三十五話 コスプレの境界 3
「……」
「……えっと、もう泣き止んだ? 泣かないでね? ほらあったかいココアだよ?」
「……ごめんなさい、ありがとう」
ようやく落ち着いた彼女をどうにかリビングまで連れて行って、ココアをふるまってみる。
スプーンでかき混ぜられたココアからは温かそうな湯気が立ち昇っていて、ぐるぐると渦を巻くそれを彼女は不思議そうな顔で見ていた。
いやぁ焦った焦った。ともかく俺としては泣き止んでくれたらそれだけで満足です。
平静を取り戻した女の子は早速簡単に身だしなみを整える辺り、さすが女子である。
今は毛布を肩からかけてこそいるものの、長い髪を後ろでまとめていて幾分すっきりとした印象だった。
ただ、手早くまとめた割りに様になっている所を見ると、どうやらこれが本来の髪型らしかった。
だが落ち着いているからといってまだ油断はならないだろう。
青い瞳は未だ涙で潤んでいるし、また泣きだしやしないかとおっかなびっくり俺は女の子の前に座っていた。
すると女の子はココアに口をつけるかと思いきや、唐突に口を開いた。
「……あなたは、何者なんですか?」
「いきなりくるね、君……。なんだと言われても困るけど、異世界人? 魔法使い? とりあえず大学生でしたが?」
「もうちょい言いようはないもんかの?」
「うるさいよカワズさん……」
余計な茶々を入れながらカワズさんが頭を何度も小突いてきたので、お返しに足を踏み返す。
「……」
「……」
お互いに睨み合っていたら、何がおかしいのか女の子はクスリと笑って言った。
「……仲、いいんですね」
「「どこが」」
心外な指摘に憮然とそう言うと、なぜか肩をすくめられてしまった。
「……いえ、別にいいんですけど。その恰好、やっぱりあなたも召喚されたんですか?」
気を取り直した女の子の、必ず聞いてくると思った質問に、俺は待ってましたとばかりに大きく頷いた。
「まぁこの馬鹿ガエルに誘拐同然で」
「いふぁい! いふぁい!」
俺がカエルのほっぺたの伸び具合の限界を見極めながら、当時あった痛ましい事件を教えてあげると、彼女は案外普通で真顔だった。
どうやら俺とカワズさんのやり取りはスルーの方向でいくらしい。
ちょっとさびしい。
「そうですか……私は一年位前にここに。ヴァナリアという国で召喚されて、そこでずっと戦わされて、ました」
だが女の子の突然の衝撃告白でさびしいなんて言っていられなくなってしまったが。
なんというか、よくある話と言ってしまっていいのか判断に困るところである。
「……それってカワズさんの国じゃないだろうな?」
じろりとカワズさんを睨むと、カワズさんは慌てて両手を振って否定した。
「違う違う。わしのおったのはガーランド。 ヴァナリアはお隣じゃよ。
神聖ヴァナリア、宗教色の強い小さな国じゃが歴史は古く、隣国への発言権の強い国じゃな。
古風な魔法儀式をやっておるとは聞いておったが、よもや異世界人召喚までとは、ということはお前さん勇者か?」
いよいよなんとも馴染み深い単語が出てきたなと思ったのだが、俺がなんとなく様子を伺うと、その言葉を聞いた女の子の方はとてもじゃないが愉快とは言い難い顔をしていた。
と言うか、むしろ渋い。
その表情は、嫌悪感を隠しきれていないようだった。
「……はい。確かにそんな風に呼ばれてはいました。でもそんなもんじゃない、あいつらからしたら私なんて使い捨ての道具みたいなものです」
その嫌悪感を絞り出すように吐き捨てる彼女は辛そうではあったが、一年という時間、そんな目に合わされたというのに、今だに反骨精神を保てるだけでもすごいと思う。
これが勇者か。
今だ折れない強い心は、俺みたいな凡人には到底不可能な芸当だろう。
しかも思ったよりも美形で、その上女の子。
いや、美形である事、カリスマがある事も勇者の条件ということなのか?
