2013.2.6
■ 皇族の住まいの所在地など ■
◎ 天皇一族はどこで暮らしているか ◎
【国民・市民の血税で優雅に生活する人びと】
① 週刊誌2誌の見出し-雅子妃の動向に関する記事-
本日〔2013年2月6日〕の新聞朝刊を開いてめくっていくと,有力週刊誌の広告が掲載されていた。まず『週刊新潮』2013年2月14日号〔2013/02/06発売,特別価格390円(税込)〕の記事紹介を少しだけ引用してみる。
懲役5年の「内柴被告」と同じ穴の「国土交通大臣政務官」
「徳田 毅」代議士が慰謝料 1000万円の「未成年女性」泥酔姦淫
--日本最大の民間医療組織「徳洲会」の御曹司,徳田毅代議士は41歳の若さで国交大臣政務官に抜擢された。だが,前途洋々の彼には政治家の資質を問われる脛の傷があった。新婚早々,知人の若い女性を酔わせ,強引に関係を持ち,裁判を起こされたのだ。その訴状には破廉恥な一夜の顛末が・・・。
【ワイド】(この項目の冒頭記事が)女たちの「夜間飛行」:『(1)毎年恒例! 「雅子さま」「愛子さま」の松屋デパート貸し切りショッピング』である。つぎに『(2)父は総理で倅も総理という権力の大奥に生きた「安倍洋子」夫人の龍』である。このワイド関係の記事は,以下(3)から(18)までもあるが,紹介の必要なし。『週刊新潮』のそのほか編成:目次内容は,【特別読物】【コラム】【小 説】【テンポ】【グラビア】が立てられ,いろいろな記事が掲載されている。これらも,今日の話題に関係なし,ということで省く。
註記)http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/newest/ 参照。
つぎに,やはり今日発売の『週刊文集』2013年2月14日号から,つぎの記事の見出し文句のみを拾っておく。『ご本人は銀座デパートご来店 「雅子さまとこれほど会話がないとは・・」,東宮大夫苦悩告白「もう辞めたい」』。同じ日に発売された主要週刊誌2誌がともに共通して,皇族問題のひとつである《雅子問題》をとりあげている。それも「松屋デパート貸し切りショッピング」関連なのだそうである。庶民にはなかなかできない〈芸当〉を,皇族の一員として皇太子の妻である人物がおこなっている。皇太子一家のための仕事に就いている宮内庁職員「東宮大夫」が,なにやら悲鳴とも不満とも区別しにくい業務上の感想を吐いている。いったいこれはなにをいいたい,そして意味したい週刊誌の記事なのか?
なにせ大昔から〔ただし明治以来という意味だが〕,魑魅魍魎の伏魔殿的雰囲気もなきにしにあらずの皇室内家族生活模様である。なにがあってもおかしくない小宇宙での出来事でもある。特別階層:特権階級扱いされている皇族たちの生活実態に関する話題であるから,庶民(一般市民)の日常生活からはただちには分かりにくい,彼らの行動様式が現象することもしばしばである。
② 皇族たちの住まいはどこにあるのか
宮内庁ホームページには,以下のように説明されている。
a)「東宮御所は,皇太子同妃両殿下,愛子内親王殿下のお住居で,赤坂御用地の中にあります。なお,赤坂御用地には,東宮御所のほか,秋篠宮邸・三笠宮邸・寬仁(ともひと)親王邸・高円宮邸があり,その一角で園遊会が催されます」。
出所)http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/togugosho-ph.html
出所)http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/akasaka-map.html
b)「宮 邸」 「秋篠宮邸は,東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にあります。秋篠宮邸は,改修した旧秩父宮邸を平成9年3月からご使用になっています」。「常陸宮邸は,東京都渋谷区東にあり,昭和51年12月からご使用になっています」。「三笠宮邸は,東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にあり,昭和45年11月からご使用になっています」。「寬仁親王邸は,東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にあり,昭和57年12月からご使用になっています」。
「桂宮邸(御仮寓所)は,東京都千代田区三番町にあり,昭和63年1月からご使用になっています」。「高円宮邸は,東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にあり,昭和61年12月からご使用になっています」。「高輪皇族邸(旧高松宮邸)は,東京都港区高輪にあり,故高松宮同妃がご使用になっていました」。
註記)http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/miyatei.html
③ 地図によって彼らの住まいを観る
