Spring wind
「もう一度どづいたるねん」
 先日、友人からメールをもらった。
 冒頭の「お元気ですか」の一言に「『風通信』はまだですか。そんなにサボっちゃあだめですよ」といったニュアンスを感じた。
 近況を記しただけのほんの短いメールの中に「毎日の夕刊の元ボクサーの赤井さんのインタビュ−には泣けました」とあった。
 それで毎日新聞の綴じ込みを繰ってみた。
 それは「2人の娘の死に直面して」というタイトルの赤井英和へのインタビューで構成された記事はだった。

 赤井英和は、高校からボクシングを始め、インターハイで優勝。近畿大学進学後、プロ転向以来、12試合連続KO勝ちの記録、「浪速のロッキー」のニックネームで親しまれたが、KO負けの試合で生死の境をさまよい引退。現在は俳優として活躍している。 昨年、その赤井に双子の赤ちゃんが生まれた。予定日よりも2か月も早い出産で、2人とも未熟児だった。2人は「さくらこ」と「ももこ」と名付けられたが、ももこちゃんは生後3日目に死亡。さくらこちゃんも脳や心臓の病気があって、新生児集中治療室で治療を受けることになった。しかし、赤井と妻の佳子さんは在宅ケアを決断した。さくらこちゃんが、自分や妻やお兄いちゃんやお姉ちゃんと家族みんなが見守る中で、生きてほしいという願いがあったからだ。が、在宅ケアを支援する病院があまりも少ないことに愕然とする。そんな中、やっと在宅ケアの道が開けた矢先に、さくらこちゃんの人工呼吸器の管が外れ、20分間、脳の低酸素状態が続いた。そして、医師から脳死状態であることを告げられ、人工呼吸期を外すことを承諾した。こうしてさくらこちゃんも7か月という短い生涯の幕を閉じた。
 赤井はインタビューの最後をこう締め括っている。
「おなかにいる時、双子と聞いて、同じ顔をした2人が同じ服着て、乳母車に乗って……楽しいことしか頭に浮かんでこなかった。でも、生まれてみると、歩けるかどうかも分からん。苦しみながら生きた彼女たちを見て、ぼくたちは心の痛む思いしか残っていませんが、同時に私たちに子供の大切さを改めて教えてくれ、すごく大きなものを残してくれたと思うてます」

 かつて赤井は、死の淵から生還することによって、命の大切さ、生きていることの素晴らしさを教えられた。そして、今度は、小さな命を授かり、懸命に愛し、失うことによって、多くの人に、命の大切さ、生きることの素晴らしさ、いやそれだけではない人間の本当の強さ、優しさとはなにかを教えることになった。
 赤井英和という男は、「ね、人間てそう捨てたもんじゃないでしょう」ということを体言する武士(もののふ)として選びだされたのかもしれない。

 その夜、ベランダから空を望むと、寄り添って瞬いている小さな二つ星が見えた。
 目をつぶると、汗みどろになってサンドバッグに向かってパンチを繰り出している若き日の浪速のロッキ−が浮かんだ。