To Heart Leaf

1999年12月22日発売
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 私が最初にXゲームをプレイしたのは1997年5月、それはリーフの『』でした。最初にプレイした作品に対し、いまだに「最高傑作」と称して止まないのは、端から見れば滑稽の極みと移るのは百も承知ですが、このプレイ体験が、「ゲーム」に対する私の印象を大きく変え、そしてその志向傾向を決定づけたのは事実です。その結果、直後に発売された、ビジュアルノベルシリーズ・第3弾、『To Heart』も当然のように発売日購入し、プレイすることとなりました。

 その後、プレイステーションへの移植など、メディアミックス戦略で大きな成果を上げているのは、多少なりともXゲームに慣れ親しんでいる方ならご承知の通り。ある意味では、リーフというソフトハウスのイメージを大きく転換したゲームであり、裾野を広げたゲームであり、また、コワい方々(ヤの字のつく自由業の方とかではないです(^^;)を惹きつけるきっかけともなったゲームです。

※なお、以下のレビューは、かなり抽象的な書き方をしており、未プレイの方には意味不明の個所も多いかと思われます。あらかじめご了承下さい。

シナリオ・ゲームデザイン

 主人公・藤田浩之(姓名とも変更可能)はごく普通の高校1年生。幼なじみなどの級友とともに過ごす学校生活。時は春、それは新しい出会いの季節。主人公は、誰と、そしてどんな出会いをするのだろうか。

 

 アドベンチャーゲームでは基本的に、「シナリオ」と「ゲームデザイン」とを分けていますが、このゲームに関しては、敢えてこの2つを分けると実に語りにくくなるので、単一にしました。

 

 さて、とにもかくにも最初にプレイを終えての感触は、「ノベル」そのものがゲームの中の演出に徹しており、主役とはなり得ていない、というものでした。

 これだけでは抽象的なので、より具体的に言いますと、例えば前作である『痕』の場合、そこには背景となる「小宇宙」が存在し、それを「描き出す」ための主役となっているのが「ノベル」であり、それ以外の一切合切は演出として機能していた、ということです。しかしながら、この『To Heart』では、「ノベル=小説」が体を成しておらず、個別のシナリオを見た場合、ストーリーとして「読ませる」タイプの表現方法を採っていません。「物語」がその物語世界の魅力を十全に発揮させるためには、知らぬうちに読者がその中に、いわば「非現実的なリアリティ」を感じるということが必要になります。このページは文学論ではないので、詳細な論述は控えますが、『To Heart』の中には、そこに配備された多くのキャラクターに与えられた記号が、あたかもディジタル番号の如き「規定的意味合い」を以て表現されており、その結果、背景となる物語世界の構築を著しく困難にしています。Xゲームの中で「ビジュアルノベル」という用語が一般的に使われるようになったのは、おそらくリーフのVNシリーズが背景にあるものと推測されますが、それが「テキスト表示をビジュアル面と重ねる」と同義に使われることが多くなってしまった一因は、この『To Heart』をも「ビジュアルノベル」と唱ってしまったことにあるのではないか、と感じます。

 もちろん、マルチシナリオとして成功している『痕』と、複数シナリオが併存している『To Heart』とでは、「ノベル」というものに求められる意味合いが異なってくるのは当然です。しかるに、『To Heart』の場合、各シナリオのバラツキが質量ともに非常に大きく、個別での評価に値するシナリオは全体の半分以下でしょう。主人公が「誰かと出会って恋に落ちた」以上のことを描けているシナリオ、と言い直せば、「ノベル」と胸を張れるものはいったいいくつあるでしょうか。

 

