日本軍「慰安婦」問題を知らないあなたへ
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Q:「慰安婦」ってなに
A:日本軍が設置した「慰安所」に連れて行かれ、性暴力を受けた女性たちのことです |
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1930年代初めから、日本政府と軍上層部は、兵士の性病予防と強姦防止・士気高揚を名目に、侵略したアジアの各国で軍の統制のもとに「慰安所」を設置し、植民地である朝鮮・台湾、占領下の中国・東南アジアの10代から20代の少女たちをだましたり、強制的に「慰安所」に連れて行きました。そこで少女たちは、日本兵から繰り返し性暴力を受けたのです。逃げられないよう拷問を受け、殺されてしまった少女もたくさんいます。被害を受けた少女はアジア各地に存在し、その数は計り知れません。
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Q:戦後60年以上経つのに、今なぜ「慰安婦」のことを?
A:日本が女性たちの存在を否定し、尊厳を傷つけ続けているからです |
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戦後も置き去りにされ、故郷に帰れなかった女性も多くいましたが、過酷な日々を生き抜いて帰国を果たしても、女性たちの戦後は苦難の連続でした。家父長的な貞操観念の強い朝鮮民族の社会では、性暴力の被害体験を「恥」とし、息を潜めて暮らさざるをえませんでした。心身を患い、性病や不妊症に苦しむ女性も少なくありません。
1991年、「慰安所」に連れて行かれた少女たちは、50年近い沈黙を破り、日本政府への謝罪と賠償を求めて声をあげ始めました。少女たちは、すでにおばあさんになっていました。長い沈黙を破り、声をあげたのは、日本の政治家たちが「『慰安婦』はいなかった」と彼女たちの存在を否定し、尊厳を傷つけたからです。
「このまま、なかったことにされたままでは死ねない」「二度と、こんなことは起きて欲しくない」これはおばあさんたちからのメッセージです。
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Q:謝罪は済んでいるのでは?
A:公的な謝罪と補償は行なっていません |
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被害女性たちの勇気は社会を動かし、1993年8月、日本政府は「河野官房長官談話」を発表し、「慰安所」の設置や管理に軍の関与や強制性を認め、「お詫びと反省の気持ち」を表し、調査を約束しましたが、行っていません。1995年、「財団法人
女性のためのアジア平和国民基金」ができましたが、これはあくまでも公的な立場をとらないものです。 日本政府は、1965年締結の「慰安婦」問題を除外した日韓基本条約で完全に戦後補償問題は解決しているとして、公的な謝罪と補償を行なおうとしません。さらに、戦時中の朝鮮は現在の北側も含めた国であるにもかかわらず、朝鮮民主主義共和国に対する配慮はありません。それどころか政治家の発言やマスコミ報道では「日本軍は強制していない」「慰安婦は商行為」などと、責任を否定する声が後を絶ちません。
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Q:私たちに何ができる?
A:「慰安婦」問題に関心を持ってください |
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国際社会からの批判に対して、「日本だけが悪く言われるのはおかしい」「謝罪すれば済むのか」「過去の日本軍の問題で、自分とは関係ない」と思っている人も多いでしょう。
女性への性暴力は、第二次世界大戦後も繰り返し続く世界各地の戦争でも問題となっています。戦争当時生まれていなかった者に直接責任はありません。しかし、今も日本政府を訴えているおばあさんたちに対して、応えていく責任はあるでしょう。性暴力を容認する社会では私たちの人権も脅かされかねません。被害女性の尊厳を回復することは私たち自身の尊厳を守っていくことにつながると思います。
私たち日本人が学ぶ機会の少なかった「慰安婦」問題とは何か。過去を反省し、同じ過ちを繰り返さないために、ぜひ関心を持ってください。
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日本軍「慰安婦」問題をネットで学ぼうとするあなたへ
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Q:強制連行を裏付ける証拠がないから、強制連行はなかったのでは?(植民地編)
A:植民地朝鮮・台湾では「誘拐」という名の強制連行が数多くありました |
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朝鮮半島や台湾での「慰安婦」の強制連行を裏付ける公文書は見つかっていません。しかし敗戦直後、日本軍は戦争犯罪の証拠を残さないために多くの文書を消却しました。日本軍「慰安婦」制度は戦争犯罪であると同時に、当時の国内法に照らしても違法行為でした。公文書が残っていないから強制連行がなかったということにはなりません。そして多くの被害女性が強制的に慰安所に連行されたと証言しています。
植民地朝鮮・台湾では、工場で働くなどと騙されて連行された被害者がほとんどです。軍や総督府が業者を選定し、その業者は誘拐や人身売買などの手段で女性を慰安所に連行しました。被害女性の多くは、「慰安所につれていかれて初めて自分が騙されていたこと、何をさせられるのか分かった」と証言しています。
法律用語では暴行・脅迫を用いた連行を「略取」といい、騙して連れて行くことを「誘拐」といいますが、どちらも強制連行には違いありません。
