いを運んできてくれたようである。
最後に残された壺に栓をして持ち上げると、俺は目に付く棚に飾っておくことにした。
END
「……」
編集された動画の中にいた男はどこまでも爽やかだった。
しかし言動がなんで一々丁寧語なのだろうか?
いやいや、問題はそこじゃない。何が言いたいかと言えば。
「……誰だこいつ」
俺は意味もなく赤面してテーブルに突っ伏した。
すでに薬の効力は切れ、素面の状態である。
リビングで行われた全快祝い試写会は俺に絶大なダメージを残していた。
「記憶は?」
トンボがニヤニヤ笑いながら尋ねてきたので俺はしばし考えて、ため息とともに返事を吐き出す。
「……ほぼない。今にも忘れそうな奴がぼんやりある気がしないでもないような?」
言葉通り、なんとも幻の様な一日だった。
朝方に見た夢のように儚い記憶に、なんだか頭を無性に何か堅い物に叩きつけたくなってくる。
だというのに映像の中に出てきた自分の、あまりにも邪気のない笑顔はなんだというのだろうか?
そもそもあんな美女に、あそこまで至近距離で迫られて、普段の俺が冷静に対処など出来るわけがないのだ。
ところがどっこい、むしろ余裕すら感じられる対応をして見せた奴はすでに別人である。
ひょっとして、あれが俺の真の力だと言うのだろうか?
……言っていて虚しくなってきた。ありえないわ。
それはまさに無欲のなせる業。
いうなれば普段の賢者モードよりさらに上の、真・賢者モード。
だがきっと普通の状態でデビニャンさんとやらに会っていたなら致命的なミスの一つもしていたことだろう。
「まぁ確実に言えることは……素の状態なら魂持ってかれてたな俺」
「セクシーじゃったからの、あの悪魔。命拾いしたかの?」
「端々であざとかったからねー。やっぱそこは悪魔の面目躍如なんじゃない?」
ゲラゲラと笑うカワズさんとトンボに容赦など微塵もありはしない。
醜態をさらした間抜けは、ただ耐えるのみである。
「いや、でも思ったよりは普通じゃったんじゃないか? むしろ普段の悪行が浮き彫りになった気がしないでもない」
それでもなおカワズさんが追い打ちをかけてくる。
「……やめてください。恥ずかしい。なんだかどうしようもなく恥ずかしい」
だが俺としては反撃する気力なんぞ持ち合わせていないのだった。
「でもあの悪魔、結局何しに出てきたんだろうね? 願いもかなえられなかったし」
トンボは映像を見たせいだろうが、今更ながらに結局昼飯だけ食べて帰ったデビニャンさんに釈然としないようである。
一方カワズさんはそうでもないようだった。
「……そうじゃのぅ。まぁこいつの願いを叶えるなんてのは、なかなか難しいとは思うがな」
「そう言えば帰りは、壺じゃなくて普通に玄関から出て行ったよな?」
俺は映像を思い出して何気なく呟いただけだったのだが、カワズさんはその瞬間何かに気がついた様子でピクリと震えていた。
「……んん? そうじゃな。……いや待て、ひょっとすると」
その時の事を思い出し、不意にカワズさんは何かを考え込む。
「どうした? カワズさん?」
なんとなく気になって俺は尋ねてみたのだが、カワズさんは憶測にすぎんのだがと前置きした上で、口を開いた。
「いや……悪魔なんてのは普通実体を持たんのじゃよ。
精霊やお化けの様なもんでのう。出てこられたとしても何かに憑りついたりと、まぁ面倒くさい。
例外的なのは契約と言う名目の時ぐらいじゃ。
基本的に呼び出された時点で肉体を得て、契約を完遂すると実体を失って魔界へと還る。
だが……見た所、両者の同意で契約が破棄された場合は、その限りではないようじゃな」
「なんだよそれ?」
確かにカワズさんの言うように、デビニャンさんは契約を破棄した後でも消えてはいなかったが。
「ふむ、契約が破棄されたという事は、願いを叶える必要はない。だが完遂ではないので強制的に魔界には戻る必要がない……という事かのぅ? もしくは、破棄された契約の内容に、願いをかなえた後に肉体が消滅するといった類のものが含まれていたとか。そもそもこのような形で決着すること自体が稀じゃろうし。それにお前が付けた変なあだ名……」
「変じゃないだろう。かわいいだろう」
「……可愛いあだ名じゃが。いきなりにもかかわらず、すんなりと受け入れておった。
これは使い魔の話なのだが、召喚主が名を与えて、こちらに存在を定着させるなんて言うのは聞いた事がある。あやつ、ひょっとしたら呼び出されたのをいいことに、こちらに留まる方法を探っておったのかもな」
「……だからどういう事なのよ?」
勿体つけるカワズさんにじれてきた俺は急かす。
するとカワズさんは、もったいつけた割には簡単に言った。
「ちょっと強めの悪魔がこの世に解き放たれたと、そう言う事じゃないかの? うまくやりおったの、あのデビニャン」
悪魔が解き放たれた……字面だけ見るとなんとも趣のある言葉である。
そしてなんともいたたまれない気分になるのはどうしたものだろうか?
という事は、これはひょっとすると賢者タイムを利用して、いいように使われてしまったという事なのかもしれない。
「……なんかまたまずい事をしてしまったような気がする」
頭の痛い現実にまた病気になりそうだったが、残念ながらこの体が病気になることなどもうありえないだろう。
結局の所、賢者だろうがノーマルだろうが俺は俺でしかないらしい。
「まぁ深読みのし過ぎなのかもしれんがな。呼べば来ると言っておったし、気にする必要もなんじゃないかの? 悪魔は約束は守るぞ?」
「やるなぁ。ひょっとしたらデビニャン途中から目的を切り替えてたのかもね。さすが悪魔ってとこだねー。うん、ちゃっかりしてる」
何故か感心した風にトンボがしきりに頷いていた。
「だけど……やっぱりそんなに心配する必要もない気もするんだよね」
しかし、一応フォローのつもりで言っている二人には悪いが、何となくあまり心配でもなかったりするのだ。
その時ぼんやりと思い出されるのは、テーブルからかたくなに降りようとしないデビニャンの姿である。
「その根拠は?」
興味深げに聞いてくるカワズさんだが、そんなに大したものではない。
「いやなに、俺の知ってる言葉で、何とかと煙は高いところが好きってのがあってね……」
少なくても全部嘘だったわけじゃないと思うんだ。
俺はぼそりとそんなニュアンスのことを呟いた。
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