二十二話 トンボの眼鏡はゴーグルです 4
いきなり包囲されてしまったわけだが、カワズさんだけが顔色一つ変えることなく、現れた美しい妖精を前に堂々とした態度を崩してはいなかった。
俺はと言えばビビりまくりである。
少し見ただけでも、槍やボウガンがいつ飛んできてもおかしくはない。
死なないとは思うのだが、先端がこっちを向いているというだけで軽く恐怖を感じてしまうのは、生き物の本能だと思う。
そして何より、目の前の美女のうすら寒い微笑みが、なんとも恐ろしいのだ。
「どうやら貴女がここを管理しておる主の様ですな。直接出向いていただけたということは、状況をそれなりに理解していただけていると思ってよろしいですかの?」
「……我らは、脅しには屈しはしない。汝らが何の目的でここに来たかは知らぬが、早々に立ち去るがよい」
やはり妖精側としては、俺達の受け入れ断固拒否の様だった。
どうするのかと黙って見ていたが、カワズさんはあくまで強気の姿勢を崩さない気らしい。
むしろどこか嬉々としてそうしている風のカワズさんは、不敵な笑みを張り付けていた。
蛙なりにだが。
「ふむ、ご立派なことですな。しかし、わしらの要求を受け入れてくだされば、害どころかむしろ有益な提案だと思いますがのぅ」
「……なんだと?」
意外そうな妖精の主に、構わずカワズさんは言った。
「わしらをここに住まわせて欲しいのですよ」
何をおっしゃるカワズさんである。
こんな殺伐とした所に住みたくねぇよ。
ぎょっとした俺に、カワズさんは気が付いたようだったが、視線が黙っていろと訴えていたので、かろうじて口を閉ざした。
「本気で言っているのか? 魔法使い」
妖精の主もそれは同じだったようで、困惑が顔ににじみ出ていた。
「もちろん。わしらは人間の世界から逃げてきたはぐれ者。少しだけでも場所を貸していただけたらと、そういうお話ですとも。
もちろんタダでとはいいますまい。出来る限りの助力をお約束いたしましょう」
「……信用しかねるな。土地が欲しいのなら奪えばいい。汝らはその力を持っていよう?
そうしないのには、何か別の思惑があるのではないか?」
静かに、しかし顔色一つ変えずに妖精の主は俺の方に視線をずらす。
身に覚えのない俺は、せめて狼狽えないようにと、ただただ沈黙のみである。
「もちろん。わしらは争いを避けたいのですよ。襲って奪うでは、その辺りの獣と大差ありますまい。わしらとしては、理性的な話し合いを求めておるのです」
「これは面白いことを言う、亜人の魔法使いが理性的な話し合いとな?」
態度こそ高圧的だが、あくまで穏やかに言うカワズさんに、明らかに侮蔑の混じった声色で妖精の主は答えた。
とたんカワズさんのコメカミがピクリと震えていた。
しまった、今のはカワズさんの堪忍袋にどストライクだ。
案の定、カワズさんの言葉に棘が出た。
「……ほっほっほ。これだけの兵をかき集めねば話も出来ぬ方のおっしゃりようとは思えませんな?」
「これは我らの方針をわかりやすく伝えたにすぎぬ。例え蛮族と言えど、ここまですれば歓迎されていないことくらいなら理解出来よう?」
二人はあくまで笑顔である。
蛙と美女、見た目コミカルなその組み合わせに反して、言葉の応酬は苛烈さを増していった。
「……ですが、我らもあなた方の態度次第では、必ずしも理性的にふるまう必要もないのですよ?」
「……本性が出たな魔法使い。だが先に述べたように、我らも脅しに屈するつもりなどない。
我ら、その名をすべて大地に還すことになろうとも、最後の一兵まで戦うだろう」
ピリリと走る緊張に、俺は思わず顔覆った。
カワズさん、これは完全に短気を起こしているようだ。この流れはどう考えてもまずいだろう。
「露骨に脅しにいったなぁ……」
「空気最悪だよ……あんた達戦争でもしに来たの? なんか言ってやってよ」
トンボも場の険悪さに青くなっているようだが、俺にどうしろというのか?