 各ヒロインごとに1つずつのハッピーエンドが用意されているわけですけれど、ヒロインと紡がれる恋物語として捉えるのであれば、「恋愛」というものをあくまでも大事にするべきでしょうが、その書き込みが果たしてどの程度あったか。いや、「恋愛」でなくても、「成長」でも「セックス」でもいいのですが、とにかく、各シナリオごとに呈示している展開を丹念に読みとった場合、ヒロインの中に込められている「記号」が、果たしてそのシナリオの中で活きているのかどうか。具体的に言えば、ヒロインの持つ「記号」に依存することなく、そこから出される「魅力」を、ストーリーとして描けているかどうか。そう問うた場合、然り、と答えるには大いに抵抗を感じます。

 これは、キャラクターの選定や配置にも大きな問題があると思うのですが、それは後述するとして、要するに、各シナリオが「キャラクターの記号」に完全に依存してしまっているわけです。Xゲームの感想などを見ると、「感動」という言辞で語られるケースをしばしば見掛けますが、それらは、特定の「記号」を崇拝する形で行われているに過ぎない場合が多々あります。この『To Heart』では、まさにそうでしょう。もちろん、シチュエーションによっては、(それが月並みなものであれ)「感動」という心的動揺を呼び覚ますに相応しいシーンもあります。ところが、そこにおいて出しうる「シナリオ」の欠如があまりにも多い。

 例えば、本来ならば「非−人間」と「ヒューマニティ」との関係というものを正面から問うようなシーンでありながら、そこに恋愛という要素を混合させたあげく、Hシーンへと突入するという個所があります。このシーンをもつキャラクターは、本作の中でも有数の支持を集めたヒロインですし、私も初回プレイ時には涙腺を非常に刺激されたのは確かです。しかし、そこに出された「記号」が濫用された挙げ句、ストーリー足り得ない展開に呆然とし、エンディングまでそう長くない時間を、非常に退屈なものと感じたものです。この例に限らず、かなり特殊なキャラクターを多く配しているにも関わらず、その設定説明に終始した上で、それゆえに見せることが可能なストーリーが欠落しているシナリオが非常に多いと思えます。

 テキスト描写そのものは、非常に平易で読みやすく、なおかつ口語らしい嫌らしさを感じさせない、バランスの取れたものなのですが、この「空隙の多いシナリオ」の前には、その魅力が相当に褪せて見えました。流れがスムーズではあっても、何ら抵抗がないため、スーッと滑るように進んでしまうわけで、後に残るものがほとんどないのです。

 つまり、「個別のシナリオで見た場合、キャラがシナリオの中で活かされていない」わけです。

 

 「各シナリオ間のバラツキ」と記しましたが、その「バラツキ」方についても、かなり気になる面があります。

 先述の「キャラクターの選定や配置」ですが、かなりの色物キャラを設定していること自体には、特に問題はないと思います。その「意味づけ」が上手になされていないのは書いたとおりですが、それだけでなく、キャラクターの持つ特色を考えた場合、これだけの人数が入れば、必然的に、性格・行動の両面において、対照的なキャラクターの組み合わせというものが登場します。もちろん、容易に類型化できないほどにキャラクターが色づけされている以上、こういった「組み合わせ」を考えるのはあまり意味がない、という反論があるでしょうし、これにも一理はありますが、キャラクター自体の魅力を引き出すためにコントラストづけという作業が行われていると見なせば、「対照化」という作業にも理はあると考えます。

 さて、一番先に考えつくのは、行動面での「静/動」、感情面での「静/動」といった区分でしょうが、行動や感情にしても、日常的に見せている面と、心理的に動揺している場合に見せる面とは、キャラクターによって大幅に違ってきます。そういう面で、ヒロインを区分してみると、それなりのカテゴライズは可能だったのですが、その作業(敢えてここには記しません。そう面倒なことでもないので、興味がおありの方はご自分の基準で試されることをお勧めします)の後に感じた結論は、「キャラの示す"顔"が、シナリオに全然反映されていない」こと。要するに、各シナリオ間で描き出されている「キャラクター」は、相互にふれ合うことがほとんどないのです。これは、ゲーム中に複数キャラが顔を合わせる、という意味ではなく、各シナリオが見せる「キャラクターの持ち味」が、クロスすることによって相互の輝きをより増す、ということなのですが、この妙味が感じられません。要するに、「AシナリオでAが見せた魅力と、BシナリオでBが見せた魅力とは、AとBとが互いに関連を持つような形でありながら、全く無関係になっている」ということ。結局、キャラクターの数に応じたシナリオが出来ていないことを、より明確に認識させられてしまった次第です。

