国家公務員共済組合連合会 三宿病院

犬子さんのホームページ&ブログへリンク

カテゴリー

ITmediaFX iPadアプリ

« 2009年7月 | メイン | 2009年9月 »

2009/08/27

青い山脈の眼鏡少女・若山セツ子

Setuko02昭和4年(1929年)の東京生まれ。昭和21年東宝第1期ニューフェイスに合格。同期に堀雄二、三船敏郎、久我美子、岸旗江、野上千鶴子、伊豆肇、堺左千夫。

若山セツ子さんはお茶目で庶民的な魅力があり、昭和24年に東宝が封切りした「青い山脈」では丸メガネも可愛らしく、おとぼけ女学生を好演。純情乙女って感じの、印象的なアイドルスターであった。

昭和4年6月東京府東京市中目黒(現・東京都目黒区)生まれ。昭和59年5月死去。享年55。

2 昭和24年封切り東宝映画『青い山脈』に出演したスターたち。右から龍崎一郎さん、原節子さん、池部良さん、杉葉子さん、若山セツ子さん、伊豆肇さんです。

女生徒たちの元気の良さが、それだけでも素晴らしかった“明朗学園ドラマ”の青い山脈。終戦直後の作品。戦争のない平和、自由な時代を謳歌。手をつなぐ若い二人にリベラルな風が吹いた。

暴力学園とか、高校教師が生徒に暴行するような学園ドラマがテレビ放映されるようになった今日、「清く正しい」学園ドラマはリアリティを持たない。今井正監督作品「青い山脈」(東宝映画・昭和24年封切り)は、こうした正統派学園ドラマの原点ともいえる。

戦前の封建的なモラルを打ち破るメッセージがある作品と高く評価。石坂洋次郎原作の青春小説を映画化したもので、興業的に大成功を収めたが、作品全体を貫く健康的な明るさや、ほとばしるような恋愛の美しさが、敗戦にうち沈んでいた人々の心を掴(つか)んだことは想像できる。

女生徒が元気!青い山脈は、戦後の明朗学園ドラマの雛形(ひながた)となり日本映画界にひとつのジャンルを定着させたといえよう。

若く明るい 歌声に 雪崩は消える も咲く 青い山脈 雪割 空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ いいですねぇ~

2009/08/26

薔薇合戦/美貌の桂木洋子と若山セツ子

File0405はい、千葉早智子さんに続いてボクの心をときめかせる桂木洋子さんです。ノーサイドという本の表紙に、戦後が似合う映画女優と題して飾っていた桂木洋子さんと若山セツ子さんが、「キネマの美女」の表紙にも飾っていました。可憐な笑みを浮かべる乙女二人、桂木洋子さん(左)と若山セツ子さん。(文藝春秋・キネマの美女から)Katuragi08_2          

成瀬巳喜男監督作品「薔薇合戦」のスチールの一枚である。その後、一人は作曲家と結婚して引退。もう一人は、映画監督と離婚した後、昭和60年5月9日に自らの命を絶った。そんな歳月もなかったかのように、二人はいまも銀幕の中で輝いている(文藝春秋・キネマの美女より)。

Barakassen4d

神様にお願い・・ボクを昭和20年代にも連れてってください♪ ああ、桂木洋子さん。そして若くして自らの命を絶ってしまった若山セツ子さん。昭和20年代に輝いていた頃の、可憐なお二人を懐かしむファンも多いことだろうweep

薔薇合戦しょうびかっせん

1950年(昭和25年)成瀨巳喜男監督作品。

争議でフリーとなった成瀨が、当時黒澤明らと加入映画芸術協会の契約で撮った16年ぶりの松竹作品。毛票品会社の遣り手(やりて)社長の姉と二人の妹が織りなす恋愛もの。パトロンと若い恋人を持つ長姉、姉の言いなりに結婚する次女、試験結婚をする雑誌記者の三女が、それぞれ不幸な結末を迎える愛を乗り越えていく姿を描く。成瀨の音色はいまだ奏でられないが、日本二大華奢女優と言いたい若山セツ子と桂木洋子がきれい。

