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八十七話 魔女の森 5
 魔女さんはその後、しばらく呆然としていたのだが、ゆっくりと立ち上がって再び俺の目の前までふらふらとやってきた。

 しかし俺の傍らにはさっきまでの魔女さんはいない。

 完全に無表情で俺を見下ろし、感情が抜け落ちてしまった様に彼女は立っていた。

 その手には驚くほど巨大な魔力が集約している。

 魔法陣を編み上げれば、すぐにでも攻撃魔法が俺を襲う。その一歩手前なのは間違いないだろう。

「……悪いがお前を殺す」

「はい?」

 反射的に聞き返してしまったが、どう見ても冗談と言うわけではなさそうだった。

 そしてその言葉はいつか誰かから言われるだろうと思っていた言葉でもあった。

「お前は生きていてはいけない。それだけの魔力と魔法創造が揃うなどあってはいけない。それは……人間の分を超えた力だ」

 ただその台詞を聞いた瞬間、思っていた以上に俺の心の中はいろんな考えが浮かんでいた。

 俺自身、もっと開き直っているものだとばかり思っていたが、そうでもなかったようである。

 ふざけるなっとも思ったし、やめてくれとも思った。

 かなり高ぶった感情も多いが、むしろ逆に冷めた感情も多い。

 思考が混線して脱線して、結局落ち着いたのは、一番心の中とは程遠い、ずいぶんと静かな気持ちだった。

「はぁ……俺もそれがいいかなと思いますけどね」

 自分でも意外すぎた台詞が口から零れると、魔女さんは若干不思議そうに俺を見ていた。

 そして魔法を完成させるでもなく、ただ疑問を解消するためと言うように口を開く。

「……なんだ? やけに諦めがいいじゃないか? 命が惜しくないのかい?」

「まさか! 惜しいし、超怖いし、死にたくないですよ?」

「……ならなぜだ?」

 それはなぜか? 今の俺にはとても難しい問題だったが、答えはシンプルだった。

「……納得は出来ないけど、理解は出来るからですかね? それに今は完全に無防備だし、どうしようもない。どうせ死ぬなら痛くない方がいいです。魔女さんみたいな人ならそれが出来そうでしょう?」

 全て偽らざる本音だと思う。

 ただ飛び出したのがその台詞だっただけ。

 だけど命が惜しいというのも、もうここらでやめておいた方がいいんじゃないかと言う気持ちも、どちらも俺の中にあっただけである。

 ここまで台詞をまとめるのにも苦労したが、肝心の聞き手の下した判決は、どうやら俺にとって、たぶん歓迎すべきものだったに違いない。

 魔女さんは手から魔力を霧散させると、再び椅子に倒れ込むように座り込んでいた。

「はぁ……まったくあいつは何を考えているんだ? 昔から魔法バカだったが……耄碌して本当の馬鹿になり下がったのか?」

「……ひょっとして俺、今命拾いしてます?」

 一向に変化しない状況に正気に戻ってドキドキしながら尋ねると、魔女さんは特大の溜息で返事を返してきた。

「……なに、あのバカのしりぬぐいを私がやる必要性に疑問が湧いただけさ」

 すでに気が抜けてしまったらしく、これ以上ないほど面倒くさそうに言う魔女さんは、どうやら見逃してくれたようである。

 九死に一生を得たわけだが、魔女さんの言葉には非常に納得してしまった。

「そりゃぁ……すごくよくわかる」

 カワズさんのせいで殺されそうになった。

 そう思うと、さっきまでのあきらめムードが、一気に消えていくから不思議である。

「……そうだねぇ。考えてみればお前さんも被害者か。他所の世界から連れてこられた時点で、とばっちりもいい所だろうよ」

 少しだけ憐れんだようなセリフをいただいたが、実際はそこまででもない。

「あー、いや、楽しくない事もないですよ?」

 むしろ最近は嬉々として色々やらかしてしまっている手前、積極的に被害者を名乗るのもおかしいだろう。

 俺の台詞に魔女さんも俺の非常識さを思い出したらしく、それもそうかと呆れ気味だった。

「まぁだけど、異世界人召喚なんてのは、ろくでもない中でも最たるもんだ。
よりにもよって他所の世界の人間に自分達の問題を肩代わりしてもらおうってんだからね。
だいたい魔法の使い道なんてのはいつの時代も殺伐としすぎなんだよ。
あんたもそれなりに被害者面していたって許されるくらいにはね。
私はそれに嫌気がさして、こんなところで世捨て人をやっている。
でもそんな連中の中でもあのジジイは……まだマシな方だったんだ。
少なくても、自分が愚か者だってことを弁えていただけね。
どこまでも愚直で魔法なんてあやふやなものに誠実だったよ。
その点だけは認めてやってもいい。
もっとも突き抜けて、無茶するのも恒例だったけどね」

