二十五話 娯楽地獄
特に何かを期待していたわけじゃない。
ただ猛烈に変わった環境で、何か今までとは違うことがあるのではと思ってはいただけだ。
今までと違うことも……もちろんあった。
何せ、ここは正真正銘異世界なんだから。
そう、ここは異世界なんだよ。
魔法があって、魔物がいて、人外魔境が結構身近にあるような、そんな世界なんだ。
なのに。
「……」
「なんじゃ? その不満の滲み出したような顔は」
「……いや、異世界まで来て勉強させられるとは思わなくてさ」
さっそく出来上がった家で俺達が何をやっているかというと……。
お勉強をしています。
俺の目の前にはどこから持ってきたのか、大量の魔法の本が真新しい勉強机に山になって積んである。
こんな異世界の、妖精の住処まで来て。
勉強。
秘境の奥地まで足を踏み入れて。
勉強……。
言いたいことが喉元までこみ上げたが、俺はぐっと我慢した。
「ありがたく思ってええぞ? わしが直々に魔法を教えてやるんじゃからな?」
さらに偉そうなカワズさんにハリセンでツッコミを叩き込みたくなったが、それでも怒りを飲み込んだ今日の俺の忍耐力はK点越えだ。
「ヘイヘイありがとうございますだー」
「……感謝の欠片も見当たらんなぁ。まぁ、お前さんがこうやって素直に机につく事自体、わしには驚きじゃけどのぅ」
本当に意外そうにカワズさんは言うが、はなはだ心外な話だった。
「そりゃぁな……。魔法は俺の命綱だし」
仏頂面だと自覚しながら、言葉通り俺は真面目に本に目を走らせる。
自業自得と言ってしまえばそれまでだが、俺だって悪いとは思っているのである。
主に山を吹き飛ばしたり、ジャンボ豆の木を爆誕させたり。
少なくてもいいことじゃあるまい。
それもこれも、俺がへたくそなせいなのだから、言い訳すらする気になれなかった。
「ほう? その辺りを理解しておれば、とりあえず問題ないわい」
そしてカワズさんは無造作に新しい本を数冊、本の山に追加したのだ。
「……!」
思わず本の山に手を伸ばしかけ、言葉にならない悲鳴を上げる。
「なんじゃ? これ位は当然じゃろ?」
ふふんと得意顔のカワズさんに俺は……咄嗟に虚勢を張ってしまった。
「お、おう。やったりますとも」
しまったと思ったが、もう遅い。
言質を取ったカワズさんは一層笑みを深くして、今度は紙の束を積み上げる。
「それじゃあ、やってもらおうかの! ついでにこいつにレポートをまとめておけよ?」
「……うっす」
死なばもろとも、こうなればとことんやってやる。
なに、それなりに休憩位くれるだろう。
その時にでも妖精郷を見て回れば、それなりの満足感を得られるだろうさ。
なんてことを考えていたのだが、すぐにその甘い考えは打ち砕かれた。
「それと、とりあえず全部終わらせるまでは外出禁止じゃから」
「な! そりゃないだろう!」
「まぁ、お前さんがアホみたいに高い塔を建てたりしないようになれば……必要ない所じゃがな」
「ぐ……あ、あれはイメージ通りだって。スケールアップはしたけどさ」
ばれてる、実は縮尺を間違えたことがばれてる。
どうにか動揺を出すまいと苦心していたが、俺の考えていることなどすべてわかっているかのように、カワズさんは軽く嘆息していた。
「……じゃあそうならんようにしっかりやらんかい」
「いや、それにしたってもう少し……」
「そうじゃのぅ……。外出禁止はちと厳しすぎるな」
「そうだろう! そうじゃないかと思っていたんだ!」
一縷の望みに目を輝かせた俺は、まるでわかっていなかった。
カワズさんは俺にカエル面をずずいと近づけると、にんまりとそれはもう楽しそうに付け加えるのだ。
「半分は外で魔力制御の訓練をつけてやるわい」
「……」
上げて落とすとはやってくれる。
こうして俺の地獄は始まったのだ。
五日後、干からびた俺は机に突っ伏していた。
精も根も尽き果てるとはこのことだ。
もう力なんて一欠けらだって残っちゃいない、霞む両目でぼんやりと視線をさ迷わせていると、視界の隅に緑色がちらりと見えた。
「なんじゃいだらしない」
しかしこのカワズさんの一言で俺はユラリと幽鬼のように体を起こす。
