今、雑誌『正論』を講読している。
遠藤浩一さんの「福田恆存と三島由紀夫の「戦後」」が連載されているからだ。
また、ウチの大学の図書館はどういうわけか『諸君!』は置いてあるのに『正論』は置いていないのでどうしても読みたい論文がある時は講読せざるをえない。
しかし、遠藤論文以外はあまり読む気になれないので、その為だけに毎号『正論』を買うのは割に合わないように感じていた。
そう思っていた矢先、今号はなかなか興味深い論文が掲載されていた。
それは千葉展正氏の「入江相政と富田朝彦 〜゛宮中のラスプーチン"に翻弄された宮内庁長官〜」というものだ。
富田朝彦氏は今年、昭和天皇が靖国神社に対する不快感を示されていたことを記述した(とされる)富田メモで一躍有名になった富田宮内庁長官(当時)。
入江相政氏は長年、昭和天皇の侍従を務めた人だ。
入江氏は昭和天皇の関連書籍によく登場し、インタビュー記事なども読んでいたので、私はその人柄に好感を抱いていた。
その入江氏を「宮中のラスプーチン」という。
どういうことだろうと思って記事を読んでみて驚いた。
入江氏は天皇の宮中祭祀を破壊してきたというのだ。
これは入江氏自身の『入江日記』にも「新嘗とお取り止めの工作は」との記述があり、本人も「破壊工作」と思ってやっていたことが伺える。
無論、当時からこれを問題視する声があり、
内廷職員の永田忠興氏が「昭和五十年ごろから宮中の祭祀の本質にかかわる重大な変化が起こっている」として神道宗教学会で警鐘を鳴らした。
そのことを週刊文春が取り上げ、入江氏が激怒するという事件が起こっている。
また、入江氏の祭祀破壊工作に対して(当時の)皇后陛下は強く不快感を示されていた。
このことも『入江日記』にも記載がある。
また、『入江日記』には氏が皇室祭祀憎悪、神道憎悪思想の持ち主であったことを物語る記述に事欠かないという。
例えば、皇室の伝統を守ろうとする永田忠興氏のことを「ウルトラシントイズム」と呼んで罵倒している。
入江氏がこんな人だったとは知らなかった。
私は今まで多くの昭和天皇関連書籍に目を通してきたつもりだったが『入江日記』は読んでいなかった。
恥じ入るばかりである。
ただ、入江氏がクリスチャンだということは知っていた。
今回の千葉氏の論文ではその事については述べられていないが、
入江氏の皇室祭祀憎悪の理由はそこにあると思う。
恐らく、氏の宗教観と皇室祭祀は相容れないものだったのだろう。
(なんといってもキリスト教と神道なのだから相容れないのも頷ける)
そして、じじつ、入江氏は皇室祭祀の削減・改変に成功している。
例えば、今日は新嘗祭だったが、新嘗祭といえば天皇が神々と対座してその年の新穀を召し上がる皇室の最重要祭儀である。
その新嘗祭についても『入江日記』に「さ来年にはおとり止め願うこと」という記述があるように最終目的は全面停止だったようである。
この論文を読んで、入江氏に対し一種の怒りが湧いてきた。
私は天皇は祭祀を行うために存在するのだと思っている。
言い換えれば、最も重要で且つ天皇でなければ行うことの出来ない行いが宮中祭祀である。
挑発的な言い方をするが、祭祀を行わない天皇など必要ないし、そんな者は天皇ではない。
これも少し極端な表現かもしれないが、入江氏は正に「君側の奸」ではなかったのか。
もしくは皇室を破壊する為に送り込まれた「異教徒の工作員」であるとも云える。
少々筆が滑りすぎた。
しかし、それほど入江氏の行ったことは罪が重い。
福田恆存さんも皇室祭祀の改変・削減について週刊文春(昭和五十八年一月某日号)に、
「もし、こんなことを宮内庁が続けるとしたら、陛下を救出する落下傘部隊がいりますねえ」というコメントを寄せている。
異教徒を天皇の侍従に据えてはならない、と深く痛感した。
遠藤浩一さんの「福田恆存と三島由紀夫の「戦後」」が連載されているからだ。