 魔女さんの口から漏れた愚痴のような語りは、最終的に昔語りになっていた。

 そして話の中の人物はたぶんカワズさんで、他人の口からカワズさんの評価を聞くのはひどく新鮮だったりする。

 そして目の前の魔女さんからそれを聞けたのがなんだか意外で、俺はいつのまにか笑っていた。

「……やっぱり仲が良かったりとかします?」

「まさか! 間違いなく悪い部類だろうさ!
ただ同じようにでかい魔力を持っていて、同じ国にいて、魔法なんてものをかじってりゃ、嫌でも顔を会わすってだけのことさ。
友人って言うほど近くも無ければ、他人と言うほど遠くもない……」

 すげなく魔女さんはそれを否定していたが、それなりに深い縁があることは本人達も認める所らしい。

「カワズさんは天才ですけどバカですからね……」

 俺もいつものカワズさんを思い出してしみじみ唸る。

 それには魔女さんも同意見らしく、すぐに頷いていた。

「そうだよ。何に対しても融通が利かない。思いついたら魔王でも殺しに行くような馬鹿だ。
お前さんにもずいぶんと迷惑をかけているんじゃないか?」

 少し聞き捨てならない事もさらっと言われた気がしたが、投げかけられた質問は苦々しげだが妙に楽しそうでもあった。

 彼女もまた生前のカワズさんに振り回された口なのかもしれないと思うと、なんだかちょっと親近感がわいたが、それはそれ。

 俺としてはいくらか意趣返しはさせてもらっている。

「まぁそこそこに。でもこっちに来てからやり返しているんで問題ないです」

「はは! じゃあ今の倍くらいやってやりな! それくらいでお釣りがくる」

 そしてどうにもその答えは魔女さんのお気に召したらしい。

 これまでで一番愉快そうに魔女さんは意地の悪い笑みを浮かべて、俺の頭をくしゃくしゃに撫でていた。

「よし! お前! 最近肌に潤いがない気がするから、美肌の魔法を一つおよこし。それで今回の御代はチャラにしてやるよ!」

「ええ、まぁ……ありがとうございます」

 調子を取り戻した瞬間にそんな要求もされたが、俺に逆らうつもりもない。

 それよりもそろそろ本格的に薬も効いてきて、俺は眠りの中に落ちていった。





 ふと目が覚めるとどうやらどこかの部屋の中のようだった。

 そこはとても静かで、誰かが窓際で本を読んでいるらしい。

 文字が読めるほどにその日の晩は月明かりが明るく、部屋の中もずいぶんきれいに照らし出されていた。

 目を凝らすと、俺が起きたことに気が付いて本から顔を上げた人物はカワズさんだった。

「なんじゃ起きたのか、調子はどうじゃ?」

「あー、まだ頭がボーっとする」

「……ならもうチョイ寝とけ、世界が滅ぶ」

 さらっと辛辣な事を言うカワズさんだったが、その通りなので笑えない。

「……みんなは?」

「あいつはもう寝た。ナイトの嬢ちゃんは塔の玄関に張り付いとるな。トンボは……ほらそこ」

「……むにゃもう食べられないよ」

「なんてベタな……」

 椅子の上で涎を垂らすトンボの寝顔を見て思わず俺顔には笑みが浮かんでた。

 その傍らには布が置いてあり、どうやら看病してくれていたらしい。

 もっとも手にはハリセンが握られていて、むしろそっちの方がきつく握りしめられていたが、そこはご愛嬌と言うやつだろう。

「まだあと一日くらいは安静にしとくのがええらしいぞ。魔法は使用禁止じゃと」

「……ああ、わかってる」

「ふむ」

 背中の辺りに寒気がないのは熱が引いたからだろう。

 ただまだ体力は戻っていないらしく、気だるさが残っていた

 さすがにこんな所まで連れて来られただけあって、腕も薬の効き目も大したものだ。

 もっとも一連の疲れのような気がしないでもないが、今は少しでも楽になったことを素直に喜ぶとしよう。

