決断と離脱 [ART DIARY]
無責任かもしれない。
そうやってまた何かぐじゃぐじゃと言われるのだろうか。
しかし、私はこんなことなら今いる会社を辞めたいと思う。
このところ仕事ツメツメで、そして、ついに今日、またしても彦坂尚嘉と激突しました。
何と言って良いやら。
ま、どうせなるようになったわけですから、これは自然の摂理の範囲内だと思う。
今、横浜の実家に帰ってきている。
私は、唐突に思うかもしれませんが、今所属している会社を辞めたいと思いました。
「社長」なんて責任重大なお役目はまずもって降ります。
こう書かなければ、問題はなかなかはっきりとしてこないので、自戒の意味も含めて。
そして、一見、無責任に聞こえるかもしれませんが、でも、一応、私のブログに書いている訳で、いきなり消える訳ではない。
いつもいつも、事あるごとに「栃原さんはすぐに逃げる」と彦坂さんに避難されますが、(ま、彼からすれば事実を事実として言っただけということなんでしょうけど…)私は逃げてなんかいません。
お生憎様☆
さっき、アトリエを出る前に、アトリエにあるものをことごとく蹴飛ばして、とりあえずはプラスチックのゴミ箱などをドッカンドッカンと破壊し、折角奇麗にしたアトリエをぐっちゃぐちゃにして、ついでに彦坂尚嘉にも楯突いて、キチガイの様にわめき散らし、そして勢い良く出て来たのです。ああ、疲れたわ。私が何故、そんな事になったかといえば、理由はいろいろある。一つはもともとクレイジーなのかもしれません。。。冗談です。笑。
しかしこんな事も、実は毎度と言えば毎度な話で、何故いつもこんな事になるのかというと、不条理の度合いが振り切り過ぎているからだ。ここで重要なのは、「不条理だから」ではなくて、「あり得ない程に不条理すぎるから」と言う事。
「もう、金輪際、私はあなたの死後の作品管理なんて、考えない事にするからね!」とやけくそな私が叫ぶと、「いいですよ。また新しい女を作るから出て行くなら勝手に出て行ってください」と言われ、、、、。「ああそうですか、じゃ、そちらもどうぞご勝手に!」と言うと「はーい分かりました」と言われ、、、、。
彦坂なら、きっと私なんかより100倍いい女をゲット出来るに違いない☆
というわけで、本当なら、去年の夏にどうにかしなければいけなかった事が、単純に今、私自身が決断をしなければいけない。という、そんな状況になっただけです。
以前の私ならぼろぼろに泣き叫んで「どうしてわかってくれないの?」な~んて可愛らしい事も言えたのだが、もはや流す涙も無く。ただただこれから先の自分自身の行く先について考えるのみという気分。去年の夏は、正直警察を呼ぶくらいの勢いで衝突負傷したので、今日はもうだいぶ冷めてます。ちなみに、いつも叫ばなければいけないのは、叫んでもなかなか聞いてもらえないから。笑える。
それにしても、なんだったんだろ、この4年間。制作をしたい気持ちだけは揺るぎなく保てている事を実証した4年間と言えば聞こえはいいが、私もあと数週間で36歳になってしまう。。。
嗚呼。彦坂尚嘉と捨身で婚約すれば、まだなんとか関係を立て直せるかと思ったのですが、考えが甘かった。
いつも「本気」で生きてきたつもりはある。「つもり」としか言えませんけどね。悲しいかな。。。誰も私が頑張っている姿なんて写真にも撮ってくれてないし、見てもいないから、証拠もなくて「自己申告」しかできない。
だけど、彦坂尚嘉からは「栃原さんはいつだって長続きしない」とか、「不安定すぎる」とか「やり遂げない」とか言われる。特に何かで口論になった時は必ず。その場合、私が過去に付き合って来た男性関係の話から、会社をやめた話、それからアルバイトを転々とした話、前の夫と離婚した話など、私が彦坂に以前話した事を、さも見て来たかの様にあげつらうのだ。それも、もう、いい加減鬱陶しい。
その前にだ。あの彦坂尚嘉の隣りに4年もいる事なんて、、、しかも、ほとんど24時間、365日である。それだけですごい事のように思うのは私だけだろうか。
彼が突然歩けなくなった時、まだ太っていた彼を背負って緊急病院の中を深夜彷徨ったり、彼が警察に間違って捕まった時に、彼が拘留されている警察を必死に追跡して身元引受人になったり、京都に疎開すると言われれば、渋々でも車で藤沢-京都間を何度も往復したり、、、。私は私には関係のない様々な『対処しなければならない事柄』(アクシデント)を、その場その場でそれなりに処理しつつ、自分自身の制作が出来ないというフラストレーションに苛まれながら今に至っている。
それは、私の意思の弱さだと指摘されるとするならば、その通りだと今は思える。単純に、4年間も彦坂尚嘉を捨てられない私の「甘さ」であり「弱さ」なんだと思う。そう、上海に行ってそのことを思い知ったのは事実だ。
だいたい、彦坂から「私は社長に向かないからあなたが社長をしてください」といわれて、馬鹿な私は「仕方が無い」と引き受けたのが間違いだった。単純に雑多な事務関係やスケジュールの段取りやら片付けやら、、、何やらの嫌な事ばかりを押し付けられ、その挙げ句に「頼んでいない事を勝手にあなたがやっただけだ」とか言われる。「相談もしないであなたが勝手にやって、そしてあなたが失敗しただけだ」と。
でも、正直、相談してるんですけど。私。彦坂が忘れてるだけでしょ? 録音してない私が悪い? ああ、そうですね。
記憶力がずば抜けて無いという自覚はあるわりに、彦坂は私に対して毎回毎回「あなたは何も説明もしてくれないし、何も相談してくれない。何でも勝手にやるから困る」という。でも、私が仕事上で行き詰まって困っている時、隣りで居眠りしていびきかいてる人だれ?
