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一話 ここがどこだか教えてほしい 1
「……なんだか半生を偉そうに語られた気がする」

 変な夢で目が覚めた。

 しかし目が覚めたという割には、どうにも霞がかかったように感覚がはっきりしなかった。

 まずここがどこだかわからない。

 右を向いても左を向いても、見たことも聞いたことも、ついでに言うなら床すらない七色の? ともかく謎と言うのがなによりぴったり来る空間なのだ。

 そんな謎空間にふわふわと俺は浮いている。

 なにこれ、意味がわからん。

 混乱と脱力感で眩暈を覚えたが、しかし目先の衝撃はそれをたやすく上回っていた。

「……」

「……」

 なにがおかしいって、目の前にいるこいつがおかしい。

 見知らぬ半透明の爺さんもまた、浮いていた。

 しかも鼻がくっつきそうな至近距離でだ。

「なんなんだこの状況……」

 はっきり言って悪夢である。

 しかも現状指一本動かせないとくれば、もうため息しか出てこなかった。

「……夢じゃよ。ここはお前さんの夢の中じゃ」

「そうか……嫌な夢もあったもんだな」

 どうやら爺さんも俺も口だけは利けるらしい。

 だが肝心の話し相手は、口を開いてもとことん意味不明だった。

 それでも俺は何とか、目の前の爺さんを理解しようとがんばってみたんだ。

 それしか出来なかったとも言う。

 人間観察というのは趣味ではないが、この際仕方がないだろう。

 見た目は長い顎髭に、ローブ姿という、いかにも魔法とか使ってきそうなデザインの爺さんである。

 しかし、どこか目が虚ろで、特に半透明なのが気にかかった。

 はんとうめい。

 実に不可解な単語である。

 というかなんで半透明? 近所のネコだってもうちょっと存在感があるぞ。

 俺はさっそく匙をあさっての方向に放り投げた。

 わかるわけねぇし。


 現状を簡単に整理しておこう。

 俺、紅野 太郎は何の変哲もない大学生である。

 そもそも、ついさっきまで大学で講義を受けていたはずなのだ。

 まぁ少しばかり、夢の世界に旅立っていたことは否定しないが……ともかく授業を受けていたことだけは間違いない。

 それなのに、今は七色に輝く不思議な空間で、ジジイといっしょに漂っていると。

 ひょっとしてあれか?

 ちょっと閃いた。

 守護霊とかいうやつ。

 これは居眠りした俺に、先祖のじいさまが夢枕に立って、お説教しに駆けつけてくれたんじゃないだろうか?

 だとすれば……ここは一つ、謝罪でもしておかねばならないだろう。

「これはこれはご先祖様。申し訳ありません。私めは授業中に居眠りなどしてしまいました。
正直に告白し、今後こういったことがないように反省いたしますので、どうか成仏してくださいませんかね?」

