ある程度以上の期間にわたって趣味を継続した場合、その趣味生活の中におけるエポック・メイキングとなるような具体的事例が必ずあるものですが、私にとって「Xゲームを始め」「通信も始め」、その双方が密接に関係したゲームというのが、『ONE 〜輝く季節へ〜』でした。当時は、本作品の主人公よろしくバカ騒ぎを演じ、今となれば口幅ったいさまを情けなく思ったりもしますが、「趣味を同じくする人と語り合う」ことの楽しさを味合わせてくれたゲームでもありました。そして、その前提条件として必要な、「自分がそこに“いる”」という、確かな実感とともに…。
その一方で、大きい反響を呼んだ反面、「謎が謎を呼ぶ」ではなく「謎を自己流に変質させ定式化させる」傾向も多々見受けられ、若干の歯がゆさも感じていたりします。
※なお、以下のレビューは、かなり抽象的な書き方をしており、未プレイの方には意味不明の個所も多いかと思われます。あらかじめご了承下さい。
主人公・折原浩平(姓名とも変更可能)は高校2年生。ふと気がつくと、彼の心の中には、もう1つの世界が生まれていた。そのときになって気がついたこと。それは、繰り返しの日常、見慣れた風景、そして何よりも、大好きな人との温もりが、自分を「この世界」につなぎ止めてくれていることだった。また、その「絆」を求める自分。自分は、この世界に踏みとどまることが出来るのだろうか。
まず、シナリオの構成が非常にわかりにくいものとなっています。冒頭、いかにも意味深な表現が出てきます。そしてそれ以降、主人公の脳天気極まる行動と楽しげな日常生活が繰り広げられ、その過程でヒロインたちとの恋物語が紡がれて行くわけですが、その合間合間に、抽象的なモノローグ、あるいは対話調のテキストが紡がれます。この「意味深」な部分の難解さが、このゲームに対する好悪、さらには(世間的な)評価を大きく左右することになっています。
ゲームの背景に「隠された世界観」を設定する。この手法は多くのゲームで取り入れられています。しかし、その多くは、世界観を呈示する手法に「説明」というプロセスが入ります。したがって、「世界観」というものでオリジナリティを発揮しようとすれば、「プレイヤーに理解させる」という作業が必要である以上、
・少しずつネタを出しながら進める→「世界観」全体の矛盾が許されない
・エンディングで一気にケリをつける→強引さが鼻につく可能性が高い
といった「難題」がつきまといます。もちろん、それぞれで成功するケースはあります。例えば、『夢幻夜想曲』(アプリコット)などは、前者にあたるでしょう。しかし、挙げられる事例はそう多くはありません。マルチシナリオタイプのゲームであれば、シナリオのレベルが一定以上であれば、「世界観」を処理しやすいでしょうが、基本的に単一シナリオといえるゲームの場合(一本道の場合、マルチエンドの場合の双方を含みます)、独自の「世界観」で勝負することがいかに難しいか、を物語ってくれましょう。
ところが、『ONE』では、この「世界観」に関する「説明」を、可能なかぎり省略しています。この「省略」という「方法」に関し、それが「説明不足」である、という理由で、少なからぬ層からの批判を受けたのを目にしています。
「世界観」というものが「(明示的に)説明可能」なものであることからスタートした場合、上記のとおり、「理解させる」ための「展開」に苦しむことになるわけですが、このゲームはそこでの発想を大きく転換し、世界観を判断する材料を絞り込み、それを再構築させるという妙味をプレイヤーに与えてくれます。この「作業」が必要となる時点で、エンターテインメントとしては弱点を内包する形でスタートしている、という面は否定できませんが、シナリオに向かって考えることを厭わないプレイヤーに対しては、まさに恰好の題材となる、そんな手法であると考えられます。
そして、この「世界観」の“呈示”に際しては、プレイヤーに対し、半ば本能的に反応するであろう「不快感」を喚起する形で行われています。
具体的にいえば、主人公が「消える」あるいは「自己存在」といったものに対して触れるとき、そこに漂う「言いしれぬ不気味さ」が、随所に暗示されています。そして、「日常」という名の現実世界に対峙する存在としての「えいえんの世界」においては、「時間」という概念が存在しない(←これはシナリオ中から判断可能です)ことから、そこには「人間としての営為」がない=「存在の否定」=「死」という定式が、容易に結びつきます。日常生活パートでさえ、「いなくなったら淋しい」「消えますよ」という表現に対し、背筋に鳥肌が立つような思いをしたものですが、その背景は、おそらく以上のようなものではないかと判断しています。
とはいうものの、「わけわからんのがよろしい」などと短絡的に評価するつもりは、毛頭ありません。実際、このゲームをやり込むに連れ、その「不可解」さはどんどん大きくなっていったのですから。そして、その「不可解」さを、テキストベースで読解するという試みに取り組んでみたりしましたが、結論としては、設定されている「世界観」を矛盾なく構築することは不可能と判断しています。詳細を語ると非常に面倒なので簡単に書きますが、要するに、「えいえんの世界」に関する記述から明示的に判断可能な情報を抽出しても、すでにその段階で解消不可能な矛盾が発生します。
極論すれば、このゲームにおける世界観が、上記のような「“不快感”の喚起」という形態でなされたゆえの力強さを伴ってはいても、その根幹に重大な欠陥が残っているため、その「世界」が見えてこないわけです。
「世界観」というものが宙に浮かんだ格好になってはいますが、そこから滲み出てくる不気味なメッセージの存在は、このゲームのシナリオに対する評価を、非常に困難なものにしています。どう解釈しても説明は不可能(オリジナルを自己流に歪曲すれば別ですが…)でしょうから。多分、シナリオを担当された方も、説明はできないと思います。