 要するに、「複数シナリオを比較しても、キャラがその輝きを増していない」と感じたのです。

 

 シナリオのパーツとして用意されているイベントは、基本的に日常会話以上のものではありませんが、これらを日々こなす結果として恋愛感情が醸成される、というのは、やはり「苦しい」と感じたのは否定できません。なるほど、「進展がある」と感じさせるシナリオもありますが、それらの大半は「事件解決」的な意味での進展であり、「恋愛」という言葉をもって進んでいる有様を感じられるシナリオについては、「日々の会話」が延々と続きます。この過程は、決して空虚なものではないにせよ、「恋愛譚」と呼ぶに相応しいイベントにはなっていません。

 「恋愛」を扱っている、と感じられるシナリオ(あるいは、それを感じさせるエンディングを用意しているシナリオ)では、クライマックス近くになって突然「急接近」イベントが発生し、そこから…という形で描かれていますが、振り返ってみると、あの「日々の会話」はいったい何だったのだ、という「疑問」が、どうしても出てきます。「接近」の契機となるイベントがいくつか用意されてはいるものの、結局は「好感度」を挙げるための通過儀礼として会話を数多くこなさなくてはならず、しかもその会話の多くは、シナリオのパーツとしてさほど重要な役割を持っていないのです。会話自体は軽妙洒脱にして楽しめるものが多いとはいえ、その前提には、このゲームのデザインが抱え込んでいる「作業」というものが必要になるわけで、結局は「意味ない」と考えざるを得ません。

 ヒロインの数を多くしたのはいいのですが、それだけの量のシナリオを作ることが、ゲームデザイン上、物理的に無理だったのでは、と考えますが、詳細は次の段に譲ります。しかし、それだけでなく、「盛り上げていくためのイベント配置」それ自体に、まず無理があった、と感じます。

 

 このゲームの基本は、放課後に「2F/1F/校外/帰宅」の中から行き先を選択し、キャラと会話をしてイベントを発生させ、会話の中で適当なものを選択して好感度を上げていき、それが一定以上になったキャラクターとハッピーエンドを迎える、というものになっています。複数キャラの攻略条件を満たしている場合は、最終イベントをクリアすれば自動的にそのキャラクターとのエンディングになります。期間は、3〜4月の、正味2ヶ月間ですが、春休みが入るので、実質的にはもっと短くなっています。

 ところが、移動先に比してキャラクターの数が多すぎ、キャラクター数に応じたイベントが用意できていません。しかも、新1年生キャラは4月になってから登場するため、短期集中的にイベントが起こり、それらのあおりを食って、新2・3年生キャラの影が薄くなっています。イベントが少なくなるのは必然として、たとえイベントが起こっても、それらの多くは上に書いたとおりの「通過儀礼」。さらに、行き先に誰がいるかを調べるために、タイムテーブルを作らなくてはならない煩雑さも相まって、かなりの手間を掛けさせてくれます。しかし、それだけのメリットがあるエンディングがあるわけではないというのが、私の最終的な判断です。

 

 シナリオ全体の描写とは別に、Hシーンの入れ方にもかなり無理がありますね。いきなりくわえたり自分から腰を動かしたりと、無茶苦茶(^^;) そういうゲームじゃないと思うんだけどなぁ。後日譚的に、のべつまくなしの日々を付け足す、というのなら面白かったかもしれないけど。

不具合・修正プログラム

 CG達成率が100%にならないという不具合がありました。リーフのWebサイトにある修正ファイルを用いることで解消できます。実際のプレイ時には、特に不具合を感じることはありませんした。