はっきり言ってお手上げである。
しかし、このまま放っておいたら間違いなく物騒なことになりそうだった。
仕方がないので俺とトンボによる小声での作戦会議が始まった。
「そんなこと言ったって、俺だってこんなの聞いてないって。な、なんかやってみようか?」
「何かって何を?」
「……こう、場の空気を和ますような? この人が殺せそうな険悪な空気がいけないんだ」
すべてを空気のせいにすると、トンボは思いのほか乗ってきた。
「な、なるほど! それで何するの?」
「そ、そうだな……こんなのはどうだろう?」
俺達がこそこそと話し合いを続けている間にも、カワズさんと主の睨み合いは続いている。
そして、緊張感が頂点に達する最悪のタイミングで口を開いたのはカワズさんだった。
「こうやって睨み合っていても始まりませんなぁ。どうでしょう? ここは一つ、あなた方が懸念している問題の張本人に話をしてもらうというのは……のう? おぬしも何か言ってやれ」
「そこで俺に振るの!……だがどんと来い!」
はっきり言ってここまで盛り上げておいて丸投げはねぇだろうと、カワズさんを殺したくなったが。
プランは練った。
トンボと頷きあい、カワズさんは予想外にやる気な俺達に戸惑い気味である。
「お、おう……」
カワズさんの返事を背に、俺は真剣な表情で前に進み出て、手に持っていた虫かごを前に差し出す。
中にはトンボが愛想笑いを浮かべながら手を振っていた。
「……どういうつもりだ?」
「さて、こちらに種も仕掛けもないハンカチが一つ……」
「?」
俺はおもむろに手から赤いハンカチを取り出した。
もちろん魔法で用意したものだ。
そしてそれを虫かごにかけると、ぱちんと指を弾く。
続いてハンカチを外すとあら不思議、中にいたトンボちゃんの姿が消えていたのだ。
「さてお立合い!」
パンと手を叩いた拍子に、手元にあった虫かごを消す。
拍子に舞い上がったハンカチを掴んで、それをゆっくりと見せつけるように自分の頭の上に持ってくると……。
ぽん!
と小気味のいい音を立てて、ハンカチが煙に変わった。
ファンファーレがなぜか鳴り響き、煙の中から現れたのは……。
「ジ、ジャーン!」
頭の上で両手を上げてアピールするトンボだった。
種も仕掛けもない本当のイリュージョン。
すべて魔法のマジックですとも。
ハンカチを魔法で創りだし、トンボちゃんには姿を消す魔法を使う。
虫かごを消滅させて外に出てもらってから、最後にハンカチも消して姿を消す魔法を解いた。
煙とファンファーレは幻影のようなものでおまけである。
予定では、ここでどっと観客の皆様方からどよめきなり、最悪失笑くらいならあると思っていたんだけど。
「……」
痛いくらいの沈黙と視線が俺達に突き刺さる。
これはもう暴力だった。
俺は背中に大量の冷や汗が吹き出るのを感じていた。
「……うけるっていったじゃない! うけるっていったじゃない!」
トンボも涙目で抗議してきたが、大やけどは俺の方だ。
「……駄目だった! 全然駄目だった!」
「……空気を読め! 何をやっとるのだ!」
「……耐えられなかったんだ! あの重苦しい空気にこれ以上耐えられなかったんだよ!」
「……それでももうちょっとなんかあるじゃろう!」
三人での小声の会議中、ちらりと妖精の方々を覗き見る。
しかし俺の即席魔法のショーは、予想外の反応をもたらしていた。
「なんだあれは? 違う魔法を同時にいくつ使った?」
「どれも見たことのない魔法だ……」
「あの魔力だけでも恐ろしいというのに、我ら全員に幻術をかけたのか……」
お、おや? 期待したざわめきではなかったようだが、なにか後ろの兵隊の方々には動揺が走っているらしい。
「予想外の結果が出てるんじゃないか?」
「……お、おう。いやまぁ、確かにこれは」
どうにかなりそうだと踏んだのか、すぐさまコホンと咳払いして、態度を取り繕ったカワズさん。
