不意に頭上にわきおこった入道雲に、プラタナスの並木道は淡い影に包まれた。
……夕立がくるのか。
俺は頭上を見上げて、ふと足を止めた。
この季節になると、俺は今でも思い出す出来事がある。
古ぼけた、一冊の大学ノート……
あの夏に限って、どうして俺は日記をつけようなどと思ったのだろう……
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〜原英輝の日記より抜粋〜
七月二十六日
……そういえば、貴理が妙なことを言っていた。
もうすぐ、町から恭生が遊びに来るという。
子供の頃毎夏来ていたあいつだが、最近は来ていなかったから、数年ぶりだ。
受験生だってのに、ったく、なにしに来るのか。物好きな奴だ。
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八月一日
恭生の馬鹿が、来た早々訳のわからない事を言いだしたから、こっちはえらい迷惑だ
。
昔、埋めた記念の代物が掘り出したいなんて。ここが、水の底に沈む前に。
……もっとも、倉林たちと一緒に騒ぎながら、捜し物をするのは案外楽しいが……
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八月四日
今日、気にくわない奴に会った。
みんなみんな、勝手な事いいながら、物見遊山におしかけてきやがる。
ダムが出来て、この集落が無くなるからって!
俺たちはまだここに住んでいる。俺たちは必死なんだ。
恭生は相変わらず、ムキになって思い出を探している。馬鹿な奴だ。
市村まで、一緒に夢中になって。
もうお互いガキじゃあるまいに。
……あいつら、自分たちの関係がそうとう変だって、ひょっとして気づいてないのか?
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八月九日
夏祭りは盛大で楽しかった。
この為だけに戻ってきた奴も沢山いたみたいだけと、まあ許してやろう。
市村や有夏の浴衣姿は……か、可愛かった。
なのに二人とも、恭生にべったりでやがる。とくに有夏まで。むかつく。
まぁ、貴理が照れていたのは、いい傾向なのかもしれないけど。
……とにかく、恭生の馬鹿が全部悪い!
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八月十七日
……くそっ!
馬鹿なのは、俺たちみんななのかもしれない。
有夏が泣いていた。貴理も、きっとどこかで泣いているだろう。
俺は、ずっと恭生がガキだと怒っていた。
だけど、みんなが恋を知ったら。
……
……俺たちは、いままで誰も恋を知らなかったのかもしれない。
だけど、明日になればきっと……
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ザーッ……
激しい勢いで、夕立が降り注ぐ。雨の激しさは、今もあの頃も変わらない。
俺はシャツを濡らしながら、慌てて駆け出した。
そう、誰もが全身濡れながら、それでも駆け抜けるしかなかった、あの最後の夏のように。
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