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長椅子と本棚 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-02-12

人類はそろそろテレビがニュースに向いてないことに気づくべき

 ここ10年来、夕方のニュースを中心に、ニュース番組のバラエティ化がとくに著しい(あれがバラエティだということに気づいてない人は、考えを改めた方が良い)。しかしこの変化は、テレビの堕落などではなく、テレビという媒体の特性を反映した変化だと思う。テレビという媒体は根本的に、日々のニュースを伝えるのには向いていないのだ。

 テレビがニュースに向いていない理由。それはすごく単純で、ニュースの量は日々変化するのに、番組の尺は決まっているからだ。重要なニュースが立て続けに起こる日もあれば、それほどニュースの怒らない日もある。しかし、番組の長さは例えば5時から7時までと決まっている。これは大変なことだ。どれだけ大変かわからなければ、一度、5分のニュース動画を作ってみるといい。5分間、間延びすることなく見続けられる映像を作るということが、どれだけ大変か。たった5分の映像のために、どれだけの素材が必要か。それを毎日、2時間である。

 2時間の映像を残りの22時間で毎日作らなければならない。しょうもない猫カフェの映像とか、ヤラセっぽいインタビューとか、結論に合わせて取ってこられた専門家のコメントとか、それでも足りなければ、さらにしょうもない商店街の一日レポートとか、およそニュースとは呼べないコンテンツで埋めていく、ということになる。こういう映像を見ながら感じるのは、堕落したマスコミへの義憤よりむしろ、あの手この手で時間を埋める手腕への驚嘆である。

 もちろん、テレビが報道の装置として持つ利点もある。速報性という意味で、ほぼ24時間放送されているテレビは非常に有利ではある。Twitterなどの速報性が取り沙汰されてはいるが、信頼性に欠ける。ある程度信頼出来る速報としてのテレビの地位が揺らぐことはないだろう。刻々と変化する出来事を追いかけるのにも向いているだろう。しかし、速報は毎日あるわけではない。速報性をいくら強調しても、ニュース番組報道に向いているということにはならない。速報性があるからといって、毎日決まった時間に決まった長さの「ニュース」を伝えるというのは、はっきり言って狂気の沙汰である。

 誤解のないように言っておくが、私はテレビが好きだ。しかしそれは情報を得ることに向いているからではない。考えることをやめるのに向いているからだ。何も考えたくなくなった時、テレビはそこにいてくれる。ニュース番組のバラエティ化は、テレビのこの役割を発揮するための、正当な進化であるように思える。

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