 起きたばかりという事もあって、俺はその感覚をぼんやりと口に出す。

 それは話しかけると言うよりも、ただのうわ言の様なものだった。

「なんかふわふわしてて、夢の中を散歩してるみたいだよ」

「ならいつもと……同じじゃろ?」

 何気なく言われた台詞はたいしたことはない。

 ただニュアンスが少しいつもの馬鹿にした感じではないのが引っかかって、俺は問い返した。

「……そうかな?」

「ああ。お前さんの魔法はそんな感じのが多いからな」

 カワズさんはそう言うが、なんとなくそんな風に思われたことが意外だった。

 まぁ確かに俺が使う魔法と言ったら、現実的と言うよりは夢に近い代物が多い気はする。

 もっとも自覚してやっていた節はあったが、なんとなく改めて指摘されると変な感じだ。

「あー、そうかもしれない。そのくせ、どっかで誰かの顔色伺っちゃうんだよねー」

「そりゃぁお前さんが小心者か、現実的かのどっちかじゃろ? だが間違っちゃおらん。魔法を扱う以上美学がないといかんが。お前さんがおる所がいつも現実じゃ、わざわざ自分で居心地を悪くする必要もあるまいよ」

「だろうね……だけど―――」

 どこか夢の続きのように感じている俺がいる。

 そう頭によぎったことで、俺は思わず黙ってしまっていた。

 そうじゃない。この世界で起こった事は夢のようで夢じゃないと俺はしっかり実感し始めている。

 たぶん俺は……。

「……ねぇ?」

「んん? なんじゃね?」

「ちょっと弱音吐いていい?」

 ぼそりと言ったそれ自体が、もうすでに立派な弱音だったと思う。

「……今は夜じゃからな。寝言の一つも聞こえよう」

 そう言ってくれたカワズさんに感謝して、俺は震える声を自覚しながら、言っていた。

「……俺さ結構ビビってるんだよね」

 夢の続きだと無意識にでも思っていた世界が

「出来ることに際限がないのがうれしい以上に怖いんだよ。でも元の世界にも帰れない」

 時間をかけて出会った住人達と触れ合うことで確固たるものになってゆく

「試せば試すほど、めちゃくちゃだってわかるんだ」

 それは夢を現実に変えて、俺を取り込み

「これじゃぁまるで手足の生えた核弾頭じゃないか? 下手したらそれより質が悪いかもしれない」

 より異質な自身を明確に浮かび上がらせている

「それなのに俺をだれも止められないってのが……すごく不安なんだよ」

 そしてそれは自身の否定につながってゆく。

 魔法という奇跡の力で、何でも出来る危険な自分。

 一歩間違えば、取り返しのつかないことになるのなら、その一歩を踏み出すべきではないのではないか?

 膨らんだ不安はどこまでも大きくなっていくようだったが、カワズさんは俺の弱音をずいぶんとあっさり否定してくれた。

「そんなことないじゃろ?」

「……そうかな?」

「ああ、お前さんは止まるよ。人の顔色を伺っておるんじゃろう?」

 戸惑う俺にきっぱりと言い切るカワズさんは何とも俺の事をわかっているのかわかっていないのか、微妙な事を言っていた。

 まぁ確かに俺はチキンでヘタレな人種だけれども。

「でも俺は……」

 そして言葉を重ねようとした俺を、カワズさんは少しだけ強引に遮った。

「出来る事が多くなっても本質は早々変わらんさ。結局の所、何が出来ようと実行するかしないかは自分が決めるしかないんじゃから」

 それはたぶん当たり前の事なんだろう。

 いかに抑止力があろうと。結局最後の砦は自分自身に他ならない。

「だけど俺は……神様みたいにはいかないしさ」

 しかしマオちゃん辺りに神様になんて例えられたこの力を、はたして俺は常に正しく使うことが出来るのか?