「お……」
「お?」
「お前が容赦ないわぁぁぁ!」
そして俺の堪忍袋の緒は切れた。
「人の弱みに付け込みやがって! 俺だけ缶詰って! それだけならまだしも飲まず食わずで五徹ってありえねぇよ!」
最初に始めた日から休みなし。
しかも魔法でドーピングしまくりなのだ。
魔法の効果で寝なくてもいい上、飲まず食わずで過ごせるのはもちろんのこと、疲れたら強制回復。
挙句の果てに、同時に何人分の思考で考えられるかなんて、とんでもないことまでやってやった。
その上、カワズさんは訓練と称して異世界の家具を俺に召喚までさせやがったのだ。
自分で作るんじゃなくて、召喚というのが問題である。
いつかの魔力で再現する方法じゃなく、現物が手に入るわけだが、これが恐ろしく魔力を喰うのだ。
間違いなく窃盗だろう、だが異世界まで追ってこれる警察などいるわけもない。
今では我が家にはウォーターベッドに、立体音響のステレオ、65インチの液晶テレビに、IHクッキングヒーターまで完備している。
目下、カワズさんが魔力で使えるように改造中である。
後は推して知るべし、面白がって色々要求してくるカワズさんもカワズさんだか、素直に全部やった俺も俺だ。
しれっとカワズさんは視線をそらすと、平坦な口調で呟いていた。
「……いや、お前はよくやったよ。感心したよ、わし」
「ここは天下のファンタジー世界だろ! 妖精の秘境なんだろう! 窓の外を見ろよ!」
俺は窓を指差すと、そこには見事な湖が広がっている。
「ああいう湖の見えるところに住んでて、家に缶詰だと! 泳がせろ!」
「……ああ、そんなこと考えてたんじゃな」
「あれを見ろ!」
続いて別の窓を指さす、そこには見たこともないような花畑が広がっている。
「あんなすばらしい花畑があるんだぞ! 寝っころがってお昼寝に興じるのが人情ってもんだろうがぁ!」
「ああ、なるほどな……」
最後に両手を広げて俺は力の限り絶叫した。
「受験生でももう少し自分に優しいわ! 謝れ! ファンタジーに謝れ! 何より俺に謝れぇ!」
「いや、だって課題出したらやるんじゃもん……意外と真面目じゃよな、お前さん」
そしてカワズさんがこんな事を言っちゃうもんだから、俺のおでこはガチンとそのまま机に打ち付けられた。
「ツッコミまちかよ! ふざけんなよ! 割と必死に課題こなしちゃったよ! そういえば普通に寝てたよな! 遊びにも行ってた気もするぞ! 俺が知恵熱出してる時に!」
「まぁ……邪魔しちゃ悪いと思って。快適じゃったよ?」
「うるさいわぁ!」
肩で息をして、ひとしきり叫んだ俺は、崩れ落ちた。
肉体的に疲れないから大丈夫とかそんなことない。
精神の方がガリガリ荒削りされたみたいに削れてくるのだ。
睡眠とか、休憩とか、食事とか、いかに大事か、この身を持って知ってしまったとも。
「……こうなったらカワズさん、次は俺が快適ライフを過ごすために協力してもらうからな?」
「快適ライフって……今も十分快適じゃろ?」
「……」
部屋を見回すと……確かに。
いや、そうじゃないのだ、肝心なものが足りない。
「違うんだよ、俺は仙人じゃないんだぞ? うまいものだって食べたいし、楽しいことだってしたいんだよ。 霞を食って満足出来るわけないっての! あー、ネットに触りたい!」
実際は霞すらも食べていないのだから相当だった。
カワズさんも今回は少々悪いと思っていたのか、気まずげに声をかけてくる。
「わがままなやつじゃのう……わしも協力するのはやぶさかでもないんじゃが、具体的に何がしたいんじゃね?」
カワズさんの問いかけに、俺は突っ伏したまま、ぽそりと呟いたのだ。
「パソコンが欲しいんだよぅ……」
「パソコン?」
当然のことながらカワズさんは理解不能な言葉に困惑顔である。
家電製品を用意することはことは出来る。
カワズさんと協力すれば動かすことも可能だろう。
ただ、パソコンだけはそういうわけにもいかなかった。
電波は召喚しようがないし、この世界でパソコンを持っている人間などいないのである。
俺みたいなライトユーザーはネットがなけりゃ何にも出来ない。