操作性など

 セーブ&ロードは、任意の箇所で、5個所まで可能です。『痕』では、セーブ可能なのは実質的に1個所だけである上、システム的に非常にわかりにくいものでしたが、本作品では非常にスッキリしました。これでマトモになったというべきかも知れませんが(^^;)

 キーボード・マウスの双方が使用可能です。既読のテキストはスキップ可能。また、テキスト表示も、シーンによって速くなったり遅くなったりをうまく調整しており、表示そのものを「演出」化させる手法は見事です。個人的には、もう少しスピードを上げてもらった方が嬉しいのですが。また、フォントは、デフォルトの「リーフフォント」の他、任意のフォントが使用可能になっています。

 ゲームそのものも、軽く進むので、実に気持ちがいいですね。フルカラー環境では、「256色に切り替えますか」というダイアログボックスが出ますが、そのままプレイすることも可能です。ただ、購入当時の一号機(MMX Pentium200MHz+S3Virge4MB)では、フルカラー環境のままでプレイした場合、動作が多少遅くなりました。

 CGモードには「アルバム」という名称が冠され、見たCGが一枚ずつ出ます。達成率は、総合の他、各キャラクターごとの数値も表示されます。BGMモードは、相変わらず隠れモードになっています。スタート画面で、校門の表札部をクリックすると入ることができます。

サウンド

 BGMは、CD-DAで演奏されます。そのクオリティは非常に高く、ゲーム中のシーン展開をうまく演出しています。特に、『オルゴール』など、いくつかの限定されたシーンと密着した曲は、その曲によってシーンが容易に回想可能となるものになっています。さらに、『あなたの横顔』など、キャラごとのサウンドにも、非常に優れたものを感じます。しかし、曲がゲームを引っぱっていくほどのパワーを発揮していたわけではなく、あくまでも「部品」の1つとして機能していたと感じます。このあたりは、同じ年にサウンドで高い評価を受けた『メロディ』(Melody)や『MOON.』(Tactics)とは異なります。

 効果音については、「自然」に出されていた、という印象はあれ、そう気に留まるほどのものではありませんでした。音声はありません。

グラフィック

 キャラ原画には幅がかなりありますが、基本的に「高校生に見えない」というのは、お約束といっていいのでしょうか。まぁ、直前に『痕』をプレイしていたので、初音ちゃんを基準に考えればすべて許容範囲になってしまいますが(爆) ただ、表情変化については、キャラによってはどうも「そぐわない」と感じた面があるのも否定できません。

 塗りは非常に丁寧で、特に一枚絵CGのいくつかは非常に綺麗に仕上がっています。ただ、光線の使い方など、どうにも「写真みたいで却って不自然」と思えたのは、気のせいでしょうか。

お気に入り

 これだけのキャラクターがいれば、萌えられるキャラが何人かいてもおかしくはないはずなのですが、リプレイした結果、どうにも思い入れの残りそうなキャラクターは1人も生まれませんでした。シナリオではあかり、エンディングでは志保(この2つが分裂していること自体問題という気も…)が一番、という評価なのですが、かといってそれがキャラへの思い入れには結びつきませんし。

総評

 シナリオ面では、どうにも考えるほど粗が先に目についてしまうのですが、実際の会話のテンポなどは良く、「相手探し」の手間を除けば、不愉快になることはさほどありませんでした。しかし、ただ繰り返される日常の「楽しさ」を描くだけのゲームになってしまっているのは残念。「ノベル」の名に値するようなシナリオを望んでいたプレイヤーは、決して「ないものねだり」をしていたとは思えません。そこを踏まえた上で、このゲームを捉えたいものです。キャラ萌えを捨象した後、何が残るのか。それが、私なりに下した『痕』と『To Heart』との評価差に直結しています。

 「ノベル」という枠を外せば、それなりに高い評価をすることができると思いますが、少なくとも「LVNS」を冠している以上、「名作」と評するのは、私には無理です。

個人評価 ★★★★★ ★★☆☆☆
1999年9月26日
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