八十三話 魔女の森 1
「…………だるい」
ぼそりと俺はほとんど無意識に呟いていた。
リビングで魔導書を読んでいたが、まったく頭に入ってこない。
俺の呟きが聞こえたのだろう、同じく机の反対側で本を読んでいたカワズさんが何気ない口調で尋ねてきた。
「なんじゃ? 風邪でも引いたか?」
「……そうかもしれない」
とにかく身体が重いのである。
腕一本上げるのも億劫で、今朝も食欲が全くわかなかった。
それにいつだって妖精郷はとてもいい気候だというのに、寒くて堪らないというのだから風邪の症状によく似ていると思う。
しかし風邪くらいなら魔法で予防出来そうなものなのに、そこだけが引っかかった。
「まぁ、しばらく寝てれば治ると……あら?」
風邪くらいで大騒ぎするのもなんだかなぁと思っていたのだが、不意に体から力が抜けていた。
「おい?……タロー!」
「あー……」
フラリと体が傾き、視界が歪む。
それから空気が抜けたみたいに脱力感が襲ってきた。
どうやら俺のスイッチみたいなものは一旦切れてしまったようだ。
「……タロー殿! タロー殿! しっかりしてください!」
「タロ! 何やってんの! タロ!」
誰かが必死に呼ぶ声が耳に届いてきたのは、たぶん意識が戻ってくる直前だったのだろう。
興奮しているのか声そのものは大きめだったが、とてもきれいな声だった。
これはたぶん……ナイトさんか?
後半はトンボちゃんかもしれない。
ひんやりと冷たいものがおでこの辺りに押し付けられていていたが、どうやら手のひらの様だった。
サイズ的にトンボは無理だろうから、ナイトさんだろう。
ならば今目覚めた方がいい。
いや、今目覚めねばいつ目覚めるというのか?
目をそっと開くと、そこにはナイトさんの顔が……
「…………いつか同じようなことがあった気がするけど、正直あの時以上のインパクトだよ」
「具合を見てやった恩人に向かって第一声がそれか?」
暗闇から現れたのはでっかい蛙顔だった。
大分なれたと思っていたが、至近距離はやっぱり結構クル。
いつの間にか俺は自分のベッドに寝かされていて、それを取り囲むように見知った顔が見えた。
まずは俺の頭に手を当てているカワズさんだ。
そしてその後ろにはなんだか心配そうな顔のトンボと、両手の拳を握りしめ、おろおろしているナイトさんの顔も見えた。
洗面器を持っているのはクマ衛門だが、なんだかとっても久しぶりな感じだった。
このメンバーなら多少医学の心得があるのはカワズさんだけなので仕方がないのだが、それでもどこか期待を外してしまったと感じる俺はどこまでも馬鹿だと思う。
衝撃のあまりもう一度気が遠くなったが、何もそれは精神的ショックだけの話ではないらしかった。
身体を動かそうとしてみたが、今一力が入らないのだ。
どうやら本格的に俺は病人になってしまったらしかった。
「どうなのですか! カワズ殿! タロー殿の容体は!」
「大丈夫なんだよね!」
「ふむ……こいつは風邪じゃないな。たぶん魔法使いになりたての奴がたまにかかる奴じゃ」
「そ、そうなのですか?」
「たぶんの。わしも医術は専門外なんじゃが、この症状は見たことがある。
簡単に言うと魔法を扱いなれん人間が魔法を多用すると、たまにじゃがこうやって体調を崩す者がおるんじゃよ。
一説では魔力を使うという未知の感覚に、体と魂が拒絶反応を起こしておると言われておる」
「それは大丈夫なんでしょうか……」
戸惑いながらナイトさんが問いかけるのを、なんだかすごく大事のように聞こえたので、俺も布団の中から聞き耳を立てる。
ごくりと生唾を飲み込んで診断結果を待っていたら、カワズさんはたっぷりと勿体つけると一度頷いた。