神保町シアター叢書Ⅰ「成瀨巳喜男の世界」より転載

2009/08/25

ほろよひ人生/美貌の千葉早智子②

Chiba100

Chibasachiko_2

千葉早智子さんは目が大きいですねheart04ボクも千葉早智子さんに引っぱられたい(客引き?)♪heart02Horoyoi32

heart01heart01heart01heart01heart01heart01heart01heart01heart01heart01  

可愛い可愛い千葉早智子さん♪タイムマシンに乗って会いに行きたい。サインを書いてもらうつもり。ふたり一緒の写真を撮りたい。なんてね・・いい年して、こんな夢を見てます(笑)。

2009/08/24

ほろよひ人生/美貌の千葉早智子

Chibasachiko_4              Yes! Yes! My Baby Says, Yes! Yes!

軽快なジャズソングに乗って、P・C・L第一回作品の幕は開いた。「ほろよひ人生」(昭和8年)である。駅のビール売り娘の千葉早智子さんとアイスクリーム売りの藤原釜足さんの、それこそ麦酒の泡のように淡い恋。この軽さ、無内容こそ音楽劇の身上。昭和初期に唄も歌えるスタアとして活躍した、当時22歳の現代娘(モダンガール)・千葉早智子さん。

なんて、きれいなんだろう。探し求めていた美貌の千葉早智子さんの写真を見つけたときは歓喜してしまいました♪感動です。(文藝春秋編・キネマの美女から)

神様、お願いします・・ボクを昭和10年代に連れてってください。ああ、千葉早智子さんheart04

ハイカラ味で大手に対抗 P・C・LとJ・Oスタジオの両社が合併し、東宝に。

かって、東宝、東映、松竹という邦画大手三社の中で、東宝は、ここ12年、配給収入で百億円を突破し、三社のトップを走っていた時代があった。

その歴史を語る時、母体となったP・C・LJ・Oスタジオという、1932年(昭和7年)設立の技術・製作集団を避けて通れない。

P・C・Lは、写真化学研究所(PHOTO CHEMICAL LABORATOPY)の略称。録音などの技術会社として発足し、東京の砧(きぬた)に映画スタジオが建設された。優れた技術力と、企業家やその二世が役員に名を連ねる豊富な資金力を背景に、翌33年には自主製作に乗り出す。その第一回作品は、木村荘十二監督のミュージカル・コメディー「ほろよひ人生」だった。
同年木村監督らと共に入社した能登節雄氏は「白亜の立派なスタジオは、地名をひっくりかえして『キヌタにはタヌキも出る』と言われたほどの原っぱの中で、ひときわ目立った」と記憶をたぐる。
「ただ、ロケに行って、一般の人に
P・C・Lですと言っても、薬の会社?といった程度ですね。正式の社名を横文字で告げると、ますますわからない。そんな時、出演者の一人の古川緑波(ロッパ)が『ポーク・カツレツ・ラードの略ですよ』と言って笑わせていました」
松竹、日活など既成の大手からは目の敵にされ、俳優の確保も容易ではなかった。そこで、新人女優(千葉早智子)、米国帰りの青年(大川平八郎)、新劇俳優(丸山定夫)、浅草軽演劇出身者(古川緑波)、藤原釜足、徳川夢声)ら、多様な人材が集められた。
「やむにやまれぬ策だったが、その結果、カクテルのようにハイカラな味の映画になった。都会的な感覚と、配役の幅広さは、その後、東宝にも受け継がれたと思うのです」
一方、
J・Oは、大沢商会の直営事業として京都の蚕の社に設立された。同社が使用契約を結んだ米国の録音システム「JENKINS」と、「大沢」の頭文字を組み合わせた社名だった。34年、音楽映画の「百万人の合唱」で自主製作を始める。
キヌタがタヌキなら、蚕の社は、逆に読むと「ロシヤの恋歌」。同年入社した伊藤武郎氏は「地名をそうもじって楽しんでいました」と振り返る。
「現像の仕事を請け負っていたので洋画を見る機会も多く、社員は皆、映画を見る目が肥えていた。先輩との雑談の中で、映画史を覚えたものですよ」
最新設備を擁し、進取の精神に富んだ東の
P・C・Lと西のJ・O。やがて両社が合併するのは、自然の流れだった。

