『君が望む永遠』プレイメモ


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 このページでは、『君が望む永遠』をプレイした印象を記しています。まとめようとして書いたものではなく、あるエンディングを終えて書く、といった形のものなので、レビューはおろか感想にもなっていません。

 また、ネタバレ領域に踏み込んでおりますので、未プレイの方はその旨ご承知おきください。また、私がプレイしていない範囲の情報をわざわざメールなどでお送りいただくと非常にイヤなので、その旨もご承知おきください(^_^;)

茜END終了後

 第一章終了後は「喰えるかも」程度に思っていたが、ホントに喰えたとは。ビックリ。ホントのところは、心身共に発達途上期だった娘を敢えて出すことで「時間」の現実を提示するための駒かと思っていて、実際遥に「時間の経過」をもっとも強く認識させたのが「成長した茜」だったことを考えればそういう面は確かにあるけれど、なんか蓋を開けてみたらそれはオマケっぽい。茜シナリオでは涼宮家の両親の存在感がどうにも薄いし。

 しかし、これは…三角関係にもう一つ追加かい。こういうのは何ていうのかな。四角関係? 正四面体関係?? そんな日本語ないね。

 

 茜が水月に喰ってかかるシーンは見物だった。水月が抱いている「負い目」に対し、水月が沈黙しながらも否定はできない様を暴く茜の姿は、非常に様になっている。妙だと言われるだろうが、状況を的確に把握して論を自分に有利に展開し、なおかつそれを相手に認めさせる姿は恰好いいと思う。

 だが、水月には、夜叉のごとく彼女と対峙して欲しかった気もする。水月ファンには刺されそうな気もするが、どうせ「汚れ役」を担い、心身双方の慰安を主人公に提供する役を担ってきた彼女だからこそ、単に「時間」を方便に使うことなく、少なくとも主人公を支えてきた自負を、「茜と比較して」語っても良かったと思う。「遥と比較して」見れば、茜の攻撃が的を射るものである以上水月には逃げようがないが、茜と同等の立場に立てばそういうことはなかったはずだ。差があるとすれば、他ならぬ遥に対する姿勢だけではないか。

 

 その一方で、茜も、遥に対してはどうにも中途半端な姿勢を見せているのだが、やっぱり「好きになっちゃいけない人を好きになった」ことについて、隠さずに打ち明けなくてはいけないという彼女の観念があったせいだろう。自分が憧れる理由であった水泳を途中で投げ出し(たように見える)、あまつさえ傷心の主人公をかっさらっていった――遥以外の他の女性の手に移ることなど考えもしなかった――水月に対しては、おそらく修復不可能な関係になっているわけだし、その関係と「過去に抱いていた憧れ」とのズレを埋めるためにも、徹頭徹尾対決姿勢を保つことになるはず(和解するにしても、早くとも遥に対して何の遠慮もなくなった後だろう)だし、それと比較する意味でも、正々堂々としつつも、激しい火花などは出せなかったと見られるだろう。

 もちろん、遥の記憶がもどったこの時期になぜ、という気もするが、それは水月の存在があったからであり、水月が現況を遥に話す以上自分にとってのラストチャンスが今、という以上のものではないのだろう。

 

 彼女のパワーの源は、結局「時間によるマイナス面」を克服しようとする姿勢にあったのではないか。水月は「時間が忘れさせる」という姿勢でありながらそれが敵わず、逆に遥は「時間によって主人公の想いが風化した」わけだが、遥の意識回復によって抑えていたものが一気に噴出し、その機会に自分を変えられた。そう説明できそうに見える。この点、茜が主人公に惹かれていった過程がわりとおざなりだが、これはこれで悪くないだろう。もし遥が「目が見えて耳も聞こえていたが口が利けず手足も動かせない」という状態であれば、まさにこんな風になったのだと思うし。

 

