2012-07-21 共産党人脈に本気で期待する
大津のいじめ犯罪事件で、被害児童のご遺族が第三者委員会のメンバーに教育評論家の尾木直樹氏を推薦したと聞いて、本気で驚きました。
「大丈夫ですか?あの方は、今回はさすがに『これは犯罪です、許せない』と叫んでいますが、いつもは加害者も含めて『子どもは悪くない』と言ってる人ですよ」
と、連絡を取りたくなりましたが、
もう一人の和歌山大の松浦善満教授という方の過去の論文を調べて合点がいきました。
これは共産党系人脈です。
尾木直樹氏は元日教組の闘士であったことまでは、ご本人も認めていますが、日教組(民主・社民系)と全教(共産党系)に分裂する前の闘士であり、その主張や人脈は完全に共産党系の人です。
松浦善満教授も、論文テーマや論文内容から同様に共産党系の方と推測できます。
ご遺族が教育部門に素人だとしたら尾木氏はともかく松浦氏の名前が出てくるとは思えません。
おそらくは、ご自身か、依頼している弁護士か、この件で頼りにしている人が日本共産党と懇意(又は党員)な人なのでしょう。
だとすれば、私はこの人選は「ベスト」に近いものと思います。
今回のように、警察、学校、地域社会総ぐるみでの「隠蔽」に対して、徹底的に真相解明に向けて動くのは、悲しいかな、このベタベタ日本社会では、原理主義者的な共産党系の人達しかいないのです。特に田舎はそうです。
※ 今回の記事は皮肉ではありません。田舎の村役場で共産党系の議員が一人当選しただけで「海外視察旅行」が無くなったという例もある位に、「融通がきかない」のが共産党系の人であり、今回の事件では、その体質が吉と出る可能性が高いはずです。
保守系では警察に、民主・社民系では教職員組合や学校、教育委員会への遠慮が出て「落としどころ」を探ってしまう危険性が高いのです。もちろん、被害者が通学していた学校が共産党系組合が多ければ同じことが起きる可能性はありますが、今回そのような情報を私は持っておりません。
※ 私が推薦するならば、誰を敵に回すことも恐れない内藤朝雄氏ですけどね。
さて、市長はこの「隠蔽」側に厳しい推薦案にどう出るでしょう。
滋賀の共産党議員にしても、事件をネタに教師の待遇増を求める馬鹿っぷりですし。
自覚がないのですが、知らないうちに、いろいろなところで敵を作っていますか?
朝ズバでは義家さんが組合をたたくことに照準し、BSプライムニュースでは国会議員の斎藤さんという方が妙な輪郭のフワフワした喋りかたをし、
みなさん、背負っている所属が発言に反映されるのかなとおもしろかったです。
大規模大学の文系教員は、正しいと思うことを言いたい放題言えるという、最高の贅沢を楽しむことができます。
わたしはそれを、しょぼい給料、高いボーナス、と呼んでいます。
本来教員の身分保障とは、グループに属さない、一個人として正しいと信じることを、
露骨に表明する権利の保障で、赤旗を振るグループや日の丸を振るグループへの忠誠のために
、自分の立場を使うためのものではないと思います。一個人として日の丸を振るのも赤旗を振るのもよいですが、
みな、グループへの忠誠で動いているようで、もったいないです。せっかくの高いボーナスを使わず、しょぼい給料で、
所属グループへしっぽを振る人たちは、贅沢の仕方がわかっていないようにおもわれます。
大学の文系教員は、どの勢力も扱いづらい、いつも論点抱き合わせセットからはみ出す、
やっかいな一個人であるからこそ、存在意義があるのです。
ただ、芸人として飯を食う必要性がないせいか、芸の基本技能が低いのは、反省しなければならないと痛感しました。
喋り下手は、なんとか訓練して改善しようと思います。
私は、どんな勢力から、どのような「われわれにとってつごうのわるい」「敵」として認定されていますか。そのあたりのことがよく理解できていないようです。
日本社会では立場によってモノを言うこと、つまり「ポジショントーク」をすることが、
「大人」であることと理解されています。
したがって、内藤さんのように「左」に認識されていながら、時に左派全体主義を批判する人や、
私のように「右」と認識されていながら、今回は「共産党系がベストに近い」と発言する人間は、
