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八十六話 魔女の森 4
 怪しい森の奥には大きな湿地帯が広がっていた。

 そして怪しい沼のそばに石造りの塔が何ともらしい風体で建っている。

 ただそこまでは正直別によかったのだ。

 不気味ではあるものの、それだけだったんだから。

「魔女さん魔女さん……」

「なんだい? その魔女さんってのは?」

「……ああ、ええっとカワズさんが翻訳の魔法を失敗して、人の名前を覚えられない体にされていまして」

「ぶふっ! そうなんだ……ククッ! まぁ異世界用の翻訳魔法なんてヴァナリアか……あったとしても、どこぞの国の機密だろうしね。でもなんで名前だけピンポイントなんだ?」

「……こっちが聞きたいです。カワズさん曰く名前は特別難解だとかなんとか、名前さえあればかけられる呪いもあるんだぞとか、なぜか偉そうに言ってました」

「ふーん。……まぁ言ってることは間違っちゃいないけど……。でもそれじゃぁ魔女さんはないね。
女の子に付けるなら、もうちょっとかわいいのにしてもらわないと」

 なんだかマオちゃんみたいな事を言い出したわけだが、かわいいとか言われても、俺としてはなかなかハードルが高いわけで。

 思案の果てにたどり着いた〈かわいい〉あだ名を俺は自信がないなりに呟いた。

「……マジョリンとか?」

「マジョリン! マジョリンかぁ……」

 付けられたあだ名を何度か反芻して、魔女さんは赤くなる。

「ゴメンそれはないわ。それならやっぱ魔女さんでいい」

「……それが賢明だと思います」

 どうやら、彼女的にこのあだ名はなかったようだった。

 って……今は名前の話なんてどうでもいいのだ。

 それよりも、もう少し気になる事があるってものだろう。

 塔の中に案内された俺はやっと布団から解放されたと思ったら、今度は寝台にぐるぐる巻きにされてしまったのである。

 なんというか、布団で包まれるよりも遙かに怖い。

 これから何をされるのか全く分からない状況は、ものすごく心臓に悪いのである。

「……今日はこんなんばっかりだ」

「病人は医者の言う事を聞いてりゃいいんだ。黙って縛られてな」

 ぺちぺち頬を軽く叩かれ、傍らに腰かけた魔女さんは恐ろしく楽しそうだった。

 抵抗しようにも、現状なすすべは皆無で、助けを求めることも出来ない。

 今、残りのメンバーは別の部屋に待たされているらしい。

 ナイトさんが最後まで渋っていたが、カワズさんの一言で結局言う通りにした様だった。

  と言うわけで、俺は現在魔女さんと二人っきりでこの状態というわけだ。

 なんというか、不安しかないが……それもまた仕方がないのだろう。たぶん。

「さて、だが治療とは言っても、あんたの場合病気事態は大したことじゃないんだよ。放っておけば治る程度の事さ」

「……らしいですね」

「ああ、わかってたか。そりゃそうだね。あいつがいるのにわからないわけがないか」

 不意に呟いた魔女さんからはある種の信頼の様なものが見て取れるのは気のせいなのだろうか?