また証言を文書資料で証明できないから強制連行が存在しなかったという意見もありますが、それは違います。「慰安婦」裁判では多くの証言が証拠として採用され、強制連行も事実認定がされています。例えば1998年に地裁判決で事実認定された関釜裁判では、以下の強制連行の証言が事実認定されています。(要旨)
河順女「洋服を着た日本人と韓国式の服を着た朝鮮人の二人の青年から、「金儲けができる仕事があるからついてこないか」と声をかけられ、どんな仕事をするのかわからないまま彼らについていき、上海の「陸軍部隊慰安所」と書かれた看板が掲げられている長屋に連れて行かれた。」
朴頭理「50歳以上と思われる朝鮮語と日本語を話す男が家に訪ねてきて、「日本の工場で金になる仕事がある」と話しかけてきた。その男の話を信用して日本の工場に働きに行くことに決めた。(中略)台湾の慰安所へ連れて行かれ、主人から「客を取れ」と言われ「それは話は違う」と逃げようと考えたが、逃げることはできなかった。」
李順徳「40歳くらいの朝鮮人の男から「履物もやるし着物もやる。腹一杯食べられるところに連れて行ってやる」と声をかけられ、手を引っ張られ連れて行かれた。その日連れて行かれた旅館には外から鍵がかけられ、翌日カーキ色の服を着てゲートルを巻き腰にサーベルをぶら下げた軍人3人が、旅館に捕らえられた14、5人の女性を列車に乗せて上海駅に連れれていき、そこからトラックで3時間かかって駐屯地に連れて行かれた。」
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Q:強制連行を裏付ける証拠がないから、強制連行はなかったのでは?(占領地・戦地編)
A:中国大陸・フィリピン・インドネシアなどの占領地では「略取」という名の強制連行が数多くありました |
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占領地であった中国大陸や東南アジアについては、「略取」による強制連行が多数確認されています。安倍首相らの言うところの、いわゆる「狭義の強制連行」です。
インドネシアでは、スマラン事件というのが起きました。インドネシアのスマランというところで、抑留所に収容されているオランダ人女性たちを現地の日本軍が無理矢理連行して、慰安所に入れたというものです。すくなくとも24名の少女を連行して「慰安婦」にしました。この事件は有名なので右翼も否定しきれず、「この事件が明るみに出た時、陸軍の命令で閉鎖され、責任のある将校は処罰された」(The
Facts)と主張しますが、事実は処罰どころか責任者は出世しています。インドネシアでのオランダ人女性の強制連行は他にも例があり、オランダ政府の公文書の中に記載されています。
中国でも「略取」による強制連行は頻発しました。ここでも、誰も否定できない、裁判で事実認定されたものを紹介します。(要旨)
候巧蓮「1942年旧暦3月のある日の朝、多数の日本兵が峡掌村に進入し、日本兵と清郷隊によって、峡掌村の住民が一か所に集められた。候巧蓮は村の5人の女性と共に捕らえられ、監禁された。」
万愛花「1943年6月から12月にかけて、3回にわたって日本軍に拉致・監禁され、共産党員であったことから拷問として暴行・傷害を加えられるとともに、強かんという政敵被害まで受けた。
南二僕「1942年春頃、河東村に駐屯していた旧日本軍が南頭村に作戦行動を実施し、その際「バカ隊長」と呼ばれていた「ドゥービェン」という下士官が5、6人の日本兵を連れて南の実家に押し入り、下士官がその場で強姦した。その後警備隊の砲台近くの民家に拉致し、その後数ヶ月にわたり、下士官に専属的に強姦され続けた。」
中国大陸、フィリピン、インドネシアなど、占領地となった地域でのこのような強制連行は、数多く見つけられます。「狭義の強制連行はなかった」という人は、植民地から連行された被害者しかみず、占領地で被害にあった女性たちは被害者ではないとでも言いたいのでしょうか?
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Q:強制連行がなかったら、何の問題もないのでは?
A:日本軍「慰安婦」問題の本質は、連行の強制ではなく、慰安所での強制です |
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日本軍「慰安婦」問題を否定したい人は、「問題は強制連行があったかなかったかだ」とよくいいます。しかし日本軍「慰安婦」問題の本質は、連行の強制にあるのではなく、慰安所での強制にあります。それゆえ、日本軍「慰安婦」制度は、性奴隷制度なのです。
在日朝鮮人として唯一名乗り出られて裁判闘争を闘った宋神通さんの脇腹には約10センチの刀傷、腿のつけ根にも傷跡があるそうです。右耳が聞こえないのは、毎日のように軍人に殴られたからです。宋さんの慰安所には15、6人の「慰安婦」がいましたが、宋さんが相手にしたのは少ない日で数人、多い日で数十人にも及びました。
宋さんが武昌に連行した当初、何度も逃げようとしました。しかしその都度捕らえられ、殴られました。そして「ここを出たいなら武昌にくるまでにかかった経費を返せ」と脅されました。宋さんは「戦地に行って働けば金が儲かる」と誘われたとき、一銭も金を受け取っていません。しかし武昌までの交通費や食費、宿代、衣服代などを借金として負わされ、高率の利子を課せられていました。宋さんは暴力と前借金でがんじがらめにさせられ、自分の境遇から抜け出す術さえ持ちませんでした。言葉もなく、手持ちの金もなく、銃弾の飛び交う戦場から逃げられるわけがありません。そんな中、宋さんは「部隊付き」の時などは、人ひとりしか入れない塹壕の中で「慰安」を強要されました。
宋さんの体験は、宋さん固有のものではなく、多くの被害者に共通しています。
日本軍「慰安婦」制度は性奴隷制度以外のなにものでもありません。それゆえ国際的な批難を浴びているのです。強制連行は主要な問題ではありません。この慰安所における性奴隷制度こそ、問題の本質なのです。
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