Guiltyから出された『お兄ちゃんへ』は1997年7月25日発売。当時としてはなかなか美麗な人物CGが目を引きましたが、きれいなのは人物だけで背景は写真取り込み、しかも画像の切り替えが遅いため、マシンスペックによってはややもたつきました。
それとは関係ないのですが、私がプレイした当時はメッセージウィンドウが表示されず、購入したショップに相談に行ったという経緯があります。結果としては、ディスプレイアダプタのデバイスドライバを更新すればよく、このときにはフロッピーにデータをコピーしてもらって解決いたしました。今はなきそのショップは、1階表にゲームを扱い1階奥がメーカーPC、2階以上がパーツという構成だったと記憶していますが、白昼堂々ゲームの内容確認を求めた私も、若かったんだなと苦笑せざるをえません。「ドライバって何?」という程度の知識しかなかった私にとって、ゲームメーカーのユーザーサポートはなかなか相談しづらいところで、電話をかけても「PCのマニュアルを調べてください」程度の返答してかありません。当時はPCをネットにつないでおらず(インターネットはおろかパソコン通信ともまだ無縁)、ゲーム関係の雑誌も買っていなかったため、何かあったときには販売店へ、という発想でした。
ハードウェアについては、購入の際に店員に質問して確認するのは、現在でも当然のようにやっておりますが、ソフトウェアパッケージの場合は、売り場にあるのを手にしてそのままレジに持って行くのみというのが常になっています。
こういった「初心者」が気楽に対応を期待できる窓口は、現在ではどこにあるのでしょうか。情報洪水といったことばが使われるようになりネット常時接続が常態化したこんにち、情報の収集には苦労せずとも、情報へのアクセスガイドについては不親切な環境が一般化したような気がいたします。パソコン雑誌が入り乱れていた1990年代とは異なりPCが日常的なプラットフォームとして定着した反面、複合的な知識や経験を適切に伝えられる機会も定着したかと問われれば、かなり妖しいように思われます。こと18禁ゲームの場合、その敷居そのものはかなり下がったといえるでしょうが、ゲームを契機にハードの勉強を進めた私には、汎用性のある機械としてのPCをプラットフォームとすることの必然性は、レーティング以外には見つけられません。コンシューマー機で扱えないからPCで、という理由で18禁PC市場が存続していることは、一般PCゲーム市場の現状をみれば明らかですが、その背景には、こういった「敷居は低く、扉は狭く」という流れがあったのではないかと思料します。