「いま、ベトナムが大変なことになっているんだ!」ソリューション営業を担当する鳥飼にそんな声がかかったのは2010年春だった。「もともと当社と長いつきあいのある、インフラ系の産業資材を製造しているお客様でした。ベトナムに新工場を建てる、というのでまずは話を伺いにお邪魔したんです。」そこで初めて鳥飼は話の大きさに驚いた。お客様が海外各地で展開している工場を将来的にベトナムの新工場に集約する可能性があり、世界中の工場のシステム統合も見据えた提案を求められたのだ。早速、鳥飼は経験豊富なエンジニア坂口に声をかけた。「会計を除くすべての基幹システムを提案して欲しいという大きな話、その上、年末までにシステムの完成が必要。これは、かなりのスピードと専門性が求められると感じましたね。」さらに、この案件はコンペでもあった。そこで、二人はとにかくお客様に通い、情報収集に努めることにした。鳥飼は言う。「週に1度と言わず、2度、3度と顔を出す。それで、漠然としていたシステムの概略やご要望も鮮明になっていった気がします。」
「ベトナムの工場を見に来て欲しい。」嬉しい声がお客様からかかったのは、7月を迎える頃だった。鳥飼と坂口は内心ガッツポーズをつくった。「当社に決まったわけではありませんが、これは、かなりの確率で私たちに仕事が来るだろうと思いました。」提案の骨子は、こうだった。お客様の要望である短納期と低コストを実現するために、ERPパッケージを採用する。パッケージにはいくつもの種類があるが、ベトナムで使うことを視野に入れ、多彩な言語に対応できるものを選定した。また、社内から販売や在庫管理など、それぞれに深い業務知識を誇る人財を集め完璧な提案内容に仕立てあげたのだ。「業務知識のある人財をと考え、社内中から人財をかき集めました。販売に詳しい受注チーム、在庫チーム、インフラチーム、共通基盤チームなど。お客様はそんな私たちのチームビルディング力にも期待してくださったのだと思います。」そんな坂口の判断が、後々、功を奏することになる。
4人乗りのバイクが信号のない道を走り抜け、渋滞する車道からは絶え間なくクラクションが鳴り続ける。7月、鳥飼らはベトナム入りを果たしていた。お客様のベトナム工場での、初めてのプレゼンテーションだった。「提案そのものはシンプルでした。」そう鳥飼は語る。「時には提案書が100枚近くに及ぶ提案もありますが、今回は20枚程度。方針を表す紙一枚と、保守の体制を語るものの2つ。実は国内での打ち合わせで、かなりお客様のご要望に肉薄していたことがシンプルな提案につながったのです。」第一フェーズでの開発ではコストとスピードを重視し、その後、状況に合わせて第二、第三の開発を行うというのが、坂口と鳥飼の考えだった。坂口は、開発後の保守体制についても提案した。「低コストでの開発を実現するため現地のSIerに協力を仰ぎました。ベトナム人エンジニアが開発し、その後の保守も行う。言葉の壁はありませんから、お客様も安心感を持っていただけるだろう、と考えたのです。」
ひと月後、ベトナム工場に再び坂口と鳥飼の姿があった。コンペに勝ち、開発スタートに向けてのキックオフが開催されていたのだ。キックオフは、関係者全員を集めての会議室での概要説明の後、実際の製造ラインに沿って歩きながらの打ち合わせとなった。「まず、業務フローを把握するのです。」坂口は、1600m2もの広大な製造ラインを、システム開発の視点から見つめ直したのだ。「確認するのは伝票記入のタイミングや実績入力のタイミング。作業指示書はどの行程で出て、いつ受け取るのか?さらには1日の生産量や、端材の廃棄の仕方など、多岐に及ぶ内容でした。」このヒアリングは実に5日間にも及んだ。その中には坂口自身が業務フローを作成し、その上で、システムに合わせた効率的な作業工程を提案するシーンもあった。ゼロからの工場立ち上げとシステム構築という案件の中で、製造メーカーに深い知見を持つ坂口のキャリアが役に立った瞬間だった。
こうしてシステム開発がスタートすると、思わぬ苦労も待ち受けていた。坂口は語る。「外国人エンジニアとの価値観の違いですね。あえて、言語への対応力を重視し、ベトナムやインドなど多彩な国籍を持つエンジニアを選んでいましたが、定時通りしか働きたくないという方も多くて・・・。」しかし、それでは納期には間に合わない。「求められたのは、こちらのマネジメント力。彼らを理解し、どう動いてもらうのか工夫しました。これは初の海外案件で学んだことの一つですね。」そんな中、日本からは強力な助っ人が投入された。コプチェンスキー・ジェレミー、アメリカ生まれアメリカ育ちでありながら、日本のSI企業を選んだエンジニアだった。彼が任されたのは検証作業だった。「バイリンガルであるため、私にチャンスが巡ってきたんです。」ジェレミーは、“受注”や“製造開始”と言った製造ラインのプロセス毎に、どんな状況でもシステムが稼働するのかを確認していった。
2010年12月。いよいよシステムは完成の日を迎えたが、その成否は実際に工場が稼働しなければわからない。工場が動き出した瞬間の感動を坂口はこう振り返る。「初伝票が無事に出力された時、みんなで歓声を上げました。『いよいよ動き出したぞ!』って。」ジェレミーにとって、もっとも印象的だったのは初出荷の瞬間だった。「トラックの荷台に製品を積み込み、海外へ出荷するのですが、その初出荷の日は、社長以下全員が集まって、ちょっとした儀式のような場になりました。」初めて工場から生産された製品が世に出て行く。間接的ではあったが、それはジェレミーや坂口、そして、鳥飼らの仕事の成功をも表していた。
初の海外プロジェクト成功の日から、すでに1年。現在、プロジェクトチームが視野に入れているのは、システムの第二弾、第三弾の開発だ。自ら生み出したシステムが各国の工場で使われる日を夢見て今も彼らの活動は続いている。