2009/08/23

夫婦喧嘩の仲直りは電報で/千葉早智子

Chiba06

『良人の貞操』の一場面。千葉早智子さん(左)、高田稔さん

吉屋信子原作、山本嘉次郎監督、戦前のメロドラマの代表作『良人(おっと)の貞操』(昭和12年)に“甘い電報”が出てくる。
エリートサラリーマンの高田稔が、若く美しい千葉早智子と結婚して新婚家庭を持つ。ところが高田稔は外見に似ず亭主関白で、今日も、新妻の作ったコーヒーがまずいの、靴を磨いていないのはケシカランだの、さんざん文句をつける。「バカ!」とまで怒鳴る。
しかし、さすがに反省して、出勤の途中、郵便局に寄ると、電報を打つ。「ケサハユルセ」。横暴亭主にも可愛いところがあった。

(小学館/続々・映画の昭和百貨店より)

2009/08/20

東映の美人女優・田代百合子/牡丹灯籠

Ps_ctoe0560_0001_01a

昭和30年の夏、東映が封切りした怪談映画「牡丹灯籠」で田代百合子さんがお露という役で幽霊を演じました。ヒュ~ドロドロ~・・カランコロン・・うわっ怖い~。いかに美人の田代百合子さんでも幽霊になって出てきたら、ボクは腰を抜かしちゃいますよ。Tashiro05

うひゃ~。田代百合子さんが美人なだけに、よけいに怖いですよ~。でも、なんという美しい幽霊なんでしょう(笑)。ボク、なんか寒くなってきたbearing。東映では、「四谷怪談」に桜町弘子さん、「番町皿屋敷」に美空ひばりさんが幽霊になって出たんですよー。ヒュ~ドロドロ~・・カランコロン、カランコロン・・いちま~い、にまぁ~い・・

怖い~。トイレに行けなくなりますよー。

Botan1

美しいお露の幽霊を演じた田代百合子さん。当時24歳。

Botan11

アップした画像です。田代百合子さんってほんとにきれいな女優さんですね。

2009/08/16

渋谷古本市/甦る名優たち「田代百合子」

Dscf2341 Dscf2330

先日、東急から大古本市のDMが届いた。夏休み最後の今日、午後4時に東急東横店西館8階にある催事場へ行ってきました。

Dscf2331 Dscf2332 今頃の時間になると、昼間の混雑がおさまり、すいてきます。ゆったりと本を探せます。ただ早い者勝ちといって、いい本は持っていかれるのは仕方ないけどね。

Dscf2333 Dscf2334 ボクは、文学とか、文芸、戦記、歴史、小説などの古本はあまり買わないほうです。歴史ってのは、時が進むにつれて塗り替わるんですね。コンピュータや電気、商品などの本もほとんど興味なし。日進月歩が著しい世の中、パソコンなどの古い本を買うのは無駄だと思っています。図書館へ行けば間にあいます。ボクが探す本は芸能関係です(笑)。まずは、千葉早智子さんの写真付き記事が載っている本を探したが、見つからなかった。でも、いろいろな芸能雑誌を見てみると、戦前の女優さんって美人が多かったんですねぇ。 轟夕起子さんの若い頃はすごく可愛かったのには驚きです。昔の女優さ んはみんな黒髪でいいですね。

Ref1141712675_200_4 Todorokia1_4戦後は母親役が多かった轟夕起子さん(左)、戦前の若い頃は美人だった轟夕起子さん(右)。

1917年(大正6年)9月生まれ。1931年(昭和6年)に京都府立第二高女を中退し、宝塚少女歌劇団に入団。日本的な美しさが人気を集め、トップスターとなる。1937年(昭和12年)、宝塚退団と同時に日活作品「宮本武蔵・地の巻」のお通役でデビュー。

戦後は肥満し、新しいスターに押され、次第に脇役に回るようになった。1967年(昭和42年)5月に閉塞性黄疸のため49歳の若さで死去。

Dscf2339 Dscf2340 おんや、表紙を飾っている女優さんって、田代百合子さんじゃありませんか♪いい本を見つけたぞ(笑)。東映だけでも女優さんは大勢いるのに、田代百合子さんが選ばれるのは、大したことですよ。即購入しました♪三千円なり・・。