以下に全員ではないが,赤坂御用地内に住居を構えて暮らしている皇族たちの家の位置・配置を,航空写真地図でしっておくことにする。説明は不要の地図が並べられる。前掲の「赤坂御用地」略図とみくらべように観てほしい。
この赤坂御用地の周辺は,皇族たちの家がありその家族たちが住んでいるということで,周囲の警備態勢もなかなか充実しているようにみえる。周辺の地図をよくみながら,こういう説明をしてみることにしたい。
★-1「警視庁赤坂署」〔前掲「航空写真:その3」「その4」参照〕。南側道路を挟んで東寄りに位置する。ここから,時計まわりに進むと,同署の関係施設がつぎのように配置されている。
★-2「青山1丁目交番」(隣接区画の西南角) ★-3「東宮御所警備派出所」(敷地内の西北角)
★-4「東宮御所正門警備派出所」〔「航空写真:その2」参照〕 ★-5「鮫が橋門警備派出所」
--ここから敷地内に入ってすぐ,
★-6「皇宮警察本部赤坂護衛署」
--また敷地外に出て近くに,
★-7「南元町警備派出所」(道路挟んで向かい側)
敷地内では北側へ三角に伸びた場所に《赤坂迎賓館》がある。
--同上場所から少し北へ離れた四谷駅前となるが,
☆-8「四谷見附交番」
--敷地東側をしばらく南に向かい青山通りに突きあたる直前に,
★-9「赤坂護衛署第4警備待機所」
--青山通りを挟んで向こう側に,もとに戻って,最初の赤坂署。
※ 以上は細密な地図でみれば記入のある所在・家屋であるが,縮尺を下げるとみえない。地図において「赤坂御用地」には「元赤坂」以下の住居表示詳細〔←もともとないものらしいが〕は出ていない。
★-2「青山1丁目交番」(隣接区画の西南角) ★-3「東宮御所警備派出所」(敷地内の西北角)
★-4「東宮御所正門警備派出所」〔「航空写真:その2」参照〕 ★-5「鮫が橋門警備派出所」
--ここから敷地内に入ってすぐ,
★-6「皇宮警察本部赤坂護衛署」
--また敷地外に出て近くに,
★-7「南元町警備派出所」(道路挟んで向かい側)
敷地内では北側へ三角に伸びた場所に《赤坂迎賓館》がある。
--同上場所から少し北へ離れた四谷駅前となるが,
☆-8「四谷見附交番」
--敷地東側をしばらく南に向かい青山通りに突きあたる直前に,
★-9「赤坂護衛署第4警備待機所」
--青山通りを挟んで向こう側に,もとに戻って,最初の赤坂署。
※ 以上は細密な地図でみれば記入のある所在・家屋であるが,縮尺を下げるとみえない。地図において「赤坂御用地」には「元赤坂」以下の住居表示詳細〔←もともとないものらしいが〕は出ていない。
④ わけの分からぬ「雅子妃」論
『日々是好日』という名のブログが 2011年9月29日の時点で,出だしのところだけは「本ブログの本日」と同じような体裁の記述もみせていながら,つぎのように語っていた。関連のありそうな個所だけ引用しておく。補註は本ブログ筆者の寸評である。
註記)以下,http://blog.goo.ne.jp/lazybones9/e/1083b3e1cdb8be0ed7d876caef15f892 2011-09-29 22:25:43
☆ 雅子妃て皇后に相応しいお方? ☆
今日の朝刊に『週刊文春』と『週刊新潮』の広告が並んでいて,それぞれが雅子妃のことを大きく打ち出していた。「週刊文春」は『雅子さま愛子さまに宮内記者が「税金泥棒」「異様な親子」』とあり,「週刊新潮」には『「学習院」を打ちのめした「雅子妃」の月曜日事件」』と,どうも過激である。国民の敬愛の対象であるべき皇室としては,宮内記者によるひどい叩かれようで,少なくとも雅子妃は宮内記者を完全に敵に回したようである。なにがどうだったのか,好奇心はむずむずするが,まだ店頭で立ち読みするまでは体力が回復していないので,記事の中身は分からない。分からないままに,これまで私の考えてきたことを含めて,皇室のあり方というか,行くすえについて少し触れることにする。
補註)「宮内記者と雅子の対立構造」を想定しているようであるが,背景としてはもっと日本社会全体への広がりを前提しておいたほうが無難である。皇族一家が「国民の敬愛の対象」だとはいっても,その空気作りは「自家のペットを愛玩する間柄」でのように簡単にはいかない。
皇室に入る女性にもっとも期待されることは,『皇統に属する嫡出の男系男子の皇族』の出産である。これが現在,皇室典範に定められる皇位継承者の資格であるからだ。その意味では,現時点で雅子妃は皇太子妃としては失格である。
補註)このような裁きを下せる論述ができたこのブロガー,よほどの皇室問題の専門家と思いたいが,もっとも,この程度のことは,誰にでも繰り出せそうな裁断であることも,またたしかである。皇室問題については1億2千数百万人が総評論家になりうる。民主国家日本のいいところである。
現在進行中のNHK大河ドラマでは,やがて2代将軍となる徳川秀忠の正室お江の方に生まれるのが女子ばかり,もう4~5人は生まれたが,まだ男子に恵まれない。秀忠の乳母大姥局には「男子を男子を」とプレッシャのかけられつづけ,やがて3代将軍となる家光を産むことになっている。側室制度が確立していた時代にも,正室の嫡子の重みはあったのである。そのプレッシャに相当するのが雅子妃にとって皇室典範であった,と私は思うのであるが,雅子妃が実際にどう受けとられたのかはしるよしがない。
