八十九話 壺の中身は 2
「すごいのデタ!」
「すごいのでたな!」
傍らで大はしゃぎする二人が楽しそうで何よりだった。
そして肝心の出てきた女性は威風堂々、誰にはばかることもなく、大きく右手を前につきだし、左手を腰に当てたポーズのまま待機している。
俺としてはもちろん邪険にするつもりなど欠片もない。
壺という変わった所から出てきたわけだが、相手はお客さんである。
しかもこんなに楽しそうに出てきたのだ。
ここは水を差すことなく、親愛の情をこめてコミュニケーションをとれば円滑に事を進められるのではないだろうか?
とすると……さっそくニックネームなど考えるのはどうだろう?
呼び名を最初に定めてしまえば、後々困ることはないだろうし、事情も説明すればわかってもらえるだろう。
幸い、最近女の人にニックネームをつけた時、そのコツを伝授していただいたばかりである。
ならば心を籠めてつける。それが俺に出来る最善だと信じたい。
「どうも初めまして。えっと……デビニャンさん」
さっそくここまで考えて、俺は実行していた。
「すごいあだ名キタ!」
「おう! いまだかつてない切れ味じゃな!」
トンボちゃんもカワズさんも大喜びだった。
「うむ! よかろう! そう呼ぶことを許すぞ! 我は寛大なのだ!」
そして俺のニックネームはすぐさま受け入れてもらえたようである。
良かった、俺の真心は彼女に通じたようだ。
だけどついさっきまで喜んでいたトンボとカワズさんの表情が一変して驚愕に変わっていた。
「うへ! 本気なの!」
「……なんだと!」
「……そこの外野、少し黙っておれんのか?」
二人の驚き声は大きすぎたらしく、お客さんにも不評である。
「申し訳ありません。許してあげてください。今日皆さんはとてもテンションが高いのです」
「ふむ……難儀な奴らだ」
お客さんはどうやら寛大な心で俺達を許してくれたようだ。
「なんだろう……ものすごく納得できない。バカにされちゃったよわたし達」
「なんとも釈然とせんな。まぁ本人がいいのなら別にいいんじゃが」
「しかしデビニャンとは……悪意がないだけにどうなんだろう?」
「いやいや、ここまでのものとなると本当に悪意がないのかも怪しくないかの?」
「うーん、でも残念ながらいつものあだ名を考えみると、いたって真面目っぽくない?」
「ああなるほど。それなら……今後あだ名でいじるのはなんだかかわいそうだのぅ」
「だねぇ……今後は優しく見守ってあげよう」
何か囁き声が聞こえてきた気がして異様に抗議したいというよくわからない単語が頭をよぎったが些事である。
優先事項としてはお客様の方が上だろう。
デビニャンさんはさっそくこちらに向き直ると、俺を見て微笑みを称えていた。
「だがまぁその名の由来だけでも聞いておこうか? 虚偽は悪魔には通じぬぞ?」
「そんな、嘘を吐く理由がありません。悪魔だと言うのでデビルで、後半は最近女の子にはかわいいあだ名をつけるように言われたもので、頑張ってみました」
なんとなく某地域活性化に尽力しているマスコットに似ているような気もするし、きっとかわいいに違いない。
俺の言葉に嘘がないと判断したのか、デビニャンさんは深く頷いて理解の色を示していた。
「ふむ……ならばよい。我も故あって真の名は明かすことは出来んからな。ちょうど良いわ。
それに今はそのようなことを論じている場合ではないだろう。……お前であろう? この壺を開けたのは?」
おもむろに俺を指差すデビニャンさんは、なんだか俺に用事があるらしかった。
初対面の方から用事と言うのも思い浮かばなかったが、そのくらいは大した問題ではない。
俺はコクリと頷いた。
「はいそうですよ? なんだか封印みたいなものがあったので」
肯定した内容はどうやら彼女にとって歓迎すべき事だったらしく、デビニャンさんは腕を組んで何度も大きく頷いていた。
「ふむふむ……よい! 大義であったぞ! 我もちょうど退屈しておった所だったからな! この壺は魔界への扉! 封印は魔界の門の鍵よ! この壺の持ち主はこの壺を開ける事で悪魔を召喚することが出来るのだ! そしてとってもお得な契約を結ぶことが出来るのだよ!」
「?」
ものすごく元気に説明されてしまったのだが、俺にはさっぱり意味が分からなかった。
しかし魔界とか悪魔とか、小説の類では聞いたことはあるけれど、見たのは初めてである。
珍しいものが見られたなーとは思ったが、珍しいなんて言ってはデビニャンさんに失礼だろう。
だから俺は無難に笑顔のまま問い返すだけにとどめておいた。
「そうなんですか?」
「そうなのだ! さぁなんでも言うがいい! 貴様の願いを三つ叶えてやろう! その代り魂をいただくがな!」
しかしデビニャンさんはとても大声で俺に向かってそんなことを申し出たのだ。
俺もこれには驚かされていた。
なんでも願いがかなう契約とは、またどこかで聞いたことがある話ではないか。
だがまぁ似たような話は、しょせん似たような話。この場にはあまり関係がないだろう。
自分も願いを叶える部分では、似たようなことをしていることだし、ひょっとしたら流行っているのかもしれない。
それよりも注目すべきは目の前の悪魔と名乗る女性の人間性ではないだろうか?