「……わしゃ、別にお前の先祖の爺さんじゃないんじゃがの?」

 誠心誠意頭を下げたというのに、爺さんは気まずげにそう言ってきた。

 どうやら早とちりだったらしい。

「あー、そうなんだ。いや、たしかに変だとは思ったんだ。顔も見たことなかったし」

「……適当なやっちゃなー」

「よく言われるけど、長所だと思っている!」

 爺さんの呟きに、俺は自信満々に答えておいた。

「どうなんじゃろそれ?」

 首をかしげる爺さんだったが、今はそんなことはどうでもいいのだ。

 俺はなるべく相手を刺激しないように、気軽な口調で尋ねてみることにした。

「まぁそれはいいよ。ところでここが夢ってことは、ようは目が覚めればいいんだよね?」

 俺としては言葉使い同様、心構えも気軽なものだったんだ。

 夢なら覚めるだろう。実に当たり前のことだ。

 しかし爺さんの答えは、俺のそんな思惑を簡単に裏切ってくれた。

「……いや、残念ながらこの夢は覚める事はないじゃろう」

「あー、……なんで?」

 理解出来ない答えに、動揺してしまった。

 だがそんな俺に、爺さんはどこか慈愛に満ちた表情でこう言ったのだ。

「まぁ、戸惑うのも無理はないがのぅ。だがこれはすごく幸運なことなんじゃよ?」

「いや、さすがにふざけるなと」

 思わず俺の言葉尻もとんがってしまった。

 覚めない夢など死んでいるも同然じゃないかと思うのだが。

 しかもセクシーな美女とならともかく、こんな幽霊爺さんと永遠に夢の中などごめん被りたい。

 趣味の悪い冗談と言うのならまだよかったが、爺さんはそんな風でもないようだった。

「正確に言うなら、今のおぬしは我が魔法の術中におる」

「ならさっさと出せよ」

「……せっかちな奴じゃのぅ」

 不満そうに口をとがらせる爺さんもだが、何ともファンタジーな台詞に一層うんざりさせられた。

 魔法だと?

