リクルート創業者の江副浩正氏 |
リクルート(現リクルートホールディングス)を創業し、新しい情報ビジネスを広げたが、政官財に未公開株を配って「リクルート事件」の主役ともなった江副浩正(えぞえ・ひろまさ)さんが8日、東京都内で死去した。76歳だった。通夜、葬儀の日取り、喪主は未定。
東京大学在学中にアルバイトとして、学生新聞で広告取りを始め、1960年の卒業と同時に「大学新聞広告社」を起こした。集まった求人情報を利用して「企業への招待」(のちに「リクルートブック」に改題)を発刊。63年には「日本リクルートセンター」(のちのリクルート)に社名変更し、社長・会長として25年間にわたり経営を指揮。日本経済の高度成長とともに事業を拡大した。
88年に朝日新聞の報道で表面化した「リクルート事件」では、政権の座にあった故竹下登首相の周辺なども含めた有力政治家、文部・労働両省(当時)の官僚、企業経営者ら70人以上に、値上がりが確実視されたグループ会社の未公開株を渡していたことが判明した。ロッキード事件と並ぶ大疑獄事件とされる。
江副さんは89年2月に逮捕され、13年を超える裁判の末、03年3月に執行猶予付きの懲役3年の刑が確定した。
リクルートはバブル崩壊後、グループの不動産会社の業績悪化やノンバンクの借入金負担に苦しんだ。江副さんは92年、起業家としての先輩である中内功ダイエー会長を頼って、自身の保有株を売却した。
晩年は、財団法人の「江副育英会」理事長として、文化の発展や若者たちの育成を支えて過ごした。