俺達も慌ててそれに倣った。
妖精の主様の方も部下の動揺を悟ったのだろう、しばらく目を閉じていたが、何かをあきらめたかのように小さくため息を吐くと口を開いた。
「……わかった。その者が望むのなら、住むことは認めよう。しかしそちらのお前はどうなのだ?」
だがそこで指を差されたのはカワズさんだったのである。
予想外の事態に狼狽えたのはカワズさんだ。
「わしですかの?」
「そう。確かにソレは、我らがどうこう出来るような存在でもないようだ。同胞とも打ち解けているようだし、受け入れないこともない。だがお前はそれにふさわしいのか? 亜人の魔法使い」
「……ほう、力を示せと? わしはこの者の連れですぞ?」
明らかに気にくわないからだろう、いちゃもんをつけた主様もだが、いきなり俺を盾にしたカワズさんも最悪である。
だから俺もせっかくなので付け加えることにした。
「え? 俺らってそんなに仲良かったけ?」
「えぇ?」
それはもう、とんでもないところから不意打ちでも食らったようなカワズさんに俺は続けた。
「いや、そりゃぁギブ&テイクだし。多少、手の貸し借りはするけども、俺カワズさんのために命かけたりとか無理だから」
もちろんせっかく助けた命だ、見捨てるつもりもないのだが、それはこの場では言わなくてもいいことである。
「……う」
「う?」
「裏切り者!」
そして手ひどい裏切りを受けたカワズさんは叫んでいた。
「人聞きの悪い。試してくれるって言ってんだから、素直に試されたらいいじゃないか。俺もカワズさんってどんな魔法使いなのか見てみたいし」
そういうと、カワズさんは最後まで恨みがましい視線を向けていたが、ようやく諦めて肩を落とした。
「……ええい! わかったわい! わしの力見せてやるからしっかり見とれ!」
そんなカワズさんを見て、やる気を出したのは妖精の主である。
笑みを一層深くして、彼女は一歩進み出た。
「やる気になったか、魔法使いよ。ちょうど退屈しておったところだ、妾が直々に相手をしよう」
「女王様!」
だが彼女の不意打ちに意表を突かれたのは、取り巻きの方々らしい。
とたんに慌てだした彼らを主様は一瞥して、しかし彼らはそれだけで黙らされた。
「よい。控えておれ」
カワズさんはぶつぶつと恨み言を呟きながらも、ぴょんぴょんとステップを踏む。
構えは思ったよりも様になっていたが、対して主様はピクリとも動く気配がなかった。
「で? どのように力を示せば?」
「好きなように。これは戯れだ」
「そうですか!!」
吐き捨てるように言うと、カワズさんはいきなり跳んだ。
そしてすぐさまいくつもの魔法陣がカワズさんの目の前に展開されてゆく。
その数は三十を優に超える。
妖精達の息を飲む様が、それがカワズさんの魔法の腕が卓越したものだと教えてくれた。
「ほう……なかなかやるようだ」
打ち出されたのは大量の水の弾だ。
一つでも大木を打倒しそうな水の塊が魔法陣の数だけ現れて落下していく様は、まるで滝の様だが、肝心の標的には当たることがない。
主様の魔法陣によって水がすべてドーム型に弾かれ、凍りついたのだ。
「だがまだまだ……」
余裕で受け流したかのように見えた。
だがすぐさま氷壁が叩き割られ、飛んできた石礫によって、彼女の表情は一変させられていた。
「……!」
氷が砕かれ、破片が降り注ぐ。
尖った岩の混じったそれは、散弾銃のように標的を捕える。
どうやったかは知らないが、主様の方は危ういタイミングでそれをそらした様だった。
そして、着地したカワズさんは得意の絶頂である。
「ほっほっほ、これでも五百年魔法使いとしてやっておりましてな、油断が過ぎれば足元をすくわれますぞい」
「……なるほど、蛙と思えば狸であったか」
水はただの目くらましだったらしい。
ゲコゲコと得意満面のカワズさんを見ると目論見成功という顔をしていた。
「あんなに次々魔法って使えるものなの?」