それだけで嫌われるのです。
なぜなら、そういう意見の方がポジショントークよりも説得力があるからです。
森口朗が「校内犯罪があった場合は警察が介入すべき」と言っても
右派のポジショントークと認識される恐れがありますが、
内藤朝雄が「校内犯罪があった場合は警察が介入すべき」と主張すれば、
より説得力があります。
そして、その発言だけで内藤朝雄氏は警察権力を忌み嫌う新左翼の人達から嫌われるのです。
でも、お互い引き返せないのだから、死ぬまで言いたいことを言いましょう
それにしても、わたしは自分のことを右が大嫌いなリベラルであると同時に、
左が大嫌いな反共主義者と思っているのですが、「左」と認識されるのはなぜなんでしょうね。
「左」と認識されるのは、とっても迷惑なのですが。
私のことを「左」と思う人は、たとえば私のこんな文章
http://d.hatena.ne.jp/izime/20070326/p1
を読むとどう思うでしょう。
それでもやはり「左」と思うのでしょうか。
それでも私は冷戦構造の記憶のあるおじさんのようで、
10代の若者から「先生、右翼って何ですか。天皇の悪口をいう人たちのことですか?」
と聞かれたときには、気絶しそうになったのですが、
聞くところによれば最近の「ネット右翼」には、本当に天皇の悪口をひたすら言いまくるタイプがいるようです。
おじさんが「右」だ「左」だといっている間に、若い人たちが不思議な形態で楽しませてくれます。
ただ、言いたいことを言うリッチと、言いたいことを言えない、タマネギのように言いたいことがないプアがいるということは、
いつの世でも変わらないようですね。
どうせ生まれてきたのだからリッチにいこう、おもしろくいこう、と他人を誘惑するのもいいですね。
また、言いたいことを言えるのがリッチで、言いたいことさえないのがプア
というのも同意しますが、「言いたいことがあるのに立場上言えない」
勤め人の多数派に対する目は、私の方が内藤さんよりも優しいかな。
それはそうと、私は内藤さんが常々おっしゃっている
「いじめの温床である学級というもの、それ自体を潰すこと」
というのを、現実の教育政策に落とし込むと
義務教育段階での単位制学校=単位制中学ということになると
思うのですが、どうでしょう?
私は内藤さんのように過激ではないので、「すべての学校から学級を無くせ」
とは思っていませんが、
1 都会に「単位制中学」を設置し、義務教育だから無試験でその学校に転校できるようにする。
2 通学事情等で「単位制中学」に登校できない子どもには、学力調査への参加を義務付ける条件でホームエデュケーションを認める。
の二つを実施すれば、いじめはなくならなくても、いじめ自殺は相当減らせるのではないかと思っているのですが。
これは内藤さんが理想とする究極の形ではないかもしれないけれども、
今すぐにでも取り掛かれる(つまり、色々な政治勢力に「とりあえずココからやろうよ」と呼びかけられる)現実的な施策と私は思っています。
内藤さんの意見を聞かせてほしいです。
受験生の深夜ラジオのようですね。
私のような学者が望ましい社会構想についてモデルを考え出して提示するのに対して、実際にはさまざまな勢力のせめぎ合いのなかで
ケースバイケースの一回限りの歴史がそれを飲み込んで流れていきます。
現実の政治は、「妥協のアート」であり、マイナス100よりはマイナス50の方がよいといったものでしょう。
パーフェクトな仕方でなければ私のアイデアを使うな、などと言うつもりがないことだけは確かです。
マイナス100よりはマイナス50の方がよい、といった現実政治に、私のアイデアが「部分的」に使われることもウェルカムです。
ところで今ある制度に「接ぎ木」する短期的政策よりも「根本的」中長期的政策の方が「過激」と思われがちですが、
実はそうでもないところもあります。
私は、『いじめの構造』
http://www.amazon.co.jp/dp/4062879840/
PP.234-235で次のように書きました。
「学習支援団体と市民クラブを抱き合わせにしたユニット複合団体のうち、現在の学校とほぼ同じサービスを提供する団体が存在してもかまわない。
