東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

どうする核のゴミ<6> 増やさず、管理下保管

 使用済み核燃料を埋設するフィンランドのオンカロは、日本に何を教えてくれるのか。

 最大のメッセージは、日本にはまねが難しいということだ。

 オンカロは自然の地下要塞(ようさい)だった。技術の粋ではない。国土を覆う厚さ数十キロの巨大な岩盤が、危険な使用済み核燃料を地上の営みから隔て、万一の放射能漏れからも守ってくれる。

 オンカロを運営するポシバ社は二一〇〇年に核のごみの搬入を終えたあと、入り口を固く閉ざして、そこに何があるのかを忘れ去る方針という。その後の管理は“国土”が引き継ぐことになる。

 フィンランドは地震を知らない国である。オンカロのあるオルキルオト島の住民は何事もなく原発と共存し、原発の恩恵を受けながら、町を発展させてきた。

 繰り返すが、日本は世界有数の地震国である。地層処分の適地は見つかりそうもない。

 このような両国の違いを踏まえて提言したい。使用済み核燃料の「最終処分」という看板を、今は掲げるべきではない、と。

 日本学術会議は昨年九月、核のごみの「暫定保管」と「総量管理」を提案した。

 核のごみを数十年から数百年、いつでも取り出せる状態で、処分ではなく保管する。その間に最終処分の研究を進め、新技術が確立すれば保管したごみを取り出して、やり直す。

 一方で、核のごみの排出総量を規制する。つまり原発の稼働を減らす。原発ゼロなら、当然ごみも一切でない。

 オンカロを見た目で、これらの提案はもっともだ。

 保管場所は、民主的手続きを経て決めるしかない。保管には、止めた原発のプールの活用や冷却水の不要な乾式キャスクを用いたり、さまざまある。

 核のごみの存在を消費者が意識することも大切だ。これ以上増やさないような工夫なら、私たちにもできる。

 日本では、核のごみを“国土”に引き受けてはもらえそうもない。新技術が確立されない限り、その時代を生きる人間が面倒を見続けていくしかない。

 十万年先への責任を負うのは、むろん私たち自身なのである。 (論説委員・飯尾歩)

 

この記事を印刷する

PR情報





おすすめサイト

ads by adingo