1話
「ふぁ~あ、…おはよ~」
寝呆けた目を擦りながらリビングの扉を開けると、キッチンの方から焼けた魚の良い香りが漂ってきた。
「おはよう、莉那。一応女の子なんだから欠伸は手で隠しなさい」
「え~? 別にいいじゃん。どうせあたし達しかいないんだし」
キッチンから顔を覗かせた長女・”美春”の小言を右耳から左耳と受け流すと、俺はテレビ前に置かれたコタツのいつもの場所に座る。
美春は海外出張している両親に代わり、俺たち妹2人の世話などをしてくれている。
家事・勉学・運動スキル全てが完璧の、まさに『才色兼備』を体現している奴だ。
普通にしていれば基本的には優しいのだが、怒るとたまに手がつけられないことがある。
「やっと起きたか。……って、おい、莉那。口に涎がついてるぞ。汚いやつだな」
「うそっ? さっき鏡見たんだけどな~」
俺を見るなり辛辣な物言いをしてきたのは三女の”伊織”。
聞いて分かる通りぶっきらぼうな口調で、性格はどちらかといえばクール(?)。
俺のことは『莉那』または『お前』と呼ぶのだが、美春のことは『姉さま』を付けて呼ぶ。
明らかに故意的な差別だ。
俺はティッシュを取って口周りをゴシゴシ拭くと、バスケの『左手は添えるだけ』のポーズでゴミ箱にシュートする。
「莉那。物は投げないの」
「すみませ~ん」
すると、いつの間にか焼けた魚をコタツの上に並べ終えて、ふっくらとした白ご飯をよそっていた美春に咎められてしまった。
春香のこういう母親っぽさが滲み出るところが、年の功を感じさせ―――。
「莉那? 誰がオバサンですって……」
「ひいっ! そ、そんなこと思ってないって」
美春から放たれる、触れ難いドス黒いオーラを感じ取った俺は、無意識的に正座になる。
その様子を、呆れた表情で伊織が見ていた。
「ハア…。今はそんなことよりも、早く食べて家を出ないと遅刻しちゃうわ。いただきます」
「「いただきま~す」」
時間が差し迫っていた為、俺たち3人は流し込むようにご飯を口へとかき入れる。
それでも、美春の作る料理は美味しかった。
「ねえ、今って春なのに寒くない…?」
口から白い息を出し手を擦って暖をとる。しかし暖かいのは瞬間的で、すぐに両手は寒風に晒されてしまう。
少しエレベーターを待ってるだけ凍ってしまいそうな錯覚に陥るぐらいに今日は肌寒い。
ちなみに俺ら3人の家は、駅前のマンション5階の1番奥の部屋だ。
「そうね。暦上では春だけど、気温は真冬の平均ぐらいしかないらしいわよ」
俺と同じようにしていた美春が、朝見た気象予報の情報をそのまま言う。
「さ、寒すぎます…。美春姉さま…」
「ん~。あ、じゃあこのマフラーも巻いていっていいわよ」
そう言って美春は自分の首に巻いてあったマフラーを取ると、伊織が巻いていたマフラーの上に巻いた。
「み、美春姉さま…? これでは姉さまが冷えてしまいます…」
「大丈夫よ。私は今日1時間目で学校終わりだから」
伊織の心配そうな表情を見て、美春は苦笑して言った。
「ええっ! いいな~ズルいな~。…よし、あたしも午前で帰ろうかな。いや、帰りますっ!」
そして俺は美春が短縮授業だと聞いて、心の奥にあった『寒くて学校行くのがイヤ』という本音をつい出してしまった。
「馬鹿なこと言わないの。あったかいお菓子つくっておいてあげるから」
「それ本当? 『女に二言は無い』ね?」
「莉那、それは間違ってるぞ。正しくは『男に二言は無い』だ。女性には使わんぞ。中学生なのにそんなのも分からないのか?」
「何だと~? チビ助、やるつもりか?」
「上等だ、この大バカ野郎」
俺と伊織の間に緊張が走る。
そして―――。
「2人ともやめなさい。こんなところでみっともない、でしょ!」
『でしょ!』という声と同時に、美春のアイアンクローが俺と伊織に華麗に決まった。
「い、痛い痛い。ギ、ギブ、ギブで~す、美春~。ちょっ、マジでヤバイって~!!」
「ご、ごめんなさいです~、美春姉さま~。ゆ、許してください~」
「…分かれば宜しい」
痛みに耐えること数十秒後、俺たちはこめかみへの強烈な圧迫から解放されたのだった。
とまあ、いつもこんなグダグダ感じで、俺の平凡で愛すべき1日は始まるのだ。
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