 何を馬鹿なという感じである。

 格好が魔法使いっぽいからって、そんな設定まで凝らなくてもいいと思うのだが。

 ただ本当に頭が痛いのは、実際おかしなことになっているのも確かだということだろう。

「魔法……はともかく、なんの目的でこんなことを?」

 現状を打開する方法を目の前の爺さんなら持っているだろうと、そう希望も込めて尋ねてみるとが、いきなり爺さんは真剣な面持ちで力強く宣言した。

「単刀直入に言おう、わしの世界に来てもらう!」

「え? 嫌だけど?」

 即答したら、爺さんはちょっと涙目になった。

「……そんなすっぱり断らなくても」

「いや、断るでしょうよ。俺、今花のキャンパスライフ真っ最中よ?」

 爺さんには悪いが、俺じゃなくても断ると思う。

 こちとら春に入学したばかりの新入生なのだし。

 つらく苦しい受験勉強がようやく終わり、束縛からやっと解放されたというのに、なぜ故にこんな、不思議爺さんの戯言に付き合わねばならないのかと。

 否、付き合う理由など欠片も見当たらない。

 だからきっぱりと拒絶したことで諦めて欲しかったのだが……。

 爺さんは諦めるどころか「残念じゃのう」と自分の髭を扱きながら、にやりと何とも不敵に笑いやがったのである。

「ふむ……実はものすごい特典も用意しておるんじゃが?」

「……一応聞くだけ聞いてみようか」

 思わせぶりにもったいぶる爺さんは非常に不愉快だったが、諦めて尋ねてみると爺さんは勢い込んで言った。

「うむ、我が魔力をお前にやろうと思っておる!」

「なにそれ、いらない」

 再び即答すると、爺さんはものすごく落ち込んだ。

 なにやらカタカタ震えていて、どうにもプライドを傷つけてしまったらしい。

「そんなばかな……。わし、世界でもっとも高名な魔法使いなんじゃよ? 
その魔力をいらんじゃと?」

 そんな焦点の合わない眼で呟かれても困ってしまうのだが。

 しかし、言うべきことは言わせてもらうとしよう。遠慮する理由も見当たらなかった。

「いや、そもそも魔法とかわけがわからないし? 存在しないものをもらっても?」

 はっきり言ってそんなもの、通販の幸運グッズ位うさん臭い。

 速やかにお断りしつつ、一応お年寄りということもあって懇切丁寧に説明すると、どういうわけか爺さんは大いに驚き、目をむいていた。

「なんと! こちらの世界には魔法がないのか! 不便な世界じゃのう!」

「いやいや、そこかよ。 全然不便じゃないし。
むしろ魔法がある方が不条理だと思うよ? 科学的に考えて」

 あくまで魔法設定を崩さない爺さんは一周して立派だと思う。

 その上爺さんは俺の言葉を吟味するように何か考え込みながら、ぶつぶつ言っていた。

「ふむ……科学とやらがどういうものかは知らんが、それは魔力を使わぬ力なんじゃな? しかし、おかしいのぅ。お前さんからは並外れた魔力を感じるんじゃが……」

「そうなの?」

 半ば適当に話を合わせていたのだが、気になる台詞があったので反応してしまった。

 するとすぐさま爺さんは俺の言葉に必要以上に食いついて、力強く同意してくれた。

「そうとも! でなければ、わざわざ出向くわけがあるまいよ?」

「いや……そもそもあんた何のためにここに来たんだよ?」

 少なくとも俺は爺さんから何か貰えるような繋がりはないと断言できる。

 だが爺さんは露骨に肩を落としてため息をつくと、何やら語り始めたじゃないか。

 なんだかまた時間がかかりそうだと俺は確信した。

「……それはのう。これはわしの我儘なんじゃよ」

「ほう」

「わしはな? とある世界で魔法使いをしておったんじゃ」

「ふむ」

「そして人並みはずれた魔力と、長年の鍛錬の結果、世界で類を見ないほどに強力な魔法使いとして尊敬を集めておった」

「へぇ」

「自慢ではないが、我ながらものすごーく自国に貢献をしてきたと思う。しかし、そんなわしにも死期が訪れたのじゃ」

「……それはお気の毒に、ちなみに何歳くらいだったの?」

「ぴっちぴちの五百歳じゃ」

「……十分すぎるよ。天寿を全うしているよ」

「む! おぬし何気に酷い子じゃのう。まぁそういうわけで、わしは死んでしもうたわけじゃな」

「ご愁傷様でした」

「……なんか受け答えに適当さを感じるんじゃが?」

「気のせいでしょ。被害妄想乙」

「そうかの……? では続けるが。しかしだ! わしは死ぬ直前に、ある魔法で自分の魂をこの場所へ飛ばしたんじゃよ!」

 長々と語る爺さんのテンションは頂点に達していた。

 俺も聞かない方がいいかなーとは思ったんだ。

 思ったんだけど、流れで聞いてしまった。

「……なんでまた?」

 すると遠慮なく爺さんはぶっちゃけた。

「だって……せっかく鍛えたのにもったいないじゃろ? 魔法もすごいの沢山覚えたんじゃし?」

「いやいやいやいや! それこそ俺の知ったことじゃないだろう……」

 あきれてものも言えないとはこのことである。

 そんなもん他所やれと。

 主に、俺に迷惑のかからない所で。

 爺さんもそのあたりの自覚はあったのか、一瞬だけ目をそらしたが、結局は開き直った。

「まぁそう言わずに。残念じゃが弟子達もわしほどの器はなかったんじゃよ。
最後の魔法も伝えられんでのぅ。だからわしは死ぬ直前にすべての魔力を振り絞って、わしの魔法と魔力を受け継ぐ素養のあるものにすべてを託そうと考えたわけじゃ!」

 えっへんと、このあたりになってくると入れ歯でも飛ばしそうな興奮具合である。

 同時に俺との温度差もすごいことになっていたが、その辺りはどうでもいいらしい。

「それで俺の所に来たと……わざわざ異世界から」

「その通りじゃ! お前さんを探し出すのには苦労したんじゃよ?」

 何ともめちゃくちゃな話に思えるのは俺だけだろうか?

 しかし爺さんは、自分のやったことにむしろ誇らしげだというのが、いっそう始末が悪い。

 だが、俺としては爺さんの語る内容事態は少し意外でもあった。

 爺さんが俺の所に来たのは、俺自身にも少なからず原因があるらしい。

 顔立ちこそ少しハーフっぽい俺だったりするが、黒い髪も瞳も、何の変哲もない日本人の基準からそう大きく外れてはいない……と思う。

 背丈も普通だし、そんなに目立つ方でもないだろう。

 そんな俺に、魔力なんて面白スキルがあるというのがまず初耳だった。

「……俺に魔力ねぇ」

 ひょっとして俺って伝説の勇者の生まれ変わりだったとか?

