Make your own free website on Tripod.com
title story
エリコの城 ポツンポツンと草原に点在する家の少数の群。この3次元の領域には、家と人の腰位の高さの草と、妙に澄み切った青い空があるだけ。道もない。電線も電柱もない。車もない。車の排気ガスと渋滞と騒音には全く縁がない。都会から来た人はこう感じる。第1印象は新鮮で安らぐ風景。第2印象はどこか物足りない。第3印象はどこか寂しい。そしてここの住人はこう感じている。怖い。工事とその騒音もない。人ごみとその混雑もない。あるのは洋館と洋風の家の少数の群。青い草。青い空。虫もその生きる音もない。動物もその生きる音もない。家の群を従えているのは1棟の洋館。芙蓉の館を中心とする螺旋の渦は、すり鉢の様に、蟻地獄の様に、八角形で束ねられた蜘蛛の巣の様に、他の家を巻き込み、掴んで離さない。動くものは何もない。時々、風と風になびく雲と植物を除けば。入道雲の傍らにはじりじりと照り続ける太陽。フェードアウトを拒み続ける蒸し暑さがこの領域に漂い、終わらぬ夏を予感させる。館の両扉の窓から、退屈な空を見上げる少女の顔が見える。出窓に両ひじをすえて、両手でその小さいアゴを支えている。彼女のこげ茶色の瞳は、遥か彼方の光景を捕まえて離さない。孤独で空虚なエリコの心を満たすのは、こうしてぼんやり、外の世界を覗いて白昼夢を見ることだった。父も都会から週に一度往診にやってくる医者も、不治の病という名の鎖で、エリコをこの館へ縛りつけてきた。気まぐれな風は時々、エリコに遠い都会の、遠い国の、遠い世界の物語を話してくれる。エリコにはわかっていた。きっと信じていればきっと、死んでしまった母へ、毎晩ねだったおとぎ話が鮮やかに蘇る。ぜんまいにつながったねじを巻き直せば、繰り返し繰り返し、オルゴールが悲しい歌を歌い続ける様に。ふと我に返ると、ハエさえ飛ばない大空を白い点が漂流している。近づくにつれ、それが常に風へ身を任せ、珍しいおもちゃを与えられた子猫の様に、風もそれをもてあそんでいる。ひらひらと白いハンカチが落ちてくる。エリコはそう思った。しかしハンカチにしては大きすぎるし、白い巨大なハンカチから伸びた糸は人形をぶら下げている。エリコが生まれて初めて見たそのパラシュートは、緩やかに旋回を続けている。そして着実に芙蓉の領域へ吸い寄せられつつある。予期せぬ訪問者に気づいたのはエリコだけではなかった。白いシーツに落ちた赤い染みが広がる勢いで、芙蓉の住人達の注目を集め始めていた。住人達が空を指さしながら、パラシュートが落下するであろう場所へ走って行く。住人達と同じく、パラシュートを追いかけようとエリコが振り返ると、騒ぎに気づいた父がいた。「出るな」と一喝し、父はエリコの両肩をぐっと掴んだ。空を見上げる住人達の輪の中へ吸い込まれる様に、風に流されることなくふんわりと、静かにパラシュートは着地した。しばらくすると、娘の監視を執事に任せたエリコの父がやって来た。領主のロータスラックが来たことを知ると住人達は目を伏せながら、さっと彼に道をあける。ロータスラックは、住人達の輪の中心でかがんでパラシュートをめくり、包まれていたものを凝視した。それは黒革のパイロットスーツを身にまとい、ゴーグルのついた帽子を被った少年だった。気絶しているが外界から身を守ろうとする防衛本能のままに、羊水に包まれた胎児の様に、ひざをかかえ身を丸めていた。