 案外あの二人の仲は結構いいのかもしれないなーなんて考えていたら、ギロリと睨まれてしまった。

「……なんか今、すんごい不快なことを考えただろう?」

「……いや、別に、なぜ故そう思いましたか?」

「女の勘」

 きっぱり言い切られてしまったが勘で睨まないで欲しい。

「……まぁいいか、さて、じゃあ始めるか」

 魔女さんはそう言うと、頃合いを見計らって立ち上がる。

 そしてそのまま部屋の棚を漁り、水晶玉のようなものを引っ張り出してくると、俺の手元に置いたのだ。

「それじゃぁ、そこに手を置いて」

 そう言われて、素直に水晶玉に手を置くと、バチリと光が弾けて水晶が割れた。

「……計測不能ってどんだけだ。普通じゃないとは思っていたけど」

「あの……なんです?」

「魔力をちょっとね。しかし……となるとー」

 そう言って再び棚を物色しに行った魔女さんが取り出したものを見て、俺は思わず唸る。

 魔女さんが取り出したのは、紫色の毒々しい丸薬だったのだ。

 その時点でかなり怖気づいて、身をすくませたのに気付かれたのが運のつきだった。

 その時の何とも言えない獲物を見つけたような目は、きっと怪しい薬よりも怖かったと思う。

「こいつを飲んどきな。とりあえずはこれで魂は安定するはずだ」

「あ、あの……とても薬とは思えない色をしているんですけど?」

「……こいつは魂の働きを抑制する薬だよ。魔法は一切使っていない、薬草オンリーの私特性ブレンドさ。さて……本当なら黙って飲めの一言でいい所を、なんで私がわざわざ説明してやっているかわかるかい?」

「い、いえ……」

 ごくりと生唾を飲む込む俺。

 すると魔女さんは俺の目の前で薬瓶を揺らしながら見せつけてきて、そして一粒取り出すと、薬は瓶の中にあった時よりも、いっそう毒々しさが増した気がした。

「なぁに、さすがの私もちょっと気の毒かと思ってねぇ。こいつの鎮静作用は強力なんだ。
一粒飲めば、そうだねぇ……ちょっとした賢者様の出来上がりさ!」

「ひぃ!」

「さぁ観念して飲みな! 世界のためだ!」

 ひっひっひと薬を片手ににじり寄って来る魔女を前に、拘束された俺は身動き一つ取れない。

 こうなることを想定済みだったのかと、気が付いてももう遅いのだろう。

 丸薬は鼻先までやってくると、丸薬とは思えない刺激臭が鼻を衝いた。

「ちょま……!」

「さぁちゃっちゃと飲む!」

ガボッと口の中に薬を放りこまれ、悶絶寸前の味が口中に広がると、気が遠くなった。

「!!!!!!!」

 そしてまずさのあまりもがき苦しむが、やっぱり動けない。

 どうやら、こうなることもまた、想定済みだったようである。



「……うう、しどい」

 無理矢理あんなものを口の中に突っ込むなんてあんまりだ。

 しくしく泣きながらぐったりとした俺を、いつの間にかキセルで一服していた魔女さんは笑い飛ばす。

「何を大げさな、薬飲ませただけだろうが。 心配しなくても副作用自体は一時的なもんさ。
ピークは三日目って所かね? あとは徐々に収まっていくから安心しな。
ただし二日は魔法使用禁止。くしゃみで暴発なんてことはもうないと思うけど、自分で使う分には保証できない。
体も衰弱しているのを自覚しな」

「はぁ……魔女さんって、魔法使いなんですよね? 何だってこんなの普通に常備してるんですか?」

「んん? あいつから聞いてないのかい? 魔法使いが薬を扱うのは割とあることさ。
あの爺も、変な薬を作ってなかったかい?」

 そのまま質問で返されたが、確かにカワズさんも変なツボで色々かき混ぜていた気はした。

「ああそう言えば、シャンプーとかリンスとか?」

「……それはどうなんだろう? まぁいいけど、とりわけ私の研究テーマは不老だからね。医術はその副産物って事は否定しないよ。
人間の体を調べているからこそ、今のこの完璧な美貌を保てているってもんだからね」

 自分の頬をうっとりと撫でる魔女さんだが、その台詞は語弊があるんじゃないだろうか?

 魔女さんの見た目はどう見たって十代前半だ。

 未成熟と言う言葉がぴったりくるのだから、決して完璧ではないと思う。

「完璧っすか?」

 俺は思わず声に出すと、ジロリと睨まれてしまった。

「そうだわよ? 完璧じゃないか! 疑問を挟む余地もないね!
そう思わないなら、あんたと私の美的感覚は相容れないんだろうよ。
このボディを手に入れるために私は魔法はもちろんの事、呪いや薬学、ヴァンパイアの不死性からワーウルフの生命力、果ては竜の肉体改造まで研究したんだ。これを完璧と言わずしてなんていうんだい? 幻術や見せ掛けじゃない、肉体を十代で留める完全な若返りと肉体保存。不老は全女性の夢だろう? 私はその野望をほぼこの手に収めていると言っていい!」