 もっとも、茜シナリオでの主人公の描写には、首をかしげる。ヘタレ云々以前に、どうして茜に惹かれたのかがさっぱり出てこないのだ。茜の糾弾によって水月から離れたというのは充分にわかる。しかし、なぜ遥でなく茜なのか。主人公の中での茜の存在が数日のうちに急速に増したのはいいとしても、このモノローグが多用されているゲームの中でも、彼の心境変化を読みとることはできない。遥に対する想いが3年のうちに消え失せたものであっても、ゼロからのリスタートを宣言するのが関の山ではないのか。

 そう考えると、茜のHシーンを入れたのは失敗だったと思う。もし3年前の時点で遥を抱いていたのであれば、それを見ていた茜が「対等の立場に立つために主人公との関係を求める」と説明できるが、そうでない以上、「抜け駆け」という重荷がどうしても残る。

 ラストシーンでの遥の微笑みはまるで天使のそれのようだが、その笑顔の邪気の無さこそが、重荷をかえって増すことになるのではなかろうか。たとえ、遥の「公認」によるものであっても、茜は水月と同じ道をたどるのではないか、という気がしてならない。これは本当にハッピーエンドなのだろうか。

 

 なんにせよ、少なくとも茜の立場から見れば、水月を追い落とす(えげつないね)までは、その微妙な立場を存分に活用していい役を演じているといえよう。そっから先が問題なんだけどね。でも、主人公が動いていない。マズいでしょ、どっちが主人公だかわからんのは。

 

 まだまだエンディングありそうだね。あとは水月があるけど、それ以外は女先生ぐらいかな、気にかかるのは。ファミレス連中は興味ないし、看護婦はちょっと苦手だし。

 そういや遥のときには気がつかなかったが、主人公の親って何やってるんだ? 息子がマジでやばい状態になっていたというのに、遥の父親の方がよっぽど親らしいではないか。

(2001年10月19日 記)

遥END終了後

 いきなり三年後、環境が大幅に変わりました、というところからスタート。主人公の変貌振りに驚くというよりは、むしろ「三年後」をスタート地点として「過去」がどう見えているか、という視点で見た私には、特に違和感も何もない。ただ、慎二の設定がわざとらしいとは思う。

 

 主人公のヘタレについては、まったくそんなことを感じなかった。そもそも、主人公という人物に対して合理的な思考を絶対に認めんといった環境を用意している以上、選択の余地がない中で葛藤に苦しんでいるだけじゃないのか。特に、ヒロインである遥の病状が不安定である段階では、恋愛云々よりもまずは彼女の容態を考慮して慎重に行動するのが自然だろう。それを超えた後についても、あれだけ悪意と乖離した「気遣い」の中で囲まれている主人公は、言うなれば「作られた善意の空間」の中で窒息寸前にあるわけで、人間の中に悪意が入ることを全面的に否定せざるを得ない状態に追い込まれているのではないか。悪意を微塵も感じさせない環境とは、人間を信じなくてはいけない空間に他ならない。これで自己不信に陥らないのであれば、相当太ぇ野郎だろう。先延ばしが垣間見えるとはいえ、そこには絶望を拒絶し足掻くだけの力強さが確実に見られるではないか。

 悦楽を提供するためにのみ用意されたような軋轢を除去してしまえば、あとはもはや無菌状態の空間。そりゃ息苦しくもなるよ。自分だったらどうかという以前の問題(私だったら、身一つで逃げ出すだろう)。もし真正面から受け止めようとすれば発狂は間違いない。

 

 このシナリオは割とクールにプレイできた。あまり不快感を覚えなかったのは、憎悪に基づいた不信が表面に出てこなかったためだろう。茜の主人公に対する当初の態度などはずいぶんキツいものだったが、信頼を置きたい相手に対する心情の裏返しというのがミエミエだったし。水月に対する茜の姿勢のどぎつさが回避されていたのも、このドロドロ感を出したくなかったためだろうか。マジなドロドロというのは最近見ないだけに、この二者関係はもっとギスギスして欲しかったのだが。相当嫌なこと逝ってるのは百も承知だ。

 