処女航海 豪華客船アルゴス号は世界一周の処女航海中。昔から難破や遭難事故の絶えない魔のバミューダ海域は迂回する予定だった。しかしバミューダから10海里を航行中、バミューダ方向から救難ビーコンを受信した。救難に向おうとする船長に対し乗船していたアルゴス号の船主は、バミューダで遭難情報が最近ないこととバミューダが悪天候である為、二次遭難する可能性があると主張し進路変更に反対する。しかし仲介に入った船主の妻の説得により、救難に向かうことを承認する。救難に向かうと気象衛星の情報とは違い、バミューダは濃霧に包まれているだけだった。信号を発信していたのは救難ボートで漂流していた一人の牧師だった。彼の話では乗っていた船が沈没して彼だけが生き残ったという。牧師の乗っていた船が30年前に遭難したまま発見されていないことや、牧師の体調や服装に遭難の痕跡がないことで彼に不信感を募らせる船長に対し周囲は、漂流の精神的ショックで今は証言がおかしいのだろうと楽観視する。牧師を助けた後、アルゴス号は濃霧のバミューダから離脱しようとするが、何者かの妨害工作によりアルゴス号は航行不能に陥り、実質的に遭難状態となる。やがて船内で乗客の殺人事件が相次いで起こる。一向に犯人が判明せず、救助の船や航空機がこないことで、乗客と船員はお互いに疑心暗鬼に陥り、精神的に追い詰められていく。牧師は彼らの心の隙をつく様に全ての責任は船長にあるとし、船長をバミューダへの生贄として捧げれば、全員が助かると主張する。船長は唯一の理解者である船主の妻を連れて救難ボートで密かに脱出を試みるが、船長の身代わりとなって船主の妻は、牧師に煽動された暴徒達に殺されてしまう。脱出に成功した船長を乗せた救難ボートがアルゴス号から離れていくと、それに呼応した様にアルゴス号が炎上し、沈没してしまう。疲弊しきった船長が救難ボートへ仰向けに倒れこむと、海の中からアルゴス号で死んだ者達の手が突然飛び出して、救難ボートのへり越しに船長を、執拗に海の中へ引きずり込もうとする。恐怖で発狂した船長のけたたましい笑い声が、凪状態の夜の海に響く。夜が明けて、濃霧の中から浮かび上がったのは牧師姿の船長だった。薄笑いを浮かべる彼の視線の先には、彼の救難ビーコンを受信して新たにバミューダにやってきた客船があった。

これの元ネタは、1974年アメリカ製作のTV映画「魔のバミューダ海域」
女仇討ち記 「なぁ、やっつあん。この間の話。知ってんだろう?」「なあんだぁ?それ」「まったぁ。もったいぶるこたぁねぇだろう。こないだの。それ、吉原の一会屋の仇討ちだよ」「ああ。後でしてやらぁ」「今、いま聞きてぇんだよ。皆も聞きてぇだろう?」湯煙を通してその場に居合わせた、湯屋客の視線がやっつあんに集中する。「なげぇんだぜ。のぼせてぶっ倒れても俺のせぇじゃねぇからな」やっつあんは皆の視線を浴び緊張した面持ちで、三日前の晩を思い出しながら語り始めた。「俺はその晩。吉原の一会屋にしけこんでた。なじみの女がなかなかこねぇのにふてくされて、床に入ったまま鎌首もたげて、やりてばばぁに文句の一つでも飛ばそうと襖に手を伸ばしたちょうどその時によ。隣からぐぇーってにわ鳥を絞めた様な声がして、襖を破って男が飛び込んできたもんだから、さすがの俺も腰が抜けてその場に釘付けになっちまった。飛び込んで来た男の必死なつらも怖かったが、右手にやっとう掴んで男に追いすがる女の顔に比べりゃぁ屁でもねぇてもんよ。あれがほんとの般若づらてぇことだろうよ」一人で納得した様にうなづくやそ吉。「で?」と、最初の聞き手とは別の湯屋客の一人に、続きを促される。
血煙が舞う渦の中に男がいた。渦の中でだけ男の顔は生気に溢れていた。冥府の渡し人として永遠に生き続け、この世をさまようことが男に課せられた運命だった。男の背後には地獄の門が渦を巻きながら、大きく口を開けている。男は地獄を背負って、刃を縦横無尽に旋回させる。男は非人の家の長男としてこの世に生を受けた。男は人間以下の扱いを受ける親の姿を目にする度に、自分の出自を呪った。いずれ武士になり、自分達をあざ笑っている土百姓供に仕返ししてやると誓い続けた。領主の鷹狩の季節がやってきた。天領火野の代官津山大吾は頭が切れ、権力欲が強く残忍な代官だった。
ドール
コンプレックス
母親に捨てられた過去を持つ高校生の兄妹。実は血のつながりがないことを二人とも知らない。兄妹の通う高校の教師の男女二人と兄妹の四角関係を描く