また、ウチの大学の図書館はどういうわけか『諸君!』は置いてあるのに『正論』は置いていないのでどうしても読みたい論文がある時は講読せざるをえない。
しかし、遠藤論文以外はあまり読む気になれないので、その為だけに毎号『正論』を買うのは割に合わないように感じていた。
そう思っていた矢先、今号はなかなか興味深い論文が掲載されていた。
それは千葉展正氏の「入江相政と富田朝彦 〜゛宮中のラスプーチン"に翻弄された宮内庁長官〜」というものだ。
富田朝彦氏は今年、昭和天皇が靖国神社に対する不快感を示されていたことを記述した(とされる)富田メモで一躍有名になった富田宮内庁長官(当時)。
入江相政氏は長年、昭和天皇の侍従を務めた人だ。
入江氏は昭和天皇の関連書籍によく登場し、インタビュー記事なども読んでいたので、私はその人柄に好感を抱いていた。
その入江氏を「宮中のラスプーチン」という。
どういうことだろうと思って記事を読んでみて驚いた。
入江氏は天皇の宮中祭祀を破壊してきたというのだ。
これは入江氏自身の『入江日記』にも「新嘗とお取り止めの工作は」との記述があり、本人も「破壊工作」と思ってやっていたことが伺える。
無論、当時からこれを問題視する声があり、
内廷職員の永田忠興氏が「昭和五十年ごろから宮中の祭祀の本質にかかわる重大な変化が起こっている」として神道宗教学会で警鐘を鳴らした。
そのことを週刊文春が取り上げ、入江氏が激怒するという事件が起こっている。
また、入江氏の祭祀破壊工作に対して(当時の)皇后陛下は強く不快感を示されていた。
このことも『入江日記』にも記載がある。
また、『入江日記』には氏が皇室祭祀憎悪、神道憎悪思想の持ち主であったことを物語る記述に事欠かないという。
例えば、皇室の伝統を守ろうとする永田忠興氏のことを「ウルトラシントイズム」と呼んで罵倒している。
入江氏がこんな人だったとは知らなかった。
私は今まで多くの昭和天皇関連書籍に目を通してきたつもりだったが『入江日記』は読んでいなかった。
恥じ入るばかりである。
ただ、入江氏がクリスチャンだということは知っていた。
今回の千葉氏の論文ではその事については述べられていないが、
入江氏の皇室祭祀憎悪の理由はそこにあると思う。
恐らく、氏の宗教観と皇室祭祀は相容れないものだったのだろう。
(なんといってもキリスト教と神道なのだから相容れないのも頷ける)
そして、じじつ、入江氏は皇室祭祀の削減・改変に成功している。
例えば、今日は新嘗祭だったが、新嘗祭といえば天皇が神々と対座してその年の新穀を召し上がる皇室の最重要祭儀である。
その新嘗祭についても『入江日記』に「さ来年にはおとり止め願うこと」という記述があるように最終目的は全面停止だったようである。
この論文を読んで、入江氏に対し一種の怒りが湧いてきた。
私は天皇は祭祀を行うために存在するのだと思っている。
言い換えれば、最も重要で且つ天皇でなければ行うことの出来ない行いが宮中祭祀である。
挑発的な言い方をするが、祭祀を行わない天皇など必要ないし、そんな者は天皇ではない。
これも少し極端な表現かもしれないが、入江氏は正に「君側の奸」ではなかったのか。
もしくは皇室を破壊する為に送り込まれた「異教徒の工作員」であるとも云える。
少々筆が滑りすぎた。
しかし、それほど入江氏の行ったことは罪が重い。
福田恆存さんも皇室祭祀の改変・削減について週刊文春(昭和五十八年一月某日号)に、
「もし、こんなことを宮内庁が続けるとしたら、陛下を救出する落下傘部隊がいりますねえ」というコメントを寄せている。
異教徒を天皇の侍従に据えてはならない、と深く痛感した。
まあ、寛容は神道の本質的性格だし、侍従も公務員なんだから信仰の自由はある。
しかし、あびさんの仰る通り天皇は祭祀の長ですから一番近くでお仕へする侍従がクリスチャンといふのはをかしいですね。
まさかローマ法王の侍従に異教徒はゐないでせうし。
入江氏は新嘗祭を止めさせて最終的には何うしたかつたのでせう。天皇の改宗?
