朝鮮王朝は「東洋のギリシャ」だった

韓国学の先駆者ゲイル宣教師、生誕150周年に合わせてスポットライト

 「ゲイル博士は、朝鮮の賢人たちの詩文を非常に好み、自宅にはそうした賢人たちの書や絵画を数多く飾り、年代物の朝鮮の古典を多数所有していた。博士は栗谷(李珥〈イ・イ〉)、退渓(李滉〈イ・ファン〉)先生の墓を訪れて紀行文を書き、史料も収集した。朝6時から夜10時まで研究、執筆を行い、そのせいで普通の西洋人のように家族同伴で遊びに行くことは少なかったという」(雑誌『朝光』1937年4月号に載った「ゲイル博士の人物と逸話」)

 カナダ出身の宣教師で、蓮洞教会(ソウル市鍾路区)の初代担任牧師を務めたジェームス・ゲイル(1863-1937)博士に、再びスポットライトが当たっている。今年はゲイル博士の生誕150周年に当たる。

 最近『韓国古典翻訳家の肖像、ゲイルの古典学談論と古小説翻訳の地平』(ソミョン出版)を出版した釜山大学のイ・サンヒョンHK研究教授((HKとは、韓国政府の人文学振興プロジェクト「人文韓国〈Humanities Korea〉」の 略称))は「ゲイル博士は、韓国人よりまず韓国語を研究する韓国語学者にして、古典翻訳家であり、韓国学というジャンルを西欧ではなく韓国の視点で開拓した学者だった」と評価した。

 1888年に朝鮮にやって来たゲイル博士は、40年に渡って韓国に滞在し、韓英辞典を3度編集、金万重(キム・マンジュン)の小説『九雲夢』などの古典を英訳して西洋に紹介した。また聖書の翻訳作業に参加し、ジョン・バニヤンの物語『The Pilgrim's Progress』(邦題は『天路歴程』)もハングルに翻訳した。『東国李相国集』を書いた李奎報(イ・ギュボ)は特に敬い、墓も訪れた。

 ゲイル博士が韓国で活動した当時、西欧は朝鮮について無知だった。朝鮮人は家畜のような未開の野蛮人、果ては人食い種族と描写されることもあった。しかし直接朝鮮人と触れ合い、朝鮮文化を体験したプロテスタントの宣教師、特にゲイル博士の視線は違っていた。

 1928年に『朝鮮思想通信』に載ったゲイル博士の「欧米人が見た朝鮮の将来」という記事には、朝鮮に対するゲイル博士の高い評価が余すところなく現れている。「朝鮮は実に、東洋のギリシャと呼びたい国で、古代有史以来長らく文化を創造し、世界に冠たるところがあった。(中略)シェークスピアは今から約300年前の人物だが、朝鮮は既におよそ1000年前に、新羅の崔孤雲(崔致遠〈チェ・チウォン〉)の文学が唐の人々を驚かせたではないか。高句麗の広開土王碑文のようなものは、単に文章だけを見ても最高の傑作で、しかもそれは、なんと西暦414年という古い時代ものだ」。

 ゲイル博士は、1901年にケイ新学校(ケイはにんべんに敬)の前身に当たるイエス教中学校、1902年には貞信女学校の前身に当たる蓮洞女学校の設立を主導した。蓮洞教会(イ・ソンヒ担任牧師)は、今月17日にゲイル博士生誕150周年記念礼拝を執り行い、歴史館内にゲイル牧師記念展示室もオープンさせる。またイ・マンヨル教授、李培鎔(イ・ベヨン)元梨花女子大学総長、鄭甲泳(チョン・ガプヨン)延世大学総長などが参加する「ゲイル学術研究院」を設立し、記念論文集も発行する予定だ。

李泰勲(イ・テフン)記者
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