‥これを旧学校型ユニット抱き合わせ団体と呼ぼう。/従来の学校を愛する人は、旧学校型ユニット抱き合わせ団体にバウチャーを払って参加することもできる。
/このように考えると、現在の共同体型の学校生活に慣れていて、それを好む人は、評価と指導が分離するという点以外では、これまでとまったくおなじ
学校生活を送ることができる。ただ、選択の自由があるだけである。/さらに、学校共同体を愛する人々にとって、本当に学校共同体を
愛する者だけが学校に通うようになり、強制されて泣く泣く共同体をさせられる「奴隷」がいなくなるのだから、自分たちの「理想の共同体」
はすばらしいものになる。もちろん、学校共同体が嫌いな人は、奴隷的な境遇から解放される。
つまり、学校共同体が好きな人にも、嫌いな人にも、双方にとって利益になる。/
「学校的」であろうと、「学校的」でなかろうと、さまざまな団体は、人々が好み、選択する限りにおいて存続する。/
‥制度を変えた直後は、ほぼ八割の人が旧学校型ユニット抱き合わせ団体を選択するかもしれない。それは、それでかまわない。
その10年後に四割になっているかもしれないし、あるいはあいかわらず八割であるかもしれない。それもどちらでもかまわない。」
実は、おもむろにバウチャーで中長期的改革に行ってしまった方が、真の意味での「自由主義的な保守」との接続が意外とよいのかもしれません。
おもしろいことです。
そして、中長期政策の方が短期政策よりも過激とは限らないというのもおっしゃるとおりです。
ただ、私もバウチャー制度を調査かつ主張する中で、これは中々難しいなと思ったのは、
現在の私立小中学校は、補助金を受け取りつつ、生徒を選別できるという特権も享受しています。
バウチャー制度を導入すると、
「バウチャーを受け取る代わりに学力等で入学者を選別できない」
or
「学力等で入学者を選別できる代わりに全額私費で学校を運営しなければならない」
のどちらかを現在の私学は選択しなければなりません。
(もちろん、バウチャー制度の中に入るけど、入学者オーバーの場合は学力で選抜するという
日本型バウチャーを造るという考え方もありますが、それを納税者に納得させるのはさらに困難です)
ということで、今はなんとなく「バウチャー導入」と言っている政治勢力も
土壇場になると私学運営者サイドに気を使って尻すぼみになるのではないかと危惧しています。
いずれにしても、今日もどこかで「逃げ場のないいじめ」にあっている子どもがいる訳で、
短期的な「逃げ場」創出は喫緊の課題であろうと思っています。
(あ、なんか最後は役所の文書みたいになってしまった…)
10年後の姿が昔ながらの学校が8割でも4割でも選択の結果であるならばOK
というのは、リベラリスト内藤朝雄の面目躍如ですね。
私も、日本のリベラリストが内藤さんのように本物ならば彼らと共に行動したいのですが、
隠れ左翼ばかり多くて困ったものです。
地域社会総ぐるみの隠蔽事件はもちろん、某人権団体が絡んだ裁判沙汰でも、地方だと相談に乗る弁護士は共産系ぐらいしか居なかったりするんですよね。
やはり共産系の弁護士でしたか。貴重な情報ありがとうございます。
確かに、地方って状況によっては共産系しか頼れないというのはありますね。
困ったものというか、共産党はたいしたものというか…
和歌山大学教授(教育学)の江利川春雄氏がこんなことを主張しています。
「大津市の「いじめ問題」を契機に,教員を非難する声が高まっている。
しかし,教師の過酷な勤務実態や,大規模クラスの問題,競争と未来への閉塞感で子どもたちが息苦しい思いをしていることを忘れてはならない。」
あいも変わらず、教員は犠牲者被害者で、すべての悪は新自由主義的教育政策にあるそうです。こういった労組系の御用学者で教育学部は占拠されているのでしょうか。江利川氏は社民党系か共産党系かは知りませんが、専門はそっちのけで、最近はブログで「原発が子供たちの命を奪う」などという話ばかりしています。大津のイジメ問題については沈黙を守り続けて、最近になってようやく発した発言がこれです。同じ共産党系でも松浦善満教授とは意見が違うのでしょうか。