まさかそんな事は有り得ないでせうが、キリスト教徒としては正当な行為だけに宮内庁は人選を考へるべきですね。
さういへば「女系騒動」の時、保守派はDNAが云々といふ唯物的な話か尊皇節ばかりでした。日本人は左翼を除けば「皇室は存続さへすればいい」と思つてゐる気がします。
それはきつと、日本人が単に「日本に住んでゐる人」になつたのと同じでせう。
ところで巷は最うクリスマスで、燥ぎ出しましたね。毎年ひと月前から騒ぎ出すから当日にはクリスマスなんて古くなつてます(笑)。
新嘗祭とはえらい違いです。
>まさかローマ法王の侍従に異教徒はゐないでせうし。
そこが、まさに神道の寛容の精神だつたのでせうか。
いくらなんでも寛容すぎますね(笑)
といふより、入江氏は昭和天皇の遠縁に当たる(入江氏の伯母が大正天皇の従姉妹である柳原白蓮)人物であるから、宮内庁も安心しきつてゐたのかも知れません。
>入江氏は新嘗祭を止めさせて最終的には何うしたかつたのでせう。天皇の改宗?
>まさかそんな事は有り得ないでせうが、
私も改宗させようとまでは思つてゐなかったとは思ひます。
ただ、皇室祭祀の価値をまつたく認めてゐなかつたといふことでせう。
>キリスト教徒としては正当な行為だけに宮内庁は人選を考へるべきですね。
さうですね。
今はどうなつてゐるのでせう。
しかし、考へてみれば今上陛下の少年期の教育係がクウェーカー教徒のヴァイニング夫人でしたね・・・。
>さういへば「女系騒動」の時、保守派はDNAが云々といふ唯物的な話か尊皇節ばかりでした。
恥づかしながら私もDNA云々のことを書いたことがあります(笑)
しかし、当然のことながら男系でないと何故いけないいかはDNAだけの話ではありません。
そこに拘り過ぎるとをかしな話になつてしまひます。
>日本人は左翼を除けば「皇室は存続さへすればいい」と思つてゐる気がします。
>それはきつと、日本人が単に「日本に住んでゐる人」になつたのと同じでせう。
仰る通りだと思います。
一般国民の多くが皇室に無関心ですよね。
関心を持つてゐるのは右翼か左翼だけ。
この状況はどうなのでせう。
>毎年ひと月前から騒ぎ出すから当日にはクリスマスなんて古くなつてます(笑)。
>新嘗祭とはえらい違いです。
日本人ならクリスマスより新嘗祭を盛大に祝ふべきですよね(笑)
いやいや、新嘗祭はキリスト教徒の祭典のやうに「盛大に」祝ふべきではないからこれでよいのかも(?)
一般には教育の目的は善き人を育てる事だから、どんな宗教を奉じてゐても立派な人ならば、生徒に善い感化を与へるでせうね。
しかし、善きキリスト信者であればある程、教へ子には、キリストの復活と救ひを説くやうな気がしますが…(況してやクェーカー教徒!)うーん、いいんですかね?
