EP−ROMさんが昔話の中で、「強烈にプッシュする人のいるゲームは気をつけろ」と述べておいでです。そのご意見には私も賛成なのですが、それでも「合う合わないは別としてプレイしてみてほしい」と思うゲームがあり、それが今回ご紹介する『ELYSION』です。Teriosより2000年8月発売、DC版は2002年7月、PS2版は2003年5月にそれぞれ発売されています。なお私はコンシューマ版は未プレイです。
あらすじは――ヴェネツィアにほど近いアドリア海の孤島サンタ・マリア。主人公葛城遼一はこの島の主人であるパドリーノに主治医として招かれる。パドリーノの命令は奇妙だった。四人のメイドたちへの絶対的な命令権を与えると同時に、7日後には一人を専属として選べ、と。老人の真意が読めぬまま、葛城はメイドたちとの19世紀さながらに様式化された奇妙な生活へと入ってゆく――というものです。
私は最初、“メイドゲー”としか思っておらず、回避していました。しかしどこかのサイトで「20世紀ヨーロッパの政治・宗教諸問題の知識、興味がないとつらい。単なるメイドゲーと思っていると痛い目に遭う」と書いてありましたので、「それは是非プレイせねば」と思った次第です。
プレイした感想ですが、非常に面白かったです。ゲームの進行はパドリーノの真意を探りつつ、屋敷の秘密に迫っていくというものですが、その過程で登場人物の様々な思惑が交錯し、巻き込まれていきます。登場人物の思惑もそれぞれの背景があって、アイルランド問題、カトリックとプロテスタントの確執、バルト三国問題、コソボ紛争など、現代ヨーロッパの政治・宗教問題がかなり盛り込まれています。また、ナチスについても触れています。以上の問題は一個人で解決出来るものではなく、背景として描かれているのみですが、こういった問題を無理なくストーリーに組み入れた手腕は見事と言っていいでしょう。
テーマとしてもかなり重く、“恋人としての愛と主従としての愛”、“人間とは何か?”、“人の心とは何か?”といった問題が描かれています。以上の問題も答えの見つかる命題ではありませんが、ゲーム中で示された展開も、一つの答えとして納得のいく内容でした。
敷居が高いことは否めませんが、単に“主人公の巻き込まれた事件の物語”として見ても、緊張感のある良質のサスペンスだと思います。
『ELYSION』は私の歴代ベスト5に入る名作ですが、何やら褒めすぎのような気がしますので、気になった点を一つ。それは『ELYSION』には「何かが足りない」と思うことです。
私は『YU-NO』で人生を間違えました。そういう人は少なくないと思います。また『痕』で人生を間違えた人もいるでしょうし、『アトラク=ナクア』の人もいるでしょう。他にも『To Heart』や『同級生』など、心の中で特別視するゲームは誰しも一つはあると思います。しかし『ELYSION』で……という人はいないか、いてもほんのごく少数ではなかろうか、と。
上で挙げたゲームと『ELYSION』では何が違うか、今のところ私は回答を得ていません。しかし何かが違うと思います。それが何なのか、既存の言葉で言えば「カリスマ」というものだと思いますが、『ELYSION』にはそれがないのではないか、と思っています。
無論それは『ELYSION』の評価を貶めるものではありません。しかし、上記のゲームにあって『ELYSION』にないもの――それが何なのか、今このゲームを取り上げて疑問に思っています。
ところでこのゲームはコンシューマ版が発売されていますが、私はそれについては懐疑的です。18禁シーンはともかく、政治・宗教問題をどこまでコンシューマで表現できるか、それが心配です。差別的な表現もあり、そのまま移植することは難しいでしょう。しかしそれらを曖昧にすることは、このゲームが抉っている問題の本質をぼかし、結果として魅力を半減させるのではないか、と思っています。