cianの追想・その4

Kanon

2003年4月9日

 今回は『Kanon』、言わずとしれた有名ソフトですね。発売は1999年6月、KEYより。

 ゲームのあらすじ等はKenさんのレビューを見ていただくとして(をを、これはラクだ)、私の各シナリオの評価は【真琴→あゆ→舞→名雪→栞】の順です。はっきり言って、真琴シナリオとBGM以外要らないです。まぁ、あゆまででしょうか、評価してるのは。今回も前回同様、病弱シナリオ――栞シナリオのみに触れたいと思います。

 既に指摘されていることですが、栞の病気はかーなーりー便利です。復習の意味もかねてもう一度おさらいを。

1原因不明の病気(症状を好きに設定できる)

2死ぬ数時間前まで平気で街を闊歩できるが、登校は出来ない(ナニそれ?)

3寿命が誕生日とちょうど重なる(…………)

 ただし、この中で3だけは私は違う解釈をしています。ゲーム中で“次の誕生日までは生きられないだろう”という台詞はありますが、“次の誕生日が命日だ”という台詞はありません。これはおそらく栞の倒れるシーンが、時計の針がちょうど誕生日の日付をさした瞬間だったので、勘違いされたのではないでしょうか? また、栞の言動が“次の誕生日ぴったりに死ぬ”的なものでしたし。しかし栞の姉の香里が、“次の誕生日も越えられるかもしれない”と言っていたように記憶しています。つまり設定はまとも(?)だったけれど、ライター氏が過剰な演出をしたためにプレイヤーが誤解をした――のだと思います。

 栞の病気は原因不明のようですが、そもそも仮想病気を考えていないのではないでしょうか? KEYスタッフを軽んじるつもりはありませんが、この症状・経過では考えていないと言わざるをえません。

 それと死と向き合う栞の心情ですが、どうしてあれだけ脳天気な行動を取れるのか、私には理解できません。最初に、自殺しようとしたが主人公達の楽しげな会話が浮かんで思いとどまる――ようですが。

 病弱シナリオにおいてクライマックス(別れのシーン)をより感動的にするには、「幸せな日常」を表現するのが効果的でしょう。理解は出来ますが、脳天気にすればいいというものでもありますまい。他シナリオでは主人公もヒロインも「悲劇的な結末」を予想していませんが、栞シナリオでは少なくとも栞は「悲劇的な結末」を予見しうる立場です。他ヒロインと同様の「幸せな日常」を演出することは、私には逆効果と感じられます。

 さて、いきなりクライマックスのシーンに飛びますが、このシチュエーションは如何なものでしょうか? 残された僅かな時間を共に過ごし、タイムリミットとなる誕生日に時計の針が動く瞬間、雪の降り積もる公園にその身を横たえるヒロイン……。

 いくらなんでもあざと過ぎでしょう、これは。

 こうなってくると、今までの全ての演出が泣かせるためだけのものに見えてきます。それでなくても“便利すぎる病気”、“納得しかねる幸せな日常”など、いくらでもツッコメる内容なのですから。

 【今までの全ての演出が泣かせるためだけの演出】についてですが、シナリオ中〜後半の演出を、私は悪い評価をしていません。いえ、このあたりの表現力は「泣かせ専門メーカー」随一ですし、栞シナリオにおいてもその力量は存分に発揮されています。

 具体的には、主人公が栞の病気を知らないうちから語られる「起きないから、奇跡って言うんですよ」という台詞が、伏線として後から効いてきます。さらに病状を知ってからも、寿命を遙かに越える未来の約束を交わしながら、今この瞬間の幸福を追い求めるその姿や、香里との微妙なすれ違いや名雪との交流などを、上手に組み込んでいます。それらのイベント配置・場面切り替え・台詞回し・素晴らしいBGMなどの演出は、流石の一言です。

 しかし繰り返しになりますが、最後がよろしくない。“便利すぎる病気”、“納得しかねる幸せな日常”と相まって、シナリオ中〜後半の演出すら胡散臭く見えます。

 敗因は小手先の技術に頼りすぎたことでしょう。病弱シナリオファンは基本的に“泣きゲー”好きですが、過剰な演出は嫌います。それ以前に、“便利すぎる病気”を許容しません。

written by cian