俺が引っかからずに済んだのは、このあたりが原因かと考えるとなかなかうれしいのか悲しいのか微妙気分になるよね。
しかし思った以上に、勇者とやらの扱いはぞんざいだったらしい。
そら見た事かと誰かさんに小一時間ほど説教をかましたくなった。
「……なんか扱い悪いみたいだぞ、カワズさん?」
来るだろうと思っていたのだろう、カワズさんはすでに俺の方から視線を外している。
そんな事をしても答えは聞かせてもらうが。
そのままじーっと見つめていると、プレッシャーに耐えかねたカワズさんは重い口を開いた。
「……まぁそうじゃろうな。勇者と言えば聞こえはいいが、戦力として呼び出した以上、そう優雅にとはいくまいよ」
だろうと思ったよ。
心持ち俺は勝ち誇った顔をしつつ、しかしそれなりの同情心は湧いてくる。
一歩間違えば自分がこうなる運命だったかもしれないのだから、結構他人事ではないだろう。
まぁ選ばれたかどうかは置いておくとして。
「じゃあやっぱり、相当きつい目にあってたんだなぁ。さっきの手際を見ていたら、只者じゃない感じはしたけど」
「あの時は咄嗟で! ごめんなさい……」
自分のやったことを思い出したのか、素直に頭を下げる女の子だったが、俺としては実際そんなに気にしてもいなかった。
「ああいや、いいよ。女の子の寝顔を覗いていた俺も悪かったよ。それに敬語もいいや。そんなに歳も変わんないみたいだし」
「うん……ありがとう」
そう感謝の言葉を口にして、彼女はようやく少し冷めてしまったココアに一口口をつけた。
「よしよし。じゃあ自己紹介を、俺は紅野 太郎。ほんの少し前に異世界から召喚された日本の大学生です」
「私は……天宮マガリ。日本の高校に通ってたんだ」
「へぇ、天宮さんか、外国人かと思ってたよ」
「えっと、私は母がフランス人で、父が日本人なんだ」
「……んん?」
唯の自己紹介に過ぎない。
しかし強烈な違和感が俺の中を走り抜けていた。
そしてその正体に気がついた時、俺は思わず天宮と名乗った女の子の肩を掴んで詰め寄っていた。
「……今、なんて言ったのかな?」
「えっと……母がフランス人で?」
「いやいや、な、名前の所をワンモア」
「天宮マガリです……けど」
「……」
沈黙する俺。
ジンワリと言葉が俺の体に染み入ってきて、頭に到達する。
それっきり黙ってしまった俺に、カワズさんが戸惑い気味に肩に手をかけてきた。
「ど、どうしたんじゃ」
声をかけられたとたん、涙腺から熱いものが流れ出た。
どぱっと。
「泣いた!」
それはもう感涙である。
若干引き気味のカワズさんだったが、そんな事を気にしている余裕なんてあるわけない。
「カワズさん……自己紹介でまさか感動する日がくるとは思わなんだ」
「気にはしとったんじゃな、やっぱり」
「天宮さんね、いい名前や。ほんとーにいい名前や」
「それは……どうも」
泣きながら両手で握手したら女子高生に微妙な顔をされてしまった。
だがそこは俺にとって、大きな躍進だったので許してほしい。
「さて……感動に浸ってる場合じゃなかった。さっそくあだ名をつけないと」
「あ、結局つけるんじゃ」
「当たり前だろう。そういうキャラ付なんだから。俺も個性出そうと必死なわけよ」
それに最近は変なこだわりみたいなものも生まれ始めているのだ、今更辞められるものですか。
「だけどせっかく名前がわかるんだから、アマミーとか、マガリンとかでいって見るのもいいかもなぁーなんて」
ああ、なんてニックネームをつけやすいんだ。
このまますんなりと呼び方を定着させてしまおうかと、そう考えた俺に、異を唱える者がいる。
その名はカワズさんである。
「いやいや……本当にそれでいいのかの? あくまで見た目でつけることこそ、意味があるのではないか?」
そう主張するカワズさんに妙なプレッシャーを感じて、俺は気が付いたら何が悪いのかと悲痛に叫んでいた。
「何を言い出すんだ? 名前に沿った方が……しっくりくるに決まってるじゃないか!」
これは純然たる事実!
だが主張する俺に、ゆっくりと首を振るカワズさん。その瞳にはわずかながら憐みが見て取れた。
「……考えてもみぃ。お前さん、今言ったあだ名、誇って私が付けましたと言えるのかの?」
「!!」
カワズさんの言葉にはなんの合理性も読み取る事は出来ない。だが俺の魂が、その先を言う事を躊躇わせていた。
そして、この沈黙こそがすべての答えである。
「そうじゃろう? ならばお主が心に秘めた……胸にしまっておる真実のあだ名があるのではないか? それをざっくり披露してやるがよかろう!」
なんということだろう。
俺は名前がわかるという事実に、舞い上がっていたようである。
今までの涙ぐましい努力も忘れ、見た目から命名するという、そんな些細なことすら、容易さという言葉に負けて怠ろうとするなど愚の骨頂!
それならばざっくりと披露してやろうではないか!
「カワズさん……俺、間違ってた! やってみるよ俺! 今日から君のあだ名は!」
その通りだ、インスピレーションこそ至高。
心から湧き出したものこそ真のニックネーム。
俺は目の前の女の子を指差し、真のあだ名を宣言した。
「セーラー戦士だ!」
お気づきの方もいるだろろうが、悪乗り以外の何物でもないです。
「! この格好にはわけがあって!」
それを聞いた途端、セーラー戦士は真っ赤になって必死に言い訳しだしたが、もう決定なので。
せっかく腹の中にしまっておいたのに。
我慢できなかったんだ。
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