魂はともかく、見ず知らずの俺の願いを三つも叶えてくれるなんて、なんていい人なのだろう?
言い回しから言って、二つでやめておけば魂は渡さなくてもいいわけだし。
ひょっとしたら照れ隠し的で遠回しなボランティアなのかもしれない。
だけどそんな風に言ってくれたデビニャンさんに、俺は静かに首を振ることしか出来なかった。
「願いなんてありませんね」
「なに? それはどう言う事だ? 偽りではない……のか?」
デビニャンさんがいい人である以上、だからこそそんなことをしてもらうわけにもいかない。
願いを叶えるなんてことは、それなりに大変だというのはいつも旅している俺には分かるのだ。
俺でさえ浅ましい下心があってなお、苦労することがある。
ましてや悪魔とはいえ、俺よりも遥かに魔力の劣るデビニャンさんにそんな大変なことをさせるわけにはいかないだろう。
だけどデビニャンさんも言い出した手前、引っ込みがつかないようだった。
「いやいやいや待て待て! そんなわけがあるまいよ。
人と言うのは欲深き者と相場が決まっている。
想像してみるがいい!……例えば、そう! お前、巨万の富は欲しくないか?」
あくまで笑顔で俺に言ってくれるが、ならばきっぱりと誠意をこめて、彼女にお断りをした方が良いのかもしれない。
「いらないです」
「うぬぅ? お、お前大富豪とかそう言うのか? ふむ……我はお金持ちは好きだぞ?
……なら比類なき権力! これしかあるまい!
かつて悪魔と契約し一国の王となった者がいた! 当然我にかかればその程度容易い事だ!」
「すいません、まったく興味がないので」
「……む、謙虚な奴だなぁ。男には野心も必要だぞ? ムムムとなると……ハーレム。そうハーレムなんていうのはどうだ! 世界の美女を侍らし、お前だけのハーレムをつくるのだ! これぞ男のロマンだろう!」
「いえ結構です」
「結構なのだな!」
「いや、いらないの方で」
「そんな!」
ガガーンわかりやすくとショックを受けているらしいデビニャンさんはこの辺りになると興奮して俺ににじり寄ってきていた。
どうでもいいことだが、未だにテーブルの上なので、そろそろ降りた方がいいと思う。
「なにぃ? いやちょっと待て……フフフわかったぞ? このおませさんめ」
だけどデビニャンさんは何かとてもいい思い付きをしてしまったかのように意味ありげな表情でいったん離れると、俺に流し目を向けて体をくねくねさせていた。
「知っているか? 悪魔は男と女で現れる悪魔が偏るのだよ! 男の所には美女の悪魔が、女の所には美形の悪魔が現れることが多い。
当然、心の願望を浮き彫りにしやすいためだが……。
さぁ我はどうだ? 悪魔は美しいだろう? 我はその中でも極上ぞ? お前がそれを望むなら……この世の悦のすべてをお前に与えてやるが?」
そっとほっぺに手をあてつつ、耳元で囁かれたけど、くすぐったい。
「いえ、興味がないので」
「にゃ……にゃに?」
第一そんなお願いは失礼すぎるだろうときっぱりお断りしたら、ピシリとその瞬間、デビニャンさんの表情が完全に凍り付いた。
そしてものすごくおろおろしながら、狼狽えているようだった。
「そ、それは、わ、我が……ひょっとして魅力がないからか? ま、まさかとは思うが、醜かったりすると?」
ぷるぷる震え、なんだか涙目になって尋ねてきたデビニャンさんに非常に困ってしまった。
何か俺は悪いことを言ってしまったのだろうか?
やはり……言ってしまったのだろう。
前々から自分にはデリカシーとか足りていないと思ってはいたのだ。
ただ興味がなかっただけなのだが……。
泣かせてしまった時点で、俺が悪いことなど明白である。
だから出来る限り優しく、俺は首を振って言った。
「そんなことはありません。貴女はとても魅力的な悪魔さんですよ?