トンボが驚いているところを見ると、意表を突いた奇襲だったようである。
美しい妖精の顔に一筋、赤い筋が現れると兵士達が顔色を変えた。
しかしそれを一喝したのは他でもない妖精の主である。
「控えよ、戯れと言った」
だが戯れとは言ったものの、その表情からは先ほど以上に残忍な笑みが浮かんでいる。
俺も恐怖のあまり鳥肌が立ったほどだった。
「……少し本気を出そう」
そんなセリフから続いて展開された魔法陣、そこから現れたのは光球だった。
バレーボール大のそれは、主様の周りをゆっくりと旋回しながら力強く輝いている。
しかしその数が尋常ではない。
清流の蛍でもここまではないだろうというくらいの光の軍勢は。
「いけ」
そっけない一言と共に、カワズさんに向けて放たれた。
「……これはこれは」
カワズさんの顔にも焦りが浮かぶ。
だが、カワズさんはおおよそ魔法使いとは思えない行動に出た。
「行くぞい!」
「マジか!?」
これには流石に俺も驚いた。
カワズさんはその光の群れに、無謀にも正面から突っ込んだのである。
これで終わりかと息を飲んだが、その予想はいい意味で裏切られることになった。
「見える! わしにも動きが見えるぞ!」
カワズさんは某新人類みたいなことを叫びながら、なんと魔法をすべてかわしていたのである。
踊るように、蛙特有のしなやかな、それでいて躍動感あふれる動きでかわすカワズさんは輝いていた。
実際、カエルの油でテカリ輝いているカワズさんはその表情含めて生き生きとしていた。
なんて言ってる場合じゃないほど状況は切迫していたが。
「ちょっと! あのカエルの人死んじゃうよ!?」
「あー、いや大丈夫だろう」
「なんでそんなこと言えんの? 相手は女王様なんだよ? この里で一番強いのに!」
ハラハラしながら見ているトンボはもはやどっちの味方なんだと思うようなことを言っていた。
確かに彼女の言うように、それは無謀なことなのかもしれない。
しかし、それでも俺にはどこか安心して見ていられた。
「うーん、そうなの? でもあのカワズさんがそんなに簡単に負けるわけないと思うんだよね」
「……なんなのその自信?」
本当にわけがわからなさそうなトンボには悪いが、俺にだって今一よくわかってなんかいないのだ。
ただ、ここまでの短い道中、俺なりにカワズさんと付き合ってきて、わかったこともある。
それは他のことならともかく魔法において、俺みたいな奴になんら劣ることがないほどに、カワズさんが卓越しているということだ。
そんなカワズさんが、相手がだれであろうと魔法で負けるわけがないと思うだけだ。
「まぁ簡単には負けないよ、年の功って言葉もあるし」
「ほんとにー?」
たかる虫のように追いすがる光弾相手に、カワズさんはまだ頑張っていた。
「ふはははは! やれる! やれるぞわし! これならあと百年は戦える!」
「……ものすごく調子に乗ってるように見えるんだけど」
「……大丈夫……だと思うよ」
年の功などまるで感じさせない、血気に逸った若者のようなカワズさんは、一旦光弾を引き離すと、標的へと狙いを定めて加速する。
「よし! 慣らしはこんなもんじゃろう! 見せてやろう! 若かりし頃極めた武勇の極み!」
カワズさんはきらりと目を輝かせ、高く、それはもう高く―――跳んだのだ。
「ケー! 食らえ! 必殺! カワズ三段おとし!」
太陽を背に無駄にかっこよく映えるカワズさんの影を、全員が注視していた。
力強いその姿に、その場にいる誰もが思った。
「ばかか」
それは絶好の的だろう。
すべての光弾がカワズさんに向かう。
「ぬ!」
続いて起こる派手な閃光は、着弾の瞬間膨れ上がり空気を震わせた。
「やられちゃった……んだけど」
「……」
こうして、カワズさんはその勇姿もむなしく空で散った。
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