「……」

 恍惚として美貌を自慢する魔女さんにうわーっとなる。

 道理であのカワズさんと縁が深くなるはずである。

 やばいな、本気で危険を感じてしまった。

 この事に関して物申すなど、それこそ自殺行為と俺は悟った。

「まぁそう言うわけだから、薬の効き目だけは保証してやるよ。この森に棲んでいるのもいい薬草が採れるからなんだ」

「はぁ……まぁ、ありがとうございます」

 経緯はこの際目を瞑るとして、あのままくしゃみの度にとんでも効果が出るよりは遙かにマシなだけに、素直に頷く俺である。

 ようやく満足げな顔をした魔女さんは、よしよしと俺の頭をポンポンと撫でていた。

「そう言う事。わかっているなら諦めな。それより私はあんたに聞いておきたいことがあるんだ」

 だけど一転して魔女さんの目がかなり真剣なものに変わった。

 ついさっきまで怖いくらいの熱で語っていたのとはまた違う、今度はずいぶんと真逆な真剣さに俺も身構える。

「……なんです?」

 俺も一応首だけ魔女さんの方を向けるが、とてもじゃないが、穏やかな気分ではいられない。

 魔女さんは、キセルの煙をいっそう深く吸い込んで一旦間を置くと、時間をかけて吐き出す。

 そしてしばらく蛇のように伸びた紫煙を目で追って間を測ると、苦々しげにこう切り出したのだ。

「はぁ……そうさなぁ。あんたはあいつが呼んだのかい?」

 一瞬意味が分からなかったが、冷静に考えてみると「呼んだ」の意味で思い当たるのは一つしかない。

 俺は頷いた。

「そうですよ。召喚って奴です」

 それを聞いた途端、やっぱりかと肩を落とす魔女さんはどこかさびしげだった。

「……そういう事をする奴じゃなかったんだけどね。焼きが回ったか?」

 どこか遠くを見ながら魔女さんは深くため息をついて、キセルから灰を落とす。

 これは……何かカワズさんが株を落としているらしい。

 あの様子だとカワズさんが自分から名誉を回復することはないだろう。

 この事に関してカワズさんをフォローするのは甚だ不本意だったが、俺は口を出していた。

「魔法を……残したかったらしくって。死に際の悪あがきだったらしいです」

 ただ明らかに矛盾している俺の言葉に、魔女さんはさっそく眉をひそめていたが。

「はぁ? でもあいつは生きているだろう? どういうわけか蛙だったけどさ」

「あれは俺が生き返らせたんですよ、蛙だけに」

 しかし俺はあえておどけて言ってみた。

 少しはこのギスギスした空気を和ませてみようとしたのだが、俺の言葉を聞いた瞬間、魔女さんは立ち上がると、血相を変えてがっちり胸ぐらを掴んで来たのだ。

 俺はわけがわからず目を白黒させた。

「……! お前! 死者を蘇えらせたって言うのか!」

「一応そうです」

「ふざけている! ひょっとして……あいつが残そうとした魔法はそれか?」

「違いますよ」

 どこか戸惑っている様子の魔女さんの言葉を、俺は否定する。

 そんなもんじゃない。

 カワズさんが残そうとしたのは、さらにとんでもない魔法だ。

「ならなんだ?……あいつは何の魔法を残そうとした?」

 葛藤がなかったわけではないが、魔力がばれている以上恩人にこれ以上隠しておく気もない。

「魔法創造。魔法を創る魔法です」

 そして俺は告げた。

 その意味を理解したのか、それとも元から知っていたのか、俺から手を放すとふらふらと元の椅子に戻った魔女さんは力なく椅子に座り直す。

「そうか……あいつ、完成させていたのか」

 そしてぼそりと呟くように言った言葉は、俺の耳にも届いていた。


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