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ローマ法王 28日で退位を表明
2月11日 20時46分

ローマ法王 28日で退位を表明
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バチカンのローマ法王庁によりますと、ローマ法王ベネディクト16世は11日に行われた枢機卿を集めた会議で、今月28日をもって法王の座を退くことを明らかにしました。

ベネディクト16世は、この場で枢機卿たちに対し、「何度にもわたって神に対し良心に照らして考えた結果、高齢に達している我が身が法王としての職務を達成することができないという確信をもった」と述べて、今月28日の午後8時を持って法王の座を退く意向を表明したということです。
ベネディクト16世はまた、「素早い変化に見舞われ、信仰にとってとても大切な問題に揺れる今日の世界では、ローマ法王には心身ともに活力が必要であるが、私にとってそうした活力がここ数か月弱ってきており、私に与えられた職務を遂行することができなくなった」と述べたということです。
ベネディクト16世はドイツ出身で85歳。
2005年にヨハネ・パウロ2世が死去したのを受けて、265代目のローマ法王に選ばれました。
就任時に78歳と最近のローマ法王としてはとりわけ高齢だったことに加え、最近では健康不安がしばしば取りざたされていましたが、これまでの歴代の法王は死去するまで法王を続ける場合がほとんどで、在任中にみずから法王の座を退くことを表明するのは極めて異例だということです。

在任中の退位は600年ぶり

アメリカCNNなどによりますと、ローマ法王が在任中にその座を退くのは極めて珍しく、歴代の法王ではおよそ600年前の1415年に辞任したグレゴリウス12世にまでさかのぼるということです。
当時、カトリック教会は南フランスにも法王が擁立され、2人の法王が正統性を主張して対立する分裂状態にあり、グレゴリウス12世はこの分裂状態を収束させるために強制的に辞任させられています。

ベネディクト16世とは

ベネディクト16世は1927年、ドイツ南部のバイエルン州にある小さな町で警察官の息子として生まれました。
14歳の時、当時のドイツで参加が義務付けられていたナチスドイツの青少年組織、ヒトラーユーゲントに加わり、戦争中にはナチスのエリート部隊への入隊を誘われましたが、聖職者への道を歩みたいとして拒否し、戦争終結を前に軍を除隊したということです。
ベネディクト16世はこれについてみずからの伝記の作者に、「ヒトラーユーゲントに加わったことは自分の意志ではなかった」と釈明しています。
その後、前の法王のヨハネ・パウロ2世を20年以上に渡って側近として補佐したあと、ベネディクト16世は、2005年4月に第265代のローマ法王に就任しました。
初めてのミサでは、異なる宗教や文明の間の対話を進めていく方針を強調し、初めての外遊先として訪れた故郷のドイツでもイスラム教徒の代表者と面会し、キリスト教徒とイスラム教徒が協力してテロの根絶に努力することが必要だと強調するなど、宗教間の対話に努めました。
また、法王としてインターネットのツイッターにアカウントを持つなど、ITを使ったカトリックの布教活動でも話題を集めました。
しかし、在任中にアメリカやヨーロッパの各国で、カトリック教会の聖職者が信者の子どもに対して性的な虐待を行っていたことが次々と明らかになるカトリック教会最大のスキャンダルが起こりました。
ベネディクト16世は、2010年、「罪のない人たちがことばで表せないほどの罪の被害にあったことに深い遺憾の意を表します」と述べ、虐待を受けた被害者に会って謝罪するなど対応に追われました。
ベネディクト16世は法王の座についた時点での年齢が78歳と、過去およそ270年間で最も高齢の法王でした。

法王選出の手続き

ローマ法王ベネディクト16世が法王の座を退いた場合、ローマ法王庁では、後任の法王を選出する「コンクラーベ」と呼ばれる会議が開かれます。
コンクラーベは、法王の座が空席となって15日から20日の間に法王庁内のシスティーナ礼拝堂で行われ、全世界におよそ120人いる80歳未満の枢機卿が参加する資格を持っています。
枢機卿の中で次の法王にふさわしいと思う人物に投票し、3分の2を超える票を獲得した人物が出るまでコンクラーベが続けられます。
投票用紙は投票直後に燃やすことになっていますが、新しい法王が選出された場合、法王庁の煙突からは白い煙が、決まらない場合は黒い煙が立ち上り、カトリックの信者だけでなく世界の注目がバチカンに集まります。

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