無常である。
悩みぬいた末に、唐突に俺は閃いていた。
「ぬぁいならつくればいいじゃない!!」
ガバリと突然起き上がり、握り締めた右拳を机に叩きつけると、カワズさんが壊れた人形を見るみたいなかわいそうな視線を向けてきたが、些細な事だった。
「……お前さん、もういいから寝た方がよくないかの? 前からおかしなやつじゃとは思っとったが、ついに本格的におかしくなっとるぞ?」
「違います! 俺のやりたいことを一気に解消する方法を思いついたのさ!」
「ほ?」
「パソコン作るんだよ!」
「だからなんなんじゃそれは!?」
出来るか出来ないかは問題じゃない。
時間はたっぷりある、やるのだ。
俺のテンションはMAXだった。
あれだよ、徹夜明けはおかしくなるもんなんだよ。
「ふむ、つまるところ、情報をやり取りする道具か」
俺のざっとした説明を聞き、カワズさんは難しい顔で唸っている。
「そうそう、他にも色々使い道はあるんだけどさ。俺くらいの一般人はネットができりゃそれでいいし」
逆に言うとそれがなければまったく意味がない。
もちろん俺にすべてを自作するようなスキルがあるわけじゃないが、魔法で似たような機能の物を作ろうってわけだ。
「面白そうじゃな。それを魔法使いに配るわけか?」
「? いや、配るのは一般人だけど?」
なんでそういう結論に達したかはわからないが、否定するとカワズさんは変な顔をして頬をぷっくり膨らませていた。
「……なんじゃ? 平民の情報なんか、何の意味もなかろうに?」
とカワズさんは何とも失礼なことを言い始めたので、そこは否定しておいた。
「そんなことないだろう? 色々生活に必要なものを作っているのって普通の人だろ? なら物々交換で名産品を送ってもらうんだよ! 転送の魔法でさ! これぞ瞬間お取り寄せ! いつでもうまいものが食べられる!」
魔法の力なら、宅急便に頼っている所を一瞬で出来るんじゃないのか? という閃きである。
テレポートが出来るのなら、可能そうではないですか。
元々通販、特にお取り寄せはよく利用していたのだ。
それが出来るとなれば、もう無敵ではないだろうか?
「……下らんことに魔法を使いよるのぅ」
だがカワズさんはいまいちピンと来ていない様子である。
しかし、呆れるのは勝手だが、下らんとは聞き捨てならなかった。
「カワズさん……あんたは何もわかってない。日本人なめてもらっちゃ困るよ。
うちの民族、食い物のことには本気出すからね? 生活にも潤いが出るってもんじゃろがい!」
それは俺も例外ではないのだよ。
太郎という、日本人に馴染みまくった名前は伊達ではないのだ。
いつも以上に熱のこもった言葉に、カワズさんもたじろいでいた。
「そ、そういうもんかのぅ?」
「そういうもんなの! だいたい、魔法なら誰かに頼らなくても、俺がダウンロードしたやつをカワズさんが研究すれば大抵のことは出来るだろ?」
「……それもそうじゃの」
自慢じゃないが、俺は生きている魔法図書館みたいなものなんだから。
「というわけで! 作ろう!」
「ふむ……ええい! 時間だけはたっぷりあるんじゃ! やってみるかの! お前さんの魔法技術向上にも役立つじゃろうし!」
「あっはっは! そのへんは期待に応えられるかは微妙だがな!」
「だからえばるんじゃない! ならば詳細な企画書を書いてみてくれ! 今すぐに! わしもおぬしのイメージに役立ちそうな魔法を書物から探してみるかの?」
「……え? 今から?」
しかし、カワズさんが乗り気で発した言葉で、俺の熱気は冷水をぶちまけられたみたいに冷え込んだ。
だんだん尻すぼみになる俺の言葉に、カワズさんは不思議そうに首をかしげ。
「当たり前じゃろう? おぬしがやりたいと言ったんじゃろうが?」
「……ぎゃふん」
俺は唇を窄め、目を点にして、ぬいぐるみみたいな顔で床に頭を打ち付けた。
PCらしきものを作り始めました。
そのくせヒロインっぽい子も出てこないこの体たらく><
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