終業式が終わるとにわかに校内は、あわただしく、騒がしくなる。廊下を大勢の生徒が移動し、それぞれの教室では、通知表が配られ始める。一学期の終わりと夏休みの始まりを告げる正午のチャイムが鳴り始めた。窓へ目をやると足どりも軽く、校門の外へ飛び出して行く生徒が見える。教室に残っていたのは僕とあやめ先生の二人だけだった。チャイムが鳴り終わり訪れた静寂を破ったのは、先生の声だった。「あそこで何してたの?」先生は普段かけている細ぶちの眼鏡を左手で外し、折りたたむと教壇の上にそっと置いた。「何も」僕のおびえ気味の返事を聞かなかったかの様に、切れ長の目で僕を睨むといつものよく通る低い声で僕を詰問した。「桧山さんと何してたの?」僕はただ普段とは違う先生の雰囲気に戸惑っていた。いつもの冷たい眼鏡の向こうに見えたのは、冷たい表情でしかなかったか?だが今は頬が桃色に染まり、すーっと通った鼻の頭の白い部分が際立っている。瞳は潤みがちで、唇は血に染まった様に濡れて光っている。僕は自分勝手に先日の記憶を再生し、先生の今の瞳は、あの時の瞳と同じだと思った。先生は黙秘を続ける僕の机まで歩いてくると、ふいに僕の鼻を右手の人差し指で弾いた。(続く)
あぶない
刑事「誘拐」
県内で幼女失踪事件が多発していた。県警の必死の捜査にも関わらず、手がかりは全く掴めなかった。いずれも夕方、人目の多いマンション、団地内で発生している。最初の行方不明から1週間後、行方不明の幼女は5人となり、県警は同一犯による連続幼女誘拐事件と断定、公開捜査に踏み切った。犯人からの接触は一切なく、営利目的ではない変質者の犯行と推測された。変質者、前科者の洗い出しや目撃者探しが、各失踪現場を中心に昼夜を撤して行われた。依然として犯人の影さえ掴めない県警へ批判は強くなっていった。「同じ年頃の女の子を持つご家庭では、外で子供を遊ばせない様になっています。この団地では住民の方々で自警団を作り、夕方の団地内をパトロールされているそうです。最初に失踪した幼女の住む団地をテレビは映している。唐突に署長はテレビのスイッチを切った。「この最初の失踪は港署管内だよね。このままお宮入りにでもなってみなさい。私の立場はどうなるんだね。近藤君?」署長室から出た近藤課長は、はーっとため息をつく。「というわけで捜査課は、県警直属の捜査班の指揮下に入ることになった。ついては県警から…」「それでいいんですか、課長?」「どうしようもないだろう。署長のキツイお達しなんだ。このままでは港署全体の責任問題に発展しかねん、といわれてはしょうがないじゃないか。それより大下。聞き込みはどうした?聞き込みは?」「港署全体じゃなくて署長個人のじゃないですか?それにアホでのろまな県警のパシリじゃ、お宮入り確実っすよ。課長」「そんなこたぁいわれんでもわかっとる。聞き込みはどうしたんだ?」「あのね。大下さんはね。サボっていたんでごじゃりまするー」と薫。「オバちゃん!!」と大下。「どういうことなんだ、大下。説明しろ!!」と課長。「オバちゃん、ってどういう意味よ?説明しろ!!」と薫。「先輩。そりゃああんまりっすよ。そのまんまじゃないっすか」「このこのこのー。もう一回言うてみぃ!」薫は大下の首を掴んで暴れ出した。「しっ。静かにしろ!」課長の一喝で一同静かになる。「どういうことなんだ。大下」「課長。この1週間聞きこみは吐いて捨てるほどやったのに、引っかかったのは目撃者となのる例のチンピラだけ」「例のチンピラって?」「賭けマージャンのかたに12の息子を自衛隊に売り飛ばしたっていう」「あーっ!こないだのジャン狂?」「そうそう」「ちょっと静かにしてもらいませんかねぇ。少年課の美人婦警さん」「課長。それってあたしのことかしらん」「あなたしかいないでしょう」「そうだよなぁ。結婚に行き倒れたオバさんって言ったら」と大下。「なにーっ!」再び薫。今度は大下にコブラツイスト攻撃。「ロープ!ロープ!」大下、絶叫する。「もうー知らんぞ。わしゃ、もうー知らん」一同、再び静かになる「ところで鷹山は?」一同知らないふり。「はーっ」課長は頭を抱え、ため息をつく。