しかし、パラドクシカルな表現ですが、こういった「致命的な問題点」を抱えているからこそ、「不気味なメッセージ」を出せたのではないか、という気もします。単なる仮説ですが、もしも、このゲームで設定された世界観が「完成」形で呈示されたとして、この「不気味なメッセージ」を、プレイヤーが受容できるかどうか。狂気に走ることなくソフトに受け止められる保証はどこにもないと思います。可能であれば、おそらく「芸術作品」と呼んでもよい水準の手法実現でしょうけれど…。
日常パートでの実に楽しいやり取りは、それだけで充分評価に値するものですが、これは、上に述べてきた「世界観」とのコントラストを強調するという面を強く持っている以上、あくまでも「従」として判断するべきでしょう。よって、詳細に踏み込むことはしませんが、テンポの良さ、セリフの使い回しなどを一切行っていない点など、個別で見ると実にきめの細やかさを感じます。
特に、各キャラクターのセリフ回しの秀逸さは、なかなかのものです。「嫌です」という謎の流行語がネット上で定着したのも、むべなるかな、といったところでしょう。
選択肢を選ぶことによってシナリオ分岐・フラグ立てが行われるというスタイルの、アドベンチャーゲームです。一部のキャラクターには、好感度判定が存在しています。
各シナリオごとの内容は、「メインの世界観をベースとし、各キャラクターごとのエンディングが用意されている」という程度の相違なので、マルチシナリオとはなっていません。しかし、キャラクターの扱いには、主人公の行動と密接に関わりのあるキャラクターから、半ば一方的に振り回されるキャラクターまでと、実に幅があります。この手法には賛否両論がありそうですが、ゲームのシナリオ叙述としては妥当なところでしょう。各キャラクターごとに、いわば「成長への憧憬」とも呼ぶべき共通項があっただけに、「キャラ」と「シナリオ」とのバランスにムラがあっても、それは大きな問題ではないでしょう。
また、日常的な会話ベースでの展開とは別に、「えいえんのせかい」に関する描写は、先述の通り、モノローグ、あるいは対話でなされています。しかし、その必然的帰結として、一画面から得られる情報量は非常に少なく、逐一読んでいっても、ストーリー展開を追跡するのは非常に難しいという現実がありました。この部分は、ビジュアルノベル形式とした上で、読み返し機能を付け加えるという設計がほしかったところです。テキストそのものの筆致にも問題があるという気はしますが、それはひとまず措きます。
さらに、別次元の問題として、選択肢が非常にシビアであることが挙げられます。難易度が高いというだけなら、それ自体がゲーム評価に影響することはさほどないはずですが、このゲームの場合、難しいところはかなり通過がシビアなので、テキストを読むよりも「選択肢探し」に躍起になってしまう、という面もあります。一面、攻略チャート作りがこれほど楽しかったゲームもほかにないのではありますが(^^;)
見たはずのCGがCGモードに登録されない、「Ctrl」キーでスキップさせるとハングアップする、というケースがあります。TacticsのWebサイトから修正ファイルをダウンロードできます。
インストール先ディレクトリは任意に変更可能です。マウス・キーボードの双方で操作が可能ですが、基本的にはキーボードの方が操作しやすくなっています。グラフィックは基本的に全面表示で、下部に半透明のメッセージウィンドウが表示されます。マウスカーソルは自動制御が基本(解除も可能)ですが、選択肢の所では微妙にずれてくれるのは味な配慮。
セーブ&ロードは、30個所まで、任意の場所で可能なのは嬉しいですね。さらに、ゲーム中の日付・セーブした実日時も記録されるので、非常に使いやすくなっています。
また、「Ctrl」キーを押すとスキップします。なお、選択肢が現れると自動的に止まります。
CGモード(サムネイル形式で、キャラクターごとに表示されます)・BGMモード(曲名つき)があります。なお、BGMモードに入らなくても、CD-ROMの中にライナーノートがあるので、曲名一覧を確認するのは容易です。
BGMは、折戸伸治(がんま)氏、YET11氏など、そうそうたる方の手によっています。前作『MOON.』のように、サウンドが世界を強引に引っ張るというよりはむしろ、曲の転換によってシーンのメリハリをつけるような、そういう「バラエティ」を富ませるという効果を強く生んでいるという印象を受けました。前作よりもインパクトは抑え気味ですが、各キャラクターごとのイメージサウンドは非常に良く、「いかにも」という言葉がぴったりです。また、個々の曲の完成度も高く、98年のXゲームサウンドとしては、文句ナシにトップクラスと断じていい出来です。
あと、物足りなさを感じたのが、効果音が存在しないこと。カーテンや扉の開け閉めに際し、グラフィックやテキストでの効果がすばらしいだけに、この「効果音の欠如」はいただけませんでした。
音声はありません。というより、このゲームでは、音声は蛇足でしょう。シナリオうんぬん、というより、「読ませる」ゲームなのですから。
キャラクター原画は、樋上いたるさんの担当。目がくりくりした、どちらかといえば幼げなデザインです。前作に比べてかなり自然なスタイルになってはきたものの、髪の処理が不自然だとか、こけたり座ったりしたシーンの姿勢がものすごいとか、いろいろ気になる点が残ってはいます。それでも、なぜか「この絵でないとなぁ…」という気にさせてしまう魅力は、いったいどこから生まれるのでしょうか?