File0331

今年の6月30日のブログにも“昭和の美人女優”として、懐かしい想い出の女優・田代百合子さんの写真を公開しておりますが、再度、今日も公開します。何度見ても田代百合子さんは、やっぱり美しい。笛吹童子に出演した当時23歳の田代百合子さんは、現在77歳のお婆様になりました。元気でいてほしい。

2009/08/14

東映時代劇の美人女優・田代百合子

Photo_2 Tashiro01_3

左は「お坊主天狗」、右は「笛吹童子」に出演した田代百合子さん。どちらも昭和29年東映京都の作品。どうです、美人でしょう♪Photo_3 

笛吹童子」の第一部、第二部の両方のポスターに出ている田代百合子さん。

Tashiro08_2

大物の名優・月形龍之介さんと嵐寛寿郎さんを相手に演技する田代百合子さん。東映時代劇を支えてきた田代百合子さんの貢献度は大きい。

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

昭和の女優たち/田代百合子

脚本家の石森史郎(いしもりふみお)氏からのラブレターheart02

↓クリックすれば拡大します(6分割)。

Yuriko01

Yuriko02

Yuriko03

Yuriko04

Yuriko05

Yuriko06

2009/08/03

昭和初期のモダンガール・千葉早智子

Tsumabara

写真は「妻よ薔薇のやうに」のワンシーン。丸の内に働くオフィスガールを演じる千葉早智子さん。写真にメリハリがないのは惜しいが、映画で見るとすごくきれいな女優さんでした。おしゃれなセンスがあるファッションに、ネクタイをしめて颯爽と歩く彼女はスマートで 帽子が似合ってました。

Bara1_2

顔がはっきり映っていなくて残念だけど、きれいな女性(ひと)です。モノクロの映画なので分からないが、黒い帽子、黒いスーツ、白いスカート、あとは靴とタイツ?がおしゃれな感じ♪

File0020_2

昭和11年2月21日(金)東京朝日新聞の一面に、千葉早智子さん主演の「妻よ薔薇のやうに」と「求婚三銃士」の広告が載っています。

Bara01

世には映画について批評とかするのはあるのですが、ボクは見た映画に批評とかはしないほうです。面白ければそれでいいんです。文句なしにこの「妻よ薔薇のやうに」はよかったですよ♪ ボクは千葉早智子さんをうっとり(あるいは食い入るように・・かな?)見てましたね(笑)。

Chiba001

春だ、春だ。口には云わぬが、可愛い妻(ワイフ)が欲しいナ-。キュッと抱きすくめる可愛い女性がいないかナー。アッいたいた。  佳子さんだ。ソコデ三人とも佳子さんに求婚したです・・。ぼくも求婚 したいナー♪ 千葉早智子さん、可愛いなー。

Chiba008_2

明朗な佳子さんを廻って今年大學を出たての三勇士、吉川君、安達君、瀬戸君の面々、我こそはと求婚戦線に突進致します。

近代戦術「押しの一手」は先づ第一に失敗。外交政策又又失敗・・。さて、最後の栄冠を握る者はどんな「て」を用ひたでせうか?

明朗活発な佳子(千葉早智子)さんを口説き落とすのは至難のワザだろうね~。難攻不落な彼女をどう攻めるか・・ボクだったら、自信がないかもなぁcoldsweats02

2009/08/02

美貌のモダンガール・千葉早智子

File0365「妻よ薔薇のやうに」

1935年(昭和10年)

キネマ旬報のベストワンを獲得するなど絶賛を博した成瀬巳喜男監督のトーキー映画3作目。丸の内の会社に勤める溌剌としたヒロインの目を通して描かれる、大人の愛の物語。東京の山の手から、草深い信州の田舎町へと舞台が移る起伏に富んだ展開を鮮やかにさばく演出が見事である。
歌人の母(伊藤智子)と暮らす一人娘君子(千葉早智子)は、ある日街角で、信州の妾宅に暮らす父(丸山定夫)を見かける。孤閨をかこつ母が仲人を依頼され戸惑う姿を見ていた君子は、父が家に帰ってくるものと喜ぶが、ついに父は現れない。砂金を求めて信州に行った父はそこで新たな家庭を持ち、成長した二人の子供もいた。
悪い女に騙されていると聞かされていた君子は父を取り戻しに信州に行くが、そこで見たものは固い絆に結ばれた幸福な家族の姿だった。君子は世間体や社会的地位よりも大切なものを選び取った父を知る。公開の翌々年にはニューヨークで一般公開された。題名は「Kimiko」。海外で紹介された最も初期のトーキー映画である。