「こんなの大した事じゃないわい。まぁこいつは魔法が原因だけに魔法でどうこうしようとすると悪化するがのぅ。時間はかかるが……それでも五日も寝とれば余裕で治るじゃろう」
カワズさんがそう言った瞬間、部屋の中に張り詰めていた空気がふっと緩むのを感じた。
「ホント! よかったー! 何事かと思ったよー」
「本当ですよ……」
「がう」
「あー……ごめん。心配かけたー」
実は俺もカワズさんの説明でちょっとほっとしていた一人である。
本当に自分でも原因不明で、何事かと思っていたのだ。
となると心配させすぎるのもよくないだろう。
俺はちょっとでも安心させようと体を起こそうとしたが、慌てたナイトさんに止められてしまった。
「寝ていてください! そうです安静が一番ですので!」
「……了解です。じゃぁお言葉に甘えてちょっと休ませて……ハ……ハ……」
「だが……ちょっと気がかりなことはある」
「ハクシュン!!」
急に鼻がムズっときて、くしゃみが飛び出した。
しかし次の瞬間、ズンと地鳴りのような音がして、全員が黙り込む。
俺自身はくしゃみの瞬間だったせいで今一わからなかったが、どうやら何か揺れたようだった。
「……なんじゃい、今のは?」
「……地震でしょうか?」
「妖精郷に地震はないよ?」
皆口々に言うが、状況は把握出来ない。
確かにトンボの言うように、ここは作られた異界だけに地震なんてものは存在しないのだが、いったい何事だろうか?
クマ衛門が額に濡れタオルを当ててくれるが、しかしどうにも頭も回らない。
そのまま気にせず眠ろうとしたのだが、その時玄関でドカンとドアが蹴破られたみたいな音がした。
何事とかと思う間もなく、続いて俺の部屋のドアが踏切板みたいにたわんで飛んできて、俺はあまりのことに何が起こったのかわからずに、混乱するだけだ。
きっと玄関も同じ惨状なのだろうが、文句を言える雰囲気でもない。
何しろ、いつもなら登場の演出に並々ならぬ意欲を見せる女王様が、顔色を変えて突入してきたのだから、全員がポカンとするのみだったのも仕方のないことだろう。
「……なにごとですか?」
「もう女王様! 病人がいるんですよ!」
我に返ったナイトさんとトンボが抗議の声を上げたが、女王様は意にも解さない。
「お前らなにをしたぁ!」
怒鳴り込んできた彼女はいつもの落ちつきなどどこかに置き忘れて来たようだった。
「いったい何事ですか?」
「外を見ろ! 外を!」
部屋の窓を指差してまくしたてる女王様に四人が揃って外を見て、そして再び絶句する。
何事かと俺もなんとなく外に視線を向けてみると、そこには大きな亀裂の様なものが空に浮いていたのだ。
「妖精郷の結界が壊れかけたんだぞ! 何をいったいどうすればこうなる!」
怒り心頭の女王様にカワズさんがあちゃぁと額を抑える。
そしてある仮説を口にしたのだ。
「この病気の時は……もう一つ症状があってな。普通なら大したことはないんじゃが」
「な、何があるというのですか?」
カワズさんに詰め寄るナイトさんにカワズさんは言った。
「魔力の制御が極端に甘くなる……。
普通は小物が壊れたり、弱い魔法がはじける程度なんじゃが……こいつの場合、そもそも魔力が桁外れじゃからなぁ」
「ど、どうなるの?」
トンボが固唾を飲むと、青くなったカワズさんが空元気っぽい感じで言った。
「ハハハ……かなり危ないかのぅ? いったい何が起こるやら?」
「今すぐ治す方法を考えろ!」
「ぬおおおおお……」
ぐりぐりとカワズさんを捕まえてコメカミに拳をこすり付ける女王様に、なすすべもないカワズさんがやられている。
「あー、ほんとすんません……」
とにかく早期治療は急務の様だった。
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