 そんな疑問を含んだ俺の安い言葉は、心底バカバカしいと切って捨てられてしまったようだった。

「ふん。馬鹿じゃなぁお前さんは。そんなもの当たり前じゃろが。
お前さんは人間じゃよ。そんな神になんぞなる必要もない。
優しくされれば喜ぶ、冷たくされれば怒る、虐げられれば哀しくなる、共に笑えば楽しくなる。
それがごく普通の人間じゃろ。
助けを請われれば助けたくなるし、傷つけられれば怒りも沸こう。
だがだからこそ魔法を使えるとも言える。
もし完璧に公平な神様がいたとしたら、そいつは誰にも力を使えんじゃろうよ。
だがわしは使った方が素敵だと思うとるからな。
迷ったら己の内にある良識に問え。そうすれば間違っているかなどすぐにわかるわ」

「はは、そううまくいくかなぁ……」

 なんともめちゃくちゃに聞こえるカワズさんに苦笑いが浮かぶ俺だったが、それでもカワズさんは断言していた。

「いくさ。誰だって悪い事はしたくないんじゃよ。
ただのぅ、それが意外と難しい。
だがそれが出来ないのは……おおよそ状況のせいじゃろ?
人間二人集まれば、どちらかが悪になる時もある。
だがおぬしは肝心の状況を無視出来るんじゃぞ?
縛られるべき法も無ければ、常識すら意のままに捻じ曲げる奇跡の技まであるとくれば当然じゃ」

「……まぁね」

「もっともあんまり良い悪いを気にしすぎる必要もないと思うがな。
それを言うなら魔法自体、ちょっとグレーじゃし。
わしの持っとる本に世界抵抗値という言葉があってな。
魔法を使うのに必要な数値があらかじめ決められていて、魔力は奇跡を起こす代価ではないかという考え方なんじゃが。
なるほど確かにいかにも賄賂の様で魔法という呼び名がピッタリな気がするが、奇跡は奇跡、法は法。
それが世界の道理だと言うのなら使わなにゃ損じゃ。
まぁもっともわしは魔法でそんなに大したことをする必要もないと思っとるがの。
奇跡なんてものはしょうもないほど結構好きじゃしな」

「なんだよそれ?」

「だって思わんか? 例えば……例えばじゃが世界を震撼させるような巨悪がおるとする。それを魔法を使ってうち滅ぼせば、世界中が奇跡だと疑わないだろうが、実際倒した本人は自分の目の前に巨悪の死体が転がっているだけにすぎん。それが奇跡か?
逆境から逆転するばかりが奇跡でもなかろうよ。
それよりもわしは道でいいものを拾ったり、気の会う友人を偶然見つけたりするようなそんなミラクルの方が好きじゃよ。
その点で言うならお前さんの魔法は実に良い。バカバカしくて夢がある。
人が夢見てこそ、魔法にも価値が生まれるという物だ」

「それって褒めてる?」

「もちろん。……まぁわしがとやかく言えたこともないんじゃがな」

 カワズさんが何を思って最後にそう付け加わえたのかはわからないが、俺としてはこれ以上望むべくもない。
 そろそろ瞼の重みも増してきて、しゃべりすぎたせいか心地のいい疲労感が眠気を後押ししてきていた。
 微睡みに飲まれそうになりながら、俺はカワズさんの言葉を聞く。

「まぁ、今は大人しくしとけ。とりあえずそこにいるトンボも、ナイトの嬢ちゃんもお前さんの回復を願っとる。それだけでもお前さんの悩みよりは、いくらか価値がありそうだのぅ」

「かもね。ははは、こうまでカワズさんに慰められるとは……やっぱ調子悪いわ俺。
少し寝る」

「おう、ねろねろ」

「うん、一応感謝はしておくぜ?」

「は! やめんか気持ちの悪い。ジジイが寝言を聞いて戯言をほざいただけじゃ、感謝の必要なんぞないわい」

 そっけなく言ったカワズさんはその場から動く気配もない。

 最後に布団の中からちらりと見たカワズさんは本を読んでいた。

 本のタイトルがちらりと見えたが、意味が分かる。

 リベルの書

 これもカワズさんの秘密の一つなんだろうが、俺は何も言わずにもう一度目を閉じた。


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