1999年Xゲームを振り返る


 私がプレイした1999年のゲームは、さほど多くありません。これを書いている段階で、プレイした作品は17本。そのうち1つはプレイ途上(ケロQ『終ノ空』)、1つは移植(エルフ『恋姫』)、1つはファン向けアイテム(『アクティブ恋愛方程式』)なので、正味13本。この状態で、演繹的に総括しても、まったく意味がありません。まして、注目度ナンバーワン(ナンバーツーか?)の『こみっくパーティー』(Leaf)、NIFTYで注目を浴びた『加奈〜いもうと〜』(D.O.)のいずれもプレイしていないという状態。
 このため、「総括」なるものを書いたとしても、その結果得られる結論には、大した意味がないのが確実です。
 しかし、レビューをマメに書くようになってから、ゲームに対する見方が自分の中で微妙に変化しているのも事実ですので、「プレイしたゲーム」に実直に沿いながら、1999年を振り返りたいと思います。

『悲劇』で始まった1999年

 1999年という年には、どうしようもないバグソフトが多く氾濫しました。いえ、1998年だって、『夏色デスティニー』(Milky Farm)から『Re-leaf』(シーズウェア)に至るまで、どうしようもないゲームがありました。しかし1999年を見ると、バグの「どうしようもなさ」は、輪を掛けてひどくなったという印象があります。
 この年の皮切りとなったゲームは、『悲劇〜NIGHTMARE COME TRUE〜』でした。その「悲劇」度は、あらためて書くことはしませんが、とにかく、どうしようもないシロモノでした。これに対するトラウマは、後にこれと同様のインターフェースを備えた『CampuS〜桜の舞う中で〜』(エーテル)をプレイした際、その画面を見ただけで投げ出し掛かったというくらいのものです。
 これ以降、不思議と「致命的なバグの入ったゲーム」は回避できています。巷間囁かれしところでは、『プレゼントプレイ』が、相当に凶悪なシロモノだそうで、話を聞く分には、『悲劇』以上だそうな。
 「バグの可能性」に脅えながら、高価なメディアに金を支払うこと自体に、馬鹿馬鹿しさや空しさを感じるようになってきたのも、今年の特徴でありました。

将来を期待できる新勢力ブランドの勃興

 昨年は、NIFTYの「98ベストキャラ投票」の主催者だったということもあり、2〜3月にはほとんど新作ゲームをしなかったのですが、しばらく経ったのち、この時期のゲームをプレイして、驚かされました。それは、荒削りであるとか、かなり無神経さを残しているとか、そういった問題点を抱えながらも、将来につながるような「何か」を感じさせるゲームが出てきたことです。
 具体的には、
・『CampuS〜桜の舞う中で〜』
・『Silver Moon』(R.A.N.Software)
・『エンドレスセレナーデ』(DISKDREAM)
の3つです。
 各ゲームの内容や評価については、それぞれのレビューページに譲るとして、貪欲な取り組みを行っており、これまで大作と呼ばれているゲームに対する対抗意識を強烈に示す一方で、地道な作品研究も怠っていない点で共通していると考えます。好き嫌いとなると、特に『エンドレスセレナーデ』は「嫌い」な部類にはいるのですけれどね。

キャラゲーからのブレイクスルーはいつか?

 タイトルに出した印象を抱いたゲームが、『My Friends』(EuphonyProduction)。「ぷち」ブランドで発売された『Graffiti』の主要ヒロイン二名が再登場するという形式を取っています。メインヒロインよりも、この二人の方が、よほどキャラが立っているという、実に不思議なゲーム。
 このゲームで注目すべきなのは、「続編」ゲームにありがちな「ヒロイン像のイメージダウン」を、徹底的に防いでいること。脇役でなくヒロインとして再登場する場合、その「ヒロイン」は、元のイメージに比べ、明らかに悪い方へと転落して描かれることがかなり目立ちます(最悪の事例:『きゃんきゃんバニープルミエール2』(カクテル・ソフト))。しかし、『My Friends』再登場ヒロインのうち、まず美咲は、「相変わらず」という面を「確実に」見せてくれましたし、真弓も、「見た目によらず、ずいぶん成長したな」と思わせました。特に、真弓の描き方はなかなかのもので、『My Friends』の後に『Graffiti』をプレイすると、幻滅する可能性が高い、というぐらいです(^^;)
 しかし、気にかかるのは、ますます「キャラクターだけ」という方向に定着してしまうのではないか、ということ。別方向での模索もしてほしいんですけどね。現状では、特に声優の演技力に多くを依存していることからもわかるように、単なる「可愛い、それも男にとって都合の良い女の子」を揃えるゲームになりやしないか、それが気がかりです。