警戒が強くなればなるほど、犯人の行動範囲は狭まる。管轄内で起こった一連の幼女失踪事件の発端から、2週間が経過した。犯人の警戒心も強まり、捜査上の進展もなく、事件は停滞しているかに見えた。
髑髏の使徒 私は目の前の男の支離滅裂な妄想を繰り返し聞かされることに苛立ちを覚えていた。男が罪を逃れる為に精神病を装っている様にも見えなかった。こいつは精神鑑定が必要だと供述調書の裁定欄に書き、今日の尋問は切り上げるべきなのは明らかだが、嘲笑を浮べながら嬉々として語る男の目が私に恐怖を感じさせ、もう少し男の妄想に付き合うべきだと言っている。アメリカ合衆国カリフォルニア州オレンジ郡検事局の接見室で、私が尋問している被疑者の名前は小杉昭彦。国籍は日本。カルフォルニア州工科大学の交換留学生で年齢は24歳。渡米したのは2年前。容疑は国防総省極東支部アラスカ基地迎撃ミサイルサイトのシステムへ不正侵入した容疑で5日前に逮捕し、郡管轄の拘置所に収監した。合衆国危機管理局から特別捜査官が派遣され、私の尋問に立ち会っている。いずれ身柄は彼らに引き渡すのだが、事件の発端は州管轄にあり、連邦法より告訴し易い州のコンピュータに関する刑法違反の容疑で彼らが告訴している為、群裁判所の判決までは私が捜査責任者である。小杉は英語を話せるのだが、通訳を要求し英語での尋問を拒否したので、日系3世の日本語を話せる検事である私が担当することになった。小杉は逮捕時に抵抗し、舌を噛むなど自殺を図ろうとした為、床に溶接された椅子へ革ベルトで拘束し、屈強な刑務官が常に脇を固めている。尋問開始から既に1時間は経っている。もうそろそろこの苦痛から解放されてもいいだろうと判断し、非現実的な供述内容を小杉に確認し、背後の無表情な特別捜査官の発言がなければ、今日の尋問を終わらせることにした。「私は2年前に神の啓示を受け、神の使徒となる為渡米した。転生の儀式に必要な4つの命を集める為、後述のミサイル管制システムへ侵入した。私が拘束され4つの命が私のもとへ集まる時、神の門が開き、私は使徒となる」私が日本語で読み終え、小杉に確認を促すと彼はその通りだといった。4日後、判事の前に拘束具つきの車椅子に乗せられて小杉が現れた。猿轡をはめた小杉の異様さが傍聴席をどよめかせた。日本人がアメリカの安全を脅かしたと日本のマスコミはセンセーショナルに報道し、彼らは群裁判所を取り囲んでいた。判事が木槌を打ち鳴らし、初回公判が開廷した。私が事実を書き連ねた起訴状を読みだしてしばらくすると、小杉がうつむいたまま「くっくっくっ」と笑い始めた。猿轡をしていても周囲には笑い声だとわかった。刑務官が拘束ベルトの端を引っ張って「黙れ」と叱責してもやめず、ますます大声で笑う。傍聴席がどよめき、判事が「静粛に」と木槌を打ち鳴らした。弁護人がいさめても止めず、天井を見上げ狂った様に笑う。判事が被疑者の退廷を命じようとした時、法廷内の照明が無色から赤色に変わる。私は判事に休廷を進言しようと発言を試みるが声が出ない。手も足も私のものではないかのように私の言うことを聞かなくなっていた。日本語で言う金縛りだ。目だけはわずかながら自由が利くようだ。同じ状態に陥っているのは私だけではないらしい。さっきまでの喧騒が嘘のように法廷内が静寂に包まれていることがそれを証明している。瞳を動かし判事のほうを向いていた視線を小杉のほうに向ける。視界の角に捕らえた小杉は天井を見上げたままブロンズ像の様に静止している。「ごぉーん。ごぉーん。ごぉーん」教会の鐘のような音が鳴り出すのを合図だった。「しゅつ。しゅつ。ぶすっ。ぶすっ」音を鳴らし、天井の死角から放たれたと思われる鎖が小杉へ次々容赦なく突き刺さる。鎖の先端はやじりのようになっている。金縛りの小杉は苦痛に身もだえすることもなく、うめき声も出せない。小杉の目から涙が溢れ、鎖が刺さったところから血が噴き出す。