よく考へてみれば、現在の皇族の教育といふのは難しいですね。
昭和天皇の小学生時代は乃木希典が学習院長で、その教育方針は武士道に基づく帝王学だつたやうです。
明治の世では、天皇の君としての地位は明確だつたから「君として如何にあるべきか」といふ帝王学が成立しますが、戦後の「象徴」なる地位ではさうはいきません。
「善き君主」は教育の目的たり得ますが「善き象徴」なんて目指しやうがない。一体何を拠り所に何う教育をすればいいのかさつぱりわかりません。
現場の人はもちろん陛下御自身も、自らの存在の曖昧さに、さぞ悩まれてゐる筈です。
すべて「天皇」をあやふやな存在のままにさせ続けた日本人の知的怠惰が原因ですね。
僕も「天皇の教育」なんてまともに考へてゐませんでした。
ああ、これは考へれば考へるほど難しい問題ですね。とても僕の手には負へません(笑)。
教育論議が盛んですが「善き天皇をいかに育成すべきか」といふのも議論して欲しいですね。波及的に色んな問題が炙り出されてきさうです。
>一般には教育の目的は善き人を育てる事だから、どんな宗教を奉じてゐても立派な人ならば、生徒に善い感化を与へるでせうね。
>しかし、善きキリスト信者であればある程、教へ子には、キリストの復活と救ひを説くやうな気がしますが…(況してやクェーカー教徒!)うーん、いいんですかね?
以下のことは以前から記事にしようか迷つて、結局、書かず仕舞ひだつたのですが、
今上陛下は自衛隊を蛇蠍の如く嫌つてをられるのださうです。
自衛隊員を見かけると御顔をそむけられるくらゐに。
「何故、陛下はあんなに我々を嫌ふんだ」と自衛隊幹部はいつも嘆いてゐるとか。
私はこのことを政府関係者に知り合ひが多い某大学教授から直接聞いたのですが、
確かに、陛下はクウェーカー教徒から教育を受けられたわけですから、この話はあながち嘘ではないやうな気がします。
>明治の世では、天皇の君としての地位は明確だつたから「君として如何にあるべきか」といふ帝王学が成立しますが、戦後の「象徴」なる地位ではさうはいきません。
>「善き君主」は教育の目的たり得ますが「善き象徴」なんて目指しやうがない。一体何を拠り所に何う教育をすればいいのかさつぱりわかりません。
>現場の人はもちろん陛下御自身も、自らの存在の曖昧さに、さぞ悩まれてゐる筈です。
これを読んではつとさせられました。
仰る通り、現在のやうに天皇の地位が曖昧なまゝではその天皇にどのやうな教育を施すべきか指針が立ちにくいですね。
それに、仮に帝王学を施すとしても、今の時代に乃木希典のやうにそれを施し得る人物が居るのかも甚だ疑問です。
>すべて「天皇」をあやふやな存在のままにさせ続けた>日本人の知的怠惰が原因ですね。
>僕も「天皇の教育」なんてまともに考へてゐませんでした。
>ああ、これは考へれば考へるほど難しい問題ですね。とても僕の手には負へません(笑)。
ほんたうに難しい問題ですね。
それを考へはじめると、まづ「天皇とは何か」から議論を始めなくてはなりません。
無論、私の手にも負へません(笑)
この頃はブログの更新がすっかり滞ってすみません。
古い記事へのコメントも大歓迎ですので、御遠慮無くどうぞ。
御紹介いただいた著書は未読です。
今度、拝見したいと思います。
>天皇のご本質は祭祀です。そこが西欧の単なる帝王とは違うところです。
全く同感です。
我々日本人にとって大切な事は天皇個人ではなく、大昔から「祀る神」として天皇を戴いてきたという事実です。
天皇の本質が祭祀にあることを哲学的な視点から書かれた本に松原正さんの『天皇を戴く商人國家』があります。
興味がありますれば、是非一読をおすすめいたします。