 ……なんて面白い妄想を考えてみたりして。

 うん。ないな。

 だいたいそれならそれで、面倒くさそうだ。

「うむ! そういうわけで、おぬしは自らの魔力とわしの魔力を併せ持った、文字通り最強の魔法使いへと昇華するわけじゃな! これぞ我が願い! わしすらも届かなかった高みへと、遠慮なく駆け上ってくれい!」

 そうして爺さんは話をとても偉そうに締めくくる。

 ただしばらく黙っていると、期待に満ちた目でチラチラと俺の様子を伺っているようだった。

「……」

 話はしっかり聞いた。

 聞いたうえで考えれば、おのずと答えは見えてくる。

 俺は結論を出すと、きっぱり言い放った。

「帰れ」

「なぜに!」

 涙目で俺に詰め寄ってくる爺さん。

 がっくんがっくん首を振られても、俺の答えは変わるわけがない。

「いや、だってさ。そんな魔法とか言われても正直引くしー」

「引くって君ね! 異世界からわざわざ来た老人を追い返すかの! 普通!」

「いや、だから俺となんも関係ないよね、それ? ものすごく面倒そうだし」

「むむむ、言いよるのぅ……だがもう遅いんじゃよ。言ったであろう? これはわしの我儘じゃと」

 突然俯き、しかしどこか悪い笑顔の爺さんに何やら嫌な予感がした。

 爺さんは最初なんと言っただろうか?

 確かこう言わなかったか? この夢は覚めることがないと……。

「……あんた、まさか」

「そのまさかじゃ! 無理矢理でも行ってもらうぞい! もはや後戻りなど出来はせん! この夢から目覚める時! おぬしは強制的にわしの世界に転移することになるじゃろう!」

 ビシッと爺さんは本当にろくでもないことを、目一杯宣言してくれたのだ。

「……誘拐じゃんか」

 せめてもの抵抗で呟いてみたが、爺さんも爺さんですでに聞く耳など持っていない。

「知らんもん! わしはこれから死んでしまうんじゃもん! そんなの知ったこっちゃないわい! せっかくだから快く旅立ってもらおうと思ったが、もう知らんもんね!」

「この爺め……開き直りやがった」

 それはもう見事な、駄々っ子も真っ青な開き直りっぷりだった。

 呼びとめようと頑張ってみたが、爺さんは素晴らしい速さで遠ざかってゆく。

 そしてどこからか漏れ出る、神々しい光の中にゆっくりと溶けていった。

 わざわざ爽やかな笑顔でこちらに手を振りながらだ。

「じゃ! 良い異世界ライフを願っておるぞ! よかったのう! これでいきなり世界最高の魔法使いの誕生じゃ! おぬしの完成した姿が見られんのが残念じゃヨ!」

「聞いてない!」

「ちなみに役に立ちそうなわしの魔法も最低限無理やりぶち込んでやるから安心せい! 存分に使ってやってくれい! ……まぁ、生きておればじゃが?」

「だから聞いてないって……何その補足! 怖いんだけど!」

「では幸運を祈る! なるべく死ぬなよ!」

「祈るな! というか死ぬかもしれないのか!? そこんとこだけでもはっきりしてくれぇ!」

 俺の叫びはむなしく木霊するのみだ。

 健闘空しく、爺さんはすこぶるいい笑顔で成仏していったのだった。

「なんだったんだいったい……」

 結局七色の空間に一人取り残された俺は、ただただ呆れて呟く。

 爺さんの言葉を丸ごと信じるなら、俺はこれから異世界とやらに行かなければならないらしい。

 そして、現状を打開する手段は皆無、叫ぼうと暴れようと全く無駄なのはここまでで嫌というほど理解した。

「……はぁ、脱出方法もわかんないし、強制ならどうしようもないか」

 残念ながら爺さんの言う通り、異変はすぐに表れる。

 俺は意識がどこかに流されていくような、不思議な感覚を味わっていた。

 全部夢でありますように……。

 そう祈りながら――― 紅野 太郎は不本意だが異世界へと旅立だったのである。

 実に不本意だが。

 大事なことなので二回言いました。


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