鎖の発射音と小杉の体に突き刺さる音が止まる。私の視線は金縛りではなく恐怖に支配され、小杉に釘付けになっている。40本〜50本の鎖が刺さっていた。もはや小杉は絶命しているに違いない。鎖は小杉の拘束ベルトの端を握っている刑務官を避けて小杉の体のみへ突き刺さっている。それまでたるんでいた鎖がぴーんと弾かれた様に張り出す。刑務官と、車椅子を跳ね飛ばし小杉の体が空中に釣り上げられる。肉片と臓物が弾け血飛沫が飛ぶ。とても正視できない惨状だ。小杉は手足を大の字に広げ空中へ浮かんでいた。それは人間から人間ならざるものへの変態の始まりだった。釣り上げられたむくろがうごめき始めた。皮膚を切り裂き、拘束具と肉を貫いていた鎖は新しい骨へ変化した。天井の死角から鎖の戒めが解かれ、鎖は異形の一部となった。異形は鎖を使いふわりと降下した。眼球はあるが皮膚はなく、筋肉と骨が剥き出しで猿轡をはめた髑髏。手足の爪は長く鋭く尖っていた。鎖の先端が鎌に変化し、触手のようにうごめいている。拘束具の革ベルトも既に筋肉と一体化している。異形は両腕を天井へ広げ、産声を上げるように咆哮した。それまで私が彼を見つめていたのを知っていたかのように、まぶたがなく剥き出しの眼球で異形は私を見つめ返した。異形は鎖鎌で、私と異形の間をふさぐ静止した人間を薙ぎ払い、切り裂きながら私に向かってゆっくり歩いてくる。1メートルほど距離をおいて立ち止まり、異形は私を見据えて何か言った。私にはこう聞こえた。「ひとつ」「しゅーん。ぶしゅっ」放たれた鎖が私の首を切断し、転がり落ちた頭を切り裂いて異形は脳を取り出した。「ごぉーん。ごぉーん。ごぉーん」音は鳴り続けているので、儀式はまだ終わっていないようだ。(続く)
昨夜見た夢 【2002/1/27 0:59】
目覚めると枕元に親父のものと思われる本が置いてある。なぜ親父の本と決めつけたのか、、、本から親父独特のセブンスターの匂いがぷーんとしたからだ。俺も妹も母さんもタバコ嫌いで、親父のヤニ臭には普段から敏感になっていた。ヘビースモーカーで禁煙できない親父は母さんから疎まれて寒い日でもベランダでタバコを吸うように強いられている。そんなことを思い出しながら本に視線を戻す。両手で掴んでみる。ハードカバーだがそれにしても分厚いし、異様に重い。触感も手脂でべっとりした感じで角もこすれ、磨耗し、汚れている。横から見て、重いのは不等間隔で栞の代わりに栞にそぐわないものがはさんであるせいだとわかる。こげ茶色革の背表紙、裏表紙にはタイトルも著者も書かれていない。一番目の栞がさしてあるページを開いてみる。見開きページには百科辞典のように横書きでびっしりと文字が並んでいる。「私は薄曇り寒空の下、荒れている日本海をぼーっと眺めながら、、、」という明朝体の一文が目に入る。日本人が書いた小説のようだ。右手に取った一番目の栞は栞にふさわしくないガラクタだった。手、足、胴を針金で作った藁人形のようなもので頭の代わりに真珠のような濁った玉がついている。その人形を右手に掴んだ瞬間、首部分の針金がねじられて、頭がぐるっと反転し俺をにらんだ。頭がまぶたのついた目玉のように中央から裂けて黒い目玉が現れたのだ。俺はギョッとして左手に掴んでいた本と、右手に掴んでいたその人形を放り投げた。どすんと重力に引っ張られるままに床へ本が着地したのに対し、人形はふわっと空気抵抗を利用して床へ軟着陸したように見えた。しばらくじーっとにらんでいたが何も起こらないので恐る恐る近づいてみる。人形の頭には目玉などなく今はただの真珠のように見える。寝ぼけて幻を見たのか、、、人形と本を持ち部屋の扉を開けリビングへ行く。親父が食卓について朝刊を読んでいる。母さんが食卓に背を向けて台所で朝食の準備をしている。「なんだよ。この本は?」「本?なんだ?」朝刊の社会欄へ向けていた視線を親父が俺へ向ける。「親父の本だろ。俺に読めと言うことか?」俺は親父の横顔へ本を突きつける。きょとんとした顔で親父が俺を見ていう。「そんな本、知らんぞ」「だけど親父のヤニ臭い匂いが染みついてんだけど?」「匂いがしたからといって俺のものだとは限らんじゃないか?」またいつもの屁理屈かよ。うんざり顔の俺に対し、朝刊へ視線を戻し、にゃっと俺を挑発するように薄笑いを横顔に浮べる親父を無視して、今度は人形のほうを突き出す。「こんなガラクタでガキのようなことすんのも情けないからいいかげん卒業しろよ」(続く)