出所)写真は,http://www.wretch.cc/blog/joycefairy/12677858 より。
雅子妃に嫡系男子がお生まれにならない。私は,後宮制度を復活させるのも伝統を甦らせる意味において賛成(現実的には天皇家のみ)であるが,いまのご時世では同調者はほとんど居ないであろう。となると,皇太子が嫡系男子を儲けるまで離婚・結婚を繰り返すのが次の選択肢として考えられるが,そこに至るまでに秋篠宮殿下に平成18〔2006〕年9月6日に,皇室としては41年目に男子として悠仁親王が誕生,皇位継承者をえたことから皇統についての論議が沈静化してしまった。しかし問題の本質が解決しているわけではないので,それこそ時間をかけて皇室典範の改正案を作製していくべきである。
補註)女帝天皇をめぐっては当時,橋本龍太郎元首相などが裏舞台で暗躍していた。それは「皇太子夫婦」間において,皇太子孫(もちろん男子)を「創作的に誕生させるための工作:演劇でもあった」。このような皇室の裏史をしっての記述かどうかはさておき,皇太子に離婚・結婚を繰り返させても男児を生産させろという選択肢は,奇抜な発想というよりは,犬・猫に対するごとき「ブリーダー繁殖的な扱い」に聴こえなくもない。
嫡系男子をお産みになれなかったことと,世間がとり沙汰するゴッシップめいた雅子妃のお振るまいになにか関係があるのかどうか,それは私には分からない。しかし,さらに分からないのが「お病気」のことである。「お病気」の実態がどうなのか,またその発症の経緯がどうなのか,宮内庁からある程度は国民に情報がもたらされているのであろうが,私自身はほとんどしらないといわざるをえない。
補註)宮内庁による情報管制,あるいは皇太子一家による家庭内秘密保持主義(プライバシー?)があるのかどうか,これもよく分かりえないことがらであるけれでも,雅子が〈正真正銘の本格的な病気〉であるかどうかさえ分明にできない皇室一族の内情は,果てしなく「うさん臭いもの」である。彼女の病気とは多分「病気」ではない。
それは,「病気の気分」:〈病気のようなたぐい〉に関する『個人的な姿勢のひとつ』である。皇室内家族生活の不自由,それも精神生活的に我慢のならない,つまり「宮内庁という官僚組織」がいつも蚊帳のように自分の頭上にかぶさっているごとき,ふだんの日常生活に関しては,一言ではいい表わせない大きな不満を溜めこんできた「彼女の側からの対応:反攻である」と推察される。いまの雅子は,子供作りには完全に不適の年齢になっている。
そこで,年に1度は「松屋デパート貸し切りショッピング」で憂さ晴らしということらしい。だが,国民の血税でもってする,そのような消費者としての購買行動であるから,ここに国民感情とやらをわれわれ側からもちだし,皇族一家の一員である彼女に対して,あれこれいってみる筋合いは大いにある。国民というか,納税者(tax payer)の立場からいっても,あまりに〈当然の権利〉である。
補註)雅子は,皇室の公務なんぞ「ナントモ思っていない」節がある。いまの皇室もまた,時代の流れとともに徐々に変化・変質している。正田美智子が「皇室に嫁入りした」とき,姑になる人物がなんといったか? 「民間から皇太子の嫁を娶るなどとは怪(けし)しからぬ」と。
もっとも,昭和天皇の奥さんになったこの人も,嫁入りまえに「色覚異常(以前は「色盲」と表現)の遺伝子」を体内もっているとの理由で,裕仁とのあいだに成立していた婚姻(婚約)に反対されたことがある。明治期最後の元老山縣有朋がその反対者であった。
美智子の話に戻すと,ともかく「そのときは」まだ若い嫁さんだった彼女も,いまはりっぱに姑の立場である。雅子に対して決定的にキツイことをいえない。雅子のほうだって,父親関係の人的ネットワークを背景に強気の姿勢を構えているからには,そう簡単には「現状をかえるつもり」もない。彼女は相当に強気でいられるのであって,病気を理由(隠れ蓑)に使い,自分の本心を隠している。
出所)画像資料は,http://killkorea.iza.ne.jp/blog/entry/301254 週刊誌『女性自身』2007年9月11日号から。
雅子妃が皇后に相応しいお方なのかどうか,私のいまの心情では否定的である。ただ,実情については小沢一郎問題よりも不透明で,現状では宮内庁の国民に対する情報開示が,ほとんどなきに等しいといわざるをえない。まずは,情報開示に対する現状の打破を期待したいところである。
補註)『日々是好日』さん,皇室は情報開示したら「なんの価値もないところである」ことを承知か? 「秘することに価値をみいだす」ほかない「明治以来の皇室の伝統」をご存じないのか? 皇族1人ひとりに関する,それも「われわれの血税」に頼った優雅な生活の,いったいどこまでを情報開示させればよいのか,一度でも考えたことがあるのか? 敬語・敬称をフンダンに使ったブロガーに,以上のような期待はしないほうがいいかもしれないが・・・。
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