cianの追想・その6

銀色 〜Silver〜

2003年5月7日

 私は病弱シナリオ好きですが、病弱でなくても「痛い話」が好きな人間であります。その私が「墓場まで持っていきたい」とさえ考えているのがこの『銀色』です。もっとも、第3章は願い下げですが。(笑) 発売は2000年8月、ねこねこソフトより。

 ゲームの詳しい内容はKenさんのレビューを見ていただくとして(楽ちん楽ちん♪)……私が余計な意見を書く必要がないですね、これは。しかしそれではお話になりませんので、Kenさんのレビューを元に私の意見を少々。(挑戦とはそういう意味です) Kenさんへの挑戦は2回連続(予定)で書くつもりです。

 私の『銀色』各シナリオの評価は【1章→4章(過去編)→2章→4章(現代編)→3章】の順です。ゲームの感想はほぼKenさんと同じですし、同じ事を書いても仕方がないですから、第3章にスポットを当てたいと思います。その3章ですが、このシナリオを【個人的には見なかったことにしたい】という点では全く同感です。

 私が気になったのは、3章のみその悲劇の原因が「“銀色”に願いをしたこと」であることです。「何でも願いの叶う」アイテムでは幸福になれないことはよくあるパターンですが、それを表現するための章と解釈しています。

 人智ならざる力を安易に使えば強烈なしっぺ返しを喰らう――お約束な展開ではありますが、“銀色”の性質を考えるとこのシナリオは(ストーリーはともかくとして)必要ではなかったかと思います。

 その意味では姉妹の設定に(個人的好悪は別として)異存はありませんが、私には主人公が他章に比べ、やたら影が薄かったことが気になります。【それまでの二章とは、描写のスケールがまるで違う上、深刻さの度合いも、それが倫理的な領域に踏み込んでいないためにはるかに軽いものに留まってしまっています。】というKenさんの指摘はそのあたりに原因があるように私は思いました。

 もっとも私がこの章を評価しないのは、私が三角関係のストーリーが嫌いだから――というのが第一の理由ですが。(笑)

 余談ですが、『ねこねこファンディスク』で3章のアフターストーリーが描かれていますが、これは私には納得いくものではありませんでした。3章は“銀色”作成後のストーリーの中では最も救いのないシナリオですから、フォローのためのものだとは思いますが。

 しかし3章のエンディング後を考えた場合、主人公の父親に息子(主人公)の不始末を揉み消す力は確かにあったでしょう。しかしその見返りとして息子に「軍人の責務を全うする」ことを要求することは明白ですし、また、ほとぼりが冷めるまで日本に居ないよう(大陸に配属替えをするなどの)手配をする方が自然でしょう。つまり、『ファンディスク』のアフターストーリーはあり得ないと思います。

 ところで、私は「3章が最も救いがない」と書きましたが、異論のある方もおられるかと思います。悲劇度という点では3章は「悲劇」と言うにはあまりにも滑稽ですし、「喜劇」と言うにはあまりにも笑えません。しかし私は3章が最も救いがないと思います。

 1章では名無しが最期に「生きた証が欲しい」と願います。「生きた証」――。「生きているという実感もない」名無しにとって、ようやく好きになりかけた世界との別れ。死という逃れようのない現実を目前にして「生きた証」を欲しがる名無しの姿に、言葉をなくすと同時に「生きた証」を得られた結末に“救い”を感じました。たとえそれが名前という、人間ならば誰もが当然のように持っているものだとしても。

 2章においては、狭霧が「里の皆が幸せに暮らせるように」と願います。その結果として得られた狭霧の運命は、酷いの一言につきます。狭霧の運命が人為的に仕組まれたものであること、その事実を知りながら運命を受け入れる狭霧の姿には、1章同様言葉がありません。

 また有能であるが故に左遷された、合理主義者の主人公が田舎で見る非合理的な風習、両親を亡くした狭霧を育ててきた一輔――その心中如何許りか、思いやられます。

 2章のエンディングは見事に救いのない結末ですが、手鞠の少女が狭霧に「またいつか遊んでねーっ!」と声をかけたシーン。そして狭霧が一度は蘇生し主人公に別れを告げられたこと。決して後味が悪いだけのシナリオではないと思います。

 4章の現代編は……これは救いがないとは言えないでしょうね。

 最後に一つ、『道』('54年伊、F・フェリーニ監督)という映画があります。これは『銀色』第1章とかなり内容が似ているそうです。名画として評価も高いようですし、興味のある方はご覧になると良いかもしれません。(私も一度観たいと思っています) 

written by cian