もう、正直そんな人を相手に真面目に言い合いをするのに草臥れました。
私がいくら「説明もしたし、相談もした」と騒いだところで、「知らぬ存ぜぬ」の一点張り。で、上手くいかない事は全て私のせいにする。私の記憶なんて「それは栃原さんが勝手に思っている事で、作り話だ」と相手にもされない。そのくせ、彦坂の記憶力が無いことを指摘するとケロリとした顔をして「そうです、私は何でも忘れるから生きていられる」と言う。
なんか、こんな事に毎日体力を使うのがバカバカしくなったのでした。それも、随分前からです。別に『燃え尽き症候群』とか、そんな日の浅い話ではないのです。限界なんてとっくの昔に何周も通り越して、何度かブログにも泣き言を書こうかと思ってみたものの、ぐっと押さえて来た訳ですが、もう、そうなふうに押さえる理由も無く。書かなければ、逆にまた同じような不条理な日々が繰り返されるだけ。だったら、一層の事、死ぬ気になって、、。と思うのです。
こんな事書いたら、速攻で『追放』か、あるいはまた凄い長文で反撃がくるか、、、だろうな、、、っていうか、是非ともそうしてくれ!、、、と思いつつ、それで書いてますから。愚痴だと言えば、愚痴ですね。しかし、これは私なりの宣戦布告。彦坂尚嘉相手に無謀かもしれませんが、生き抜く為には仕方が無い。関係のない人からすれば単に馬鹿な独り言です。
だけど。結局は「援護」ではなくて、ただの「研究」と言う名の「好奇心」から来る「無責任な言葉」に惑わされ、事あるごとに「お山の大将」だと祭り上げられ、まるで気づかず命を落とす特攻隊員の様に自滅させられる、、、。そんな真似はもうしたくない。そんな事なら、腹括って別れた方がよっぽど得策なのではないか。そんな心境です。
行く手を阻む最大の敵は、誰か。
それは、しがらみに未練を持つ私自身かもしれない。
絵が描きたいだけなのに、制作して生活の糧を得たいだけなのに、彦坂さんには「あなたは本当は絵なんて描きたいと思っていないのです。あなたは作家になりたいとは本心では思っていない。だから上海に逃げているじゃないか!」と面と向かって断定される時、心の底から「怒り」が沸き上がってくる。彦坂尚嘉の大量の赤い靴下を手洗いして腱鞘炎になり、両手が使えなくなったのは私だ!って、腹の中が煮えくり返る。器が小さいと思われるのなら、それはそれでいいですけど、そう言うなら「私と同じ事をやってから言え!」と思う。
それにしても、制作が出来ないくらいのこの状況はなんなのか。。。よく分からない。
上海にいる時は制作出来たし、ブログも書けたのに。
変な責任感? 仕事らしい仕事してないで『食わせてもらってるように見える』後ろめたさ?
もしそうだとしたら、そんなもの捨て去るしか無いだろう。辛くても、捨てるしか無い。だって、私はもう生け贄のような生き方はしたくないから。
きっと、私がいなくなればなったで「口やかましい女が消えて良かったね」と喜ばれるのが関の山だと思った方が身の為だ。
明日から、本気で今後の身の振り方を考えなければ、、、と思う。
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