 水月は悲惨なものがあるな。自分を殺し、徹底的に「主人公の役に立つ」ことでのみ、その存在意義を継続しようとする終盤。自己防衛本能が拡大して囚人化しているようなものだが、第三者が見れば妄執に囚われているのは明白。どう見ても全面的に理のある茜に対し、答えになっていない返答で押し切ってしまう彼女を見ると、痛々しさを禁じ得ない。しかし、遥との関係を主人公が望むのであれば、その時点で水月の「恋人」役が自動的に終焉を迎える以上、致し方ないものとしてきちんと出ていると思う。しかし、「付き合い」の作為性を強調しすぎて、それまでの主人公への「想い」がぼやけてしまっているのは残念。彼女のシナリオじゃないから無理ないのかも知れないが。

 エンディングもそうだが、「四人」という枠組みを「呪縛」として引きずっているように見える。それはそれで悪くないとも言えるが、本来は「三人+一人」だったんじゃないのか。

 肝心の遥はイイトコ取りのようにも見えるが、メインヒロインの特権として見てよいだろう。あと、病院でヤるのはまずいんじゃないかい、なんぼなんでも。

 

 これは明記してあったかどうかハッキリしないけれど、「逃げ」というものを全否定していないような印象を受けた。私の思いこみかも知れないし、実際に「逃げ」という選択を取ると悲惨な末路が用意されているように見えるが、少なくともそういう選択もアリのように思える。人間が必ずしも強くはないというのは当たり前すぎる話だけど、「かくあるべし」という主張自体は希薄なのではないか。もちろん選択肢は一通りしか選んでないし当てずっぽうだけど。

 

 CGモードがまだ全然埋まってやしない。これじゃいつ終わることやら。まっとうなエンディングがありそうなのは、遥と水月、あとは茜ぐらいだと思うのだが。

 あと、ファミレスの変人二人は個人的に却下。ああいうのはどうもダメ。店長がいるからまぁいいけど。いやむしろこの店長、別シナリオでキーパーソンになりそうな感じ。『卒業写真2』のマスターを彷彿とさせるのだが気のせいか。

 

 ところでこのパターンのシナリオって、二十年くらい前のテレビドラマでよく使われていたパターンじゃないの? NHKの『澪つくし』とか…て、あれは男女の役割が逆か。でも他にも類例があったような。

(2001年10月18日 記)

第1章終了後

 マニュアルのスタッフ紹介を見ると、シナリオ欄に見たことのある名が。はて、と調べ直すと、『水素』も担当されたお方。………このゲームのシナリオってその程度のものかな、と、ある意味ではものすごく失礼なことを思いながらインストール……できん。

 アージュのサイトにあったインストーラーを使えば大丈夫だったが、どうにも先が怖い。まともにアンインストールできるんだろうね、などと思う。

 

 第1章終了。これが噂の先行配布版か。そりゃここまでで後は買うてのお楽しみ、と言われれば嫌でも買うよな。

 

 いきなりちゅどーん、というのは確かに驚いたが、幸か不幸かメインヒロインが途中で逝ってまうゲームはこれまでもプレイしたことがあるし、その呪縛から新しい恋愛へというパターンはここ一〜二年くらい見た記憶もある。ただ、これは後を引きそうな幕の引き方だ。味があるというか憎いというか。

 

 やたら主人公のヘタレぶりがネット上で強調されていたが、ここ見る限りでは、あながち間違いでもなさそうだ。観念的な恋愛を型にはめて義務的につき合うようなところがまさにそう。型からはいるといえば聞こえはいいが、相手がかくあるべしと望んでいるスタイルを受け入れているだけだ。少なくとも自分の高校生当時の行動などとはかけ離れたものだし、この部分については感情移入もへったくれもない。

 特に反発を覚えることはなかったが、こんなもんかな、という程度のものだ。

 

 ヒロインの方を見れば、徹頭徹尾遥が可愛いね。冒頭での登場シーンで多少うざったく見えないでもないが、基本的にはこれほど嫌みがなくて男に都合の良いキャラもあるまい。ゲームの中で受けるキャラかどうかは別として、こんなコをはべらせていれば幸せ感いっぱいだろうな、という位には思える。家庭環境も良いが、親の物わかりの良さがちょっと不気味だ。伏線かね。あと妹は大きくなってから喰えそうかな。

(2001年10月17日 記)



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