人物CGは、それ単独で見た場合の上手・下手よりも、むしろ、その豊かな表情変化、そしてそれがテキストと実に見事につながっていること、この見事さをもって評価するべきだと感じます。七瀬の大仰な対応(入部を断られるシーンなど)もおもしろいのですが、それより何より、茜のように「目元口元だけで表情をつくり、それが感情表現として機能している」のはさすがでしょう。さらに、一画面に2人のキャラクターが並んで登場した場合など、その豊かな変化は本当に見ていて楽しく、飽きません。『Kanon』などでは、キャラを大きくする反面、むしろこの表情変化という「効果」の大きさが薄らいでいるように思われるのが残念です。
背景原画は、どうにも平板な感じがしていただけません。前作『MOON.』では、モノトーンに近い背景だったこともあって大して気にならなかったのですが、このゲームでは、むしろ色彩豊かな「現実」を演出するという意味でも、もう少し丁寧に描き込んでほしかったところです。
完全な脇役ですが、柚木詩子。「人に左右されないマイペースぶり」と「人を気遣う繊細さと優しさ」とを両立させているキャラクター。シナリオ上の役割を考えれば、確かに攻略可能とするのは難しそうですが、クリスマスイベントあたりで、「茜よりも詩子に」という分岐があってもよかったかなぁ、などと、非常に無責任なことを考えています。
2番手クラスとしては、七瀬留美、深山雪見の両名。
このゲームを評する場合、必ず出てくるフレーズが「感動」とか「泣き」とか、そういうもののようです。実際、私もコンプリートするまでの間は、こういった表現を惜しげもなく使ってきました。
しかし、ゲームとして「評価」する場合、こういった形で「プレイヤーを引き込む魔力」は、あくまでも「広義の演出」であると考えるべきでしょう。別離に涙が伴うというのは当然至極であって、問題は、この「演出」によって覆われた「主題」の方なのですから。「演出」を剥いだら何も残らない、そういう空疎なゲームではありません。
改めてプレイしてみると、そのシナリオが内包する、末恐ろしさに、改めて驚きました。シナリオに対して正面から判断できる方の場合、この評価は、おそらく二分されることと思います。呈示された世界観の不完全さに注目するか、あるいは、それにもかかわらず(いや、それゆえに、か?)実現している不快感に向き合うか。そのいずれも、スタンスとしては正解でしょう。
「不完全」さを、確信犯的に示している以上、このゲームを「名作」と呼ぶことはできませんし、ましてや満点評価は出来ないと判断します。しかし、この手法以外に、『ONE』にしか伝え得なかったメッセージを発することができるのか、と問われた場合、たぶん明確な回答は出せないでしょう。98年中最大の異色作である、と思います。
その反面、キャラクター描写が実に活きていたこともあって、あくまでも「演出」という面だけで見た場合の心地よさが適度に保証されていたため、かなり一般受けしやすい形で「中和」されていた、というのも確かです。これは、生硬な素材に向けて突っ走ってしまう濃い人(^^;)のみならず、キャラ萌えを楽しむというような人をも惹きつけるという、なかなか巧妙な形式となっています。意図的に行ったのではないでしょうけれど。
総じて、このゲームを高く評価する人は、このゲームが「感動できたから」ということを理由に挙げておられますが、それに留まるシロモノではありません。ただ、ある意味では、考えない方が良い世界、なのかも知れません。
不特定多数の方がご覧になる可能性がある以上、このページでの表現も、ある程度セーブしたものになっていますが、狂気、逸脱、そういったものと非常に近い領域にまで踏み込んで論じることが可能な世界です。
従って、万人にお勧めできるゲームでは「絶対に」ありません。そして、このゲームに合うか合わないか、と言われても、プレイするまではわからないと思います。責任持って万人にお勧めできる要素といえば、BGMぐらいしかありませんから(^^;)