だけど悪魔だからと言ってそんな風によく知らない男に容易く肌を晒すような事はいけません。貴女には自分の事を大切にしてほしいと考えています。だからそれは……本当に俺の望む所ではないのです」
誠心誠意説明したつもりだが、いまだ涙目のデビニャンさんである。
だが彼女は上目使いで、おずおずと口を開いていた。
「そ、そうか? 我は……魅力的か?」
「はいとても」
でも少しは持ち直す兆しが見えてきて、俺は胸をなでおろした。
「ではお前の望む所ではないのは……わ、我を思っての事なのだな?」
「はい、その通りです」
「うむ! ならば許してやるぞ! そうだな! 我は魅力的なのだ!」
完全復活を果たしたデビニャンさんは勢いよく立ち上がるがやっぱりテーブルの上だった。
「元気が出たようで何よりです。そうだ……どうぞこれを。俺が作ったクッキーです。お口にあえばいいのですが……」
「うむ! もらおう!」
すっと差し出されたクッキーをその場で胡坐を掻き、まるでハムスターのようにコリコリ食べるデビニャンさんは非常に小動物系のお嬢さんである。
そしてやっぱりテーブルから降りる気はないらしい。
しかし食べる勢いからして彼女もお腹がすいていたようだった。
やはり、おなかがすくと気が高ぶりやすいものだ。
時間はもうすぐお昼になる。
俺が呼んでしまったせいで、余計な時間を取らせてしまったことは申し訳ない限りだった。
「……なにこれ」
「わからん。つーかあいつはいったい誰なんじゃね?」
「わからないね。わたしにはさっぱりわからないよ」
「わしもじゃ……しかし願いを叶える悪魔とは。……こういうアイテムも欲しがる奴は多いんじゃろうなぁ」
「そうかなぁ? 魂とられちゃうのに?」
「たぶんな。しかしタローの交友関係じゃと、もう何をもらってもおかしくないのがおっかないわい。どいつもこいつも無駄に長生じゃからなぁ……」
「それはカワズさんもでしょ?」
「わしなんてかわいいもんじゃろ?」
「……」
二人のどこか遠くに囁きかけるような小言が聞こえた気がしたが、なにか重大な問題にでも直面しているんだろう。
俺には応援するしか出来ない。
そっとしておくのも優しさである。
すっかりお皿の上のクッキーを平らげ、デビニャンさんは現在特性ブレンドの紅茶で一服していた。
この葉っぱはカワズさんが作ったものだから、きっとおいしい事だろう。
実際ここまで漂ってきた香りは、とても甘くいい香りだった。
「どうでしたか?」
「うむ! 実に美味だった! ……ってそうじゃない! 我がお前の願いを叶えるのだ! 何かないのか! いい加減にしないと拗ねるぞ!」
しかし、クッキーとお茶は満足していただけたようだが、彼女は不服そうである。
ぷっくり頬を膨らませるデビニャンさんは見た目よりも幼く見えたが、それが彼女の怒る仕草なのだろう。
しかし是が非でも願いを叶えないといけないらしいというデビニャンさんの事情もあるだろうということは、俺にでも察することは出来た。
俺は足りない頭で、何かいい方法はないかと考えたが、だけど全然そんな願いなんてものは浮かんでこない。
強いて言うなら……。
「……そう、強いて言うなら世界平和とかですかね?」
世界平和。
皆がただ平穏に暮らすことが出来る世界、なんて素晴らしいのだろう。
しかし、それがかなわぬ夢だという事は俺でもわかる。
それは俺以外も同じだったらしく、今まで静かにしていたトンボが驚いた声を上げていた。
「でか! 望みでっかい! でもさすがにこれは無理でしょ!」
「……いや、あの娘が悪魔ならそうでもないんじゃよなぁ」
「へ! 本当!」
「まぁ見とれ」
俺がそう口にした途端、デビニャンさんの目が怪しく光る。
そしてとてもやる気になっている彼女は、はっきりと宣言していた。
「……ふっ聞いたぞ? ならば一つ目の願い叶えてやろう!」
デビニャンさんはやはり笑顔で、俺の顔の前にずいっと顔を近づけてくると、じっと俺の目を覗き込んだのだ。
それから数秒、瞬きもしないでお互い見つめ合っていると、なんだかもやっとしたが、特に何があるわけでもない。
「……ん?」
「……ん?」
お互いに左右対称に小首をかしげて元に戻す。
「ちょっと待て! 手違いだ!」
「はぁ……」
声を荒げたデビニャンさんに従うが、今度は頭を鷲掴みにされてさらに至近距離でガン見だった。
息がかかりそうな距離は、にらめっこにしても近すぎだ。
俺にとっては意味が分からない。
デビニャンさんにとっては不可解な数秒がすぎ。
「……どうだ?」
「はぁ、顔が近いですね」
カワズさんはニヤニヤ笑い。
トンボちゃんはわけがわからなそうにしていたが、一番派手なリアクションを取ったのは目の前のデビニャンさんだったのだ。
「どういう……」
一瞬のタメの後。
「ことなのだ!」
頭を抱えてテーブルに頭を打ち付けるデビニャンさんは大きく仰け反りブリッジである。
そして俺達はそのリアクションに一番驚いた
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