【2002/2/1 2:43】
畳が敷かれた12畳ほどの広間に人が集まり歓声がする。中年のおばさんが円の外側で座り、三味線を弾いている。その隣に座り、同じ年恰好のおばさんが民謡を唄う。拍子に合わせ10人くらいの男女が踊りの輪を作り、更にその輪の中心で1人が踊る。輪の外にも酒や干物を片手に見物する人達が座っている。輪の中心の1人を指さして笑っている。みんな着物を着ている。洋服を着ているのは、輪の外側を歩きながら宴の模様を撮影している8ミリカメラを持った男だけだ。俺はというと輪の1人となっていて、両隣の人と同じように一定のリズムで踊っている。記憶にはないのだが体が覚えているその踊り。俺は自分が誰でなぜここにいるのか全くわからない。俺は周りの人に気づかれないように愛想笑いを続ける。喧騒の中で漏れ聞いた、外側に座っている人達の話からこの宴に集まっているのは旅芸人の一座らしい。俺も役者の1人で女形らしい。俺を指さしながら輪の外側に座り、俺を見て、聞き覚えのない名前を呼ぶ女の子もいる。何なんだこれはと思う一方、遠い記憶の中にいるようで、どこかで懐かしさを感じ楽しんでいる。「弦之丞。お前の番だぞ」ぽんと背中を押され輪の中心へ押し出される。「弦は椿の舞をやれや」「弦ちゃん。やってー」「そうだ。そろそろ座長が酔いつぶれないうちに締めてもらおうぜ」「ぬぁにいってんだぁ。おりゃまだいけるぞぉ」茨城訛り丸だしで座長と呼ばれた人が杯を突き出しながら輪の中心に出てくる。(続く)
【2002/4/11 1:17】
異世界との出入り口がある時計を逆回転させると開く。毎夜、毎夜。異世界の住人が私のもとを訪れる。私は異世界へ旅立つ。現実世界で悩み、悲しみ、疲れ果て、どこかへ逃避したいと思っていたからだ。私は自己抑圧して生きていた。私は長く長い、高く高い、白い階段の頂上に立っている。私は下へ降りなければならないのだが、手すりもなく、黒い雲海の上に浮いているこの階段を降りるのが怖い。だが後ろから誰かにせかされている。「早く降りろ。早く早く」私は勇気を奮い起こして、あぶなかしい第一歩を踏み出そうとしていた。刹那。背後の誰かが私の背中を突き飛ばした。反射行為で私の両手はそばにあると感じた命綱を掴もうとする。だが実際、必要な時にそんなものがあったためしがない。虚しく空を掴んだ両手。叫ぶことさえ忘れさせてしまう。本当の恐怖に包まれ。(続く)
虚星 グリニッジ標準時間9:00:00。フルタイムで月を観測している電波望遠鏡のログに記録された時間。
月〜地球の軌道上のほぼ中間に物体が突然現れた。南半球では目視でも月を覆う赤い雲が観測できた。
そして赤い雲の中央にうすぼんやりと光る月が目視できた。月より遥かに大きな物体は月と地球の引力に干渉はしていない。
空白の日 あの日は、それまでの俺の人生の中で最大の分岐点だった。だから、あの日のことがこんなにも強く、印象づけられているのかもしれない。他人にとってはありふれた夏の日の夕方。空白の一年。自分だけがゆっくりした時間の流れの中にたたずんでいる。すれ違う 人が今日も 家路を急ぐ 黄昏の時 何かを 忘れようと 沈みかけた 夕日を浴びて このまま フォーエーバー 静かなヒストリー このまま フォーエーバー 刻んで
リンク
リファイヤ