神保町シアター叢書1 『成瀬巳喜男の世界より


公開を待ち望む千葉早智子さんが出演の映画3本

女優と詩人(昭和10年)

売れっ子舞台女優(千葉早智子)と暮らす、売れない童謡詩人が主人公。朝が遅い妻のため朝食を用意し、近所付き合いもこなす詩人を頼って、下宿を追い出された友人が転がり込んだことから夫婦喧嘩が始まる。

わずかなロケをのぞけば主人公の家と隣家で話が展開するため、トーキー初期の一日数カットという効率の悪さに挑戦して、一日40カットという早撮りを敢行したという。

この成瀬監督作品に千葉早智子さんが初めて登場した。

朝(あした)の並木路(昭和11年)

丸の内で働く友人久子を頼って上京した千代(千葉早智子)は、実は彼女がカフェの女給だったことを知る。楽天家の千代は久子のもとに同居して職探しを始めるが、東京は就職難。結局、久子と同じ女給となり、常連客の小川(大川平八郎)と親しくなるが。

成瀬監督は後年「この前後、とてもタルンでますねえ」と述懐するが、実はこの頃、主演の千葉早智子さんとの結婚が決まっていた。終盤におおきなけれんが用意される本作は、千葉早智子さんの自然な美しさが圧巻である。

「成瀬巳喜男の世界」という本に、これらの作品が紹介されていました。ものすごく見たい。ついでに「ほろよひ人生」(昭和8年)も見てみたい♪ 千葉早智子さんが出る映画なら何本でも見たいです。

2009/08/01

ミニシアターで見た千葉早智子

039 036_3

きょうは神保町シアターへ行って成瀬巳喜男監督の映画「妻よ薔薇のやうに」と「噂の娘」の2本を見てきました。                                 

037_2






昭和初期のモダンガール、女優の千葉早智子さんが動いているのを見たくて神保町の映画館に行きました。映画で見る千葉早智子さんは想像以上にすごくきれいでしたheart04。     

File0425

File0364_2

妻よ薔薇のやうに

明治44年(1911年)、広島市に生まれる。

昭和8年に新映画社の「叫ぶアジア」(内田吐夢監督)でデビュー。P・C・L(東宝の前身)入りし、歌もOKの近代的スタアとしてトップの座に。昭和10年公開の成瀬巳喜男作品「妻よ薔薇のやうに」「噂の娘」に主演し、その実力を示した。邦楽、洋楽ともによくこなすことで、しばしば映画のなかでも歌い、日本では珍しいオペレッタ映画「ほろよひ人生」にも出演。この世のものと思えぬ華やいだ美貌、とろけそうな歌声は地上におりた天使のようだったという。戦後は実業家として成功。

Chiba2 ずっと前から、これまでに田中絹代、入江たか子、高杉早苗、岡田嘉子、山田五十鈴、夏川静江、高峰三枝子・・戦前の女優さんたちの写真をたくさん見てきましたが、昭和初期の映画界に千葉早智子さんが存在していたのを今年の4月に初めて知り、驚くと共に惹かれてしまいました。これまで戦前の女優さんにはあまり気にとめなかったボクでしたが偶然に、映画の歴史に関する本で千葉早智子さんを知ったことにより、彼女に興味を持つようになりました。なぜだろう・・。いまや、ボクの心のとりこになってしまったスタア、千葉早智子さんです。heart04

Tiba11_2 千葉早智子さんは完全なる「戦前の美人女優」である。田中絹代、怪談映画で化け猫の役もした入江たか子、高峰三枝子、水戸光子・・ほとんど戦前の映画界に活躍していた女優さんたちは戦後も引き継いで出演していました。しかし戦前の人気女優だった千葉早智子さんは、高峰秀子、原節子の若い世代の人気に押され、昭和17年に早々と未練なく映画界を去りました。そして戦後いち早く実業界に転身し、華々しい成功を収めたのは、お見事といえるだろう。


2013年2月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28    

最近の記事

カテゴリー