うぐぅ、あうーっ、了承、そんなこと言う人嫌いです、…

 『Kanon』については、多くを語る必要もないでしょう。その方向性に際し、あそこまで『ONE』のテーマを継承するとは思っていませんでしたが。
 根底に流れるものは基本的に同一と考えてよいのですが、どう見ても「一般的な存在」から逸脱しているようなキャラクターを意図的に配置し、特に彼女たちの口癖によってキャラの記号を明確にする。この手法は、『ONE』における七瀬留美のような正常キャラ(?)を一切排し、すべてを「特殊キャラ」で占めたことを考えると、他ゲームにも一気に広がる可能性がありますね。99年後半の作品は、ほとんどプレイしていないのでわかりませんが、そろそろ萌芽が見えてもいいころかと。
 皮肉な見方でもありますが、バグらしきものがほとんどなかったのは特筆できますね。キーボード操作ができないというのは「何を考えているんだ?」といいたくなりましたが、「予期しない反応」というのがないのは評価できます。

温故知新

 1999年末になってから取り組みだしたのが、PC-98DOSゲームを、エミュレータ使用によってWindows上でプレイするということ。
 名作と呼ばれる作品は、かなりの比率でWindows版として移植・リメイクされていますが、そのまま枯れていき消えていくマイナーゲームはあとをたちません。しかし、消え去った方が良いシロモノだけではないはずです。こういうゲームの灯を消さないためにも、98エミュがなかなか有用であることを実感します。
 フロッピーディスク自体の寿命という物理的な問題も、Windows上でエミュレート可能であれば、MOやCD-Rといった耐久性のあるメディアを用いることで解決できます。エミュレータ相互の互換性はなさそうですが、そこまで期待するのは無理な注文というものでしょう。
 取りあえず、98エミュを使ってよかった、と思ったのは、『卒業写真2』DOS版をプレイした時でした。

高評価に値するゲームなし

 現在出した結論としては、これまでのゲームを上まわるような作品はなかった、ということでした。
 NIFTYなどでは、よく、「大作はないけれど…」という説明がなされます。それも一理ありますが、そもそも、発売されるゲームの数自体が多すぎて、迂闊に手を出せないという状況では、分母が肥大化し、必然的に「評価に値する作品」の比率は下がってしまいます。分子も大になれば、理論的には「比率」は変わらないはずですが、相応の手間暇をかけないと、クオリティの高いものを作ることはできません。数が多くなったということは、「多く作れるような作品が増えた」というだけのことでしょう。
 そういったゲームがどの程度売れているのか、となると、これはもはやブラックボックスであって、語りようがないのでしょう。しかし、Xゲームプレイヤーの人口が、発売数に見合った増加を示しているとは思えません。しかも、ゲームそのものは、「買ってみないとわからない」ので、言葉は悪いですが、「騙し」がどの程度まで許されるか、それが、作り手と買い手の間で綱引きされているという面が、確実にあります。そこでは、「買い手」側には、十分な情報が供給されているとは到底言えません。バグ付きゲームであっても、通信環境が無く、なおかつ、「自宅にその手の郵便物が送られてくるのは困る」という人であれば、そのまま泣き寝入りでしょう。これほどまでに「買い手」にビハインドがある商品というのは、そうないとさえ言えます。それだからこそ、「作り手」には、それがビジネスとして成立するラインを安易に下げず、相応に売れ、そして市場に容れられるものをリリースされるように望みます。

 ちなみに、私が、10点満点で「9点」以上の評価をしている作品は、『ランス3』『夢幻夜想曲』『AmbivalenZ』『痕』『鬼畜王ランス』『卒業写真2』『メロディ』『ONE』。さて、2000年には、どんな作品が出るのでしょうか。

2000年1月10日

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