高校生の男Aと女Bがいる。AとBは幼馴染でけんかするほど仲がいい。今日は遊園地へ最後のデートに来ている。Bの気性の粗さによる喧嘩の末に別れることになったが、慰謝料代わりに遊園地へ連れていけとBがAを脅したのだ。一通り人気があるのりものに乗って一休みして、寂れた感じの鏡の館、遊園地によってはミラーハウスと呼ぶ建物をみつけ入ってからこの物語は始まる。Bが輝き出した鏡に吸い込まれると、代わってBとそっくりな女Cが現れたのだ。Cはこの現実世界のもう一つの姿である鏡の世界「リファイヤ」からやってきた「リンクリンカー」現実世界では魔術を会得した魔女のような存在だった。「リファイヤ」ではこの現実世界が「リンク」と呼ばれているとCは話した。(以降、現実世界をリンクと呼ぶ)Cの容姿はBとそっくりだが、Cの性格はBと真逆でおとなしく素直だった。Bはリファイアの王Dに連れ去られたとCは話した。Cの素直な性格に惹かれ、BになりすましてAとリンクで生きようとAはBを説得する。CがDに手を貸した結果、リファイヤへ連れ去られたBを連れ戻す為に手を貸してとCに頼まれAは、いやいやながらリファイヤへの旅に同行するのだった。この物語では見るもの聞くものが必ずしも真実とは限らない。なぜなら、Cの言葉の中に多くの嘘が隠されているからである。
命の短さゆえに 少年の周囲の人間が次々と殺されていく。その殺し方は人間のものとは思えないほど残虐なものだった。被害者に共通するのは少年をいじめていたこと。少年は警察に疑われるようになる。少年は犯人に心当たりがあった。2週間前、少年の虐待から逃げる為、道路に飛び出し車に弾かれて死んだ飼い犬が自分に復讐する為、蘇ったのだ。念の為、飼い犬の墓を暴くとそこには死体がなかった。いじめられ鬱積したストレスを発散する為、少年は飼い犬を虐待した。両親に打ち明けようにも自分が飼い犬を虐待したことは言えない。少年のつじつまの合わない話を両親も信じることはなかった。次第に孤立する少年。自責の念から、飼い犬の視点で自分をいじめていた者達を殺していく悪夢をみるようになった少年。それは悪夢ではなく現実だった。復讐し始めたのは飼い犬ではなく少年のもう一つの人格だったのだ。警察と同様に少年を疑い始めた両親を殺す為に殺人鬼が覚醒する。殺人を阻んだのは飼い犬の霊だった。飼い犬の姿をみた少年は懺悔する。そして飼い犬を虐待していた鎖で少年は首を吊った。
エクソダス 神水:神種を起動させる為の鍵。現代では不老不死の薬と伝えられていた。
神種:何者が作ったものか定かではない。地球のどこかに隠されている神水を吸収すると発芽し「聖木」と呼ばれる地球再生システムへ変身する。
博士は4つ目の試験体を前にし、ここに到達するまでに費やした時間を巻き戻し回想した。全ての試験体はある目的の為に準備されたものだった。ある目的とは、人類がかつて持っていたといわれる神の力、サージを持つ旧人類を人の手で復活させること。覚醒の鍵、新薬J3X4で脳下垂体神経領域の細胞分裂を促す。その結果、失われたサージを取り戻す筈だった。
金、金、金。守銭奴、金の亡者の作った資本主義社会。老害の為の金権政治。権力者は決して弾劾されない法治国家。乾いた砂のように無神経、無関心、モラルのない人間たち。膨れ上がる犯罪者は首都の治安を乱し、首都の混沌を拡大させた。彼らを東京から隔離する為、日本政府は東京湾を埋め立て、史上最大の犯罪者矯正都市「バビロン」を建設した。バビロンは半径10`bの円形人工島。収監された犯罪者は矯正治療を受け、社会適合者だけ開放される。一方、矯正不可能者は死ぬまで収監される。
スサノオウ 周囲を取り囲む木々がそこでおきていることを通りすぎる人や車から隠している。またすぐそばを走る国道の騒音もその行為に賛同しているかのようにけたたましいものだった。数人の少年が地面にうずくまった一人の少年を取り囲んでいた。その少年は猫の様に背を丸め、何かを抱え込んでいた。取り囲んでいる少年達は次々に乾ききって狂った笑いと声を発しながら、その少年へ暴力を加え続けた。「こいつ反応しないから。尚更ムカつくんだよ」少年は眉間にシワを寄せ押し寄せる苦痛と闘っていたが、決して悲鳴を発することはなかった。しかし彼の体は、彼の精神に一瞬従うことをやめた。その一瞬を突かれて、彼が守っていたものが取り囲んでいた少年達の手に移った。「やったぁ」「かぁっ。返せ」子猫は宙を舞い走り回る少年…悪童達の手から手へ移っていった。彼らの中の一人が子猫の後ろ足を掴んで何度も何度もコンクリートの階段へ叩きつけた。「グシュ」猫の首はあらぬ方向へ向いた。辺りには血が飛び散った。「げっ。きもちわるー」子猫の目と舌は飛び出していて、血と分泌液がその体毛をどす黒く染めて、地面へ滴り落ちた。逆さ吊りに掴んでいた少年は、屍を放りだした。少年の目から涙が溢れ出した。涙が頬をつたって地面へ到達したその時、大地を揺るがすような咆哮が響き渡った。「目覚めたな」「ああ。だがしばらく待たされるな」一部始終を木の上から監視していた影はすうっと消えていった。そして血飛沫が木々の葉を濡らし、子猫の体を染めたように血が木々の幹と枝を染めていく。悪童達の乾ききって狂った笑い声は一変し、湿った悲鳴と哀願へ変わった。跡には肉片や人体の残骸が散らばっていた。その中心に彼はうずくまり、子猫の屍を抱きながら声もなく泣いていた。スサノオウは何度も悲劇を経験した結果、宿主の精神の奥へこもり、自分を呼ぶの声を聞く耳を塞ぐことにした。
赤い靴 最近はめったに見ない光沢があるエナメル靴。安っぽい靴。だがショウウィンドウを飾るにはもっとも相応しい靴。夜の街に一際気高く映る靴。真っ赤な靴。少女は永遠に少年の思い出を飾る、真っ赤な靴であり続けるだろう。
少女Aは孤児院にいた。少年Bはそこへやって来た。AとBはやがて互いに惹かれ合う様になった。ところがAはアメリカ人夫婦に引き取られることになった。Bはアルバイトをして金を貯め、赤い靴を買った。Aがいなくなってしまう夏の日の夕方、孤児たちだけが参列するAとBの結婚式で永遠の愛の証として、赤い靴を渡す。二人は10年後、この公園で会う約束をした。走り去るAを乗せた車。追い駆けるB。曲がり角から飛び出したトラックにAはねられた。10年後、約束の場所でAはBに会えなかった。Aの近況を知る為、孤児院院長にBは会った。「Bに会わないほうがいい。10年前の事故によりBはそれまでの記憶を失った。事故からまもなく、記憶喪失のままAは養い親に引き取られ、自分が孤児であることは知らずに生きている」孤児院院長はAに話した。昨年亡くなった夫の影を追う様にして、死期を待ち望んで横たわっている養母を、Aは傍らで心配そうに見守っている。養い親は、今の今まで、Aのわがままの全てを許していた。日本へ帰りたいという押さえきれないAの切望を抑える代償として。Aを我が家に繋ぎとめる切り札として。Aは養い親を憎み、愛した。「ごめんね。もういいのよ。もう…」母は言った。
AはBを呼び出した。Bは仕事の合間に抜け出した。Bはいらいらしていた。同じ会社で知り合ったAはかわいい女だった。Aは骨董市へ行くのが趣味だった。AはよくBへ収集した品々を見せ、その一つ一つの由来を長々と自慢気に話した。BはAの話しにあいづちを打つだけで内心はうんざりしていた。BがAに惹かれたのは、他の女にはない安らぎの様なものをAに感じるからだった。忙しい仕事(続く)
鏡の国の戦争 ダークブルーのメルセデス。緩やかに前を走る。ドアガラスの外を流れる空を灰色の雲が覆い、雪の気配を感じさせる。ドアガラス越しに感じられる冷たい風が、振り返りたくない過去に姿を変えて私を包む。一面灰色の世界。雪が作った無音の世界。私しかいない世界。深い深い雪の上をあてもなく歩く。遥か地平線の彼方まで続く雪原。立ち止まって一点を見つめる。出口が見えた。その向こうには緑が溢れ、太陽が燦燦と輝いている。ひたひたと忍び寄る孤独感に耐えきれず、無我夢中で出口に向かって私は走り出した。「はっ」つかの間の白昼夢から覚めるとメルセデスとの車間は1b程になっていた。慌てて前方へ神経を集中させる。この頃どうかしている。物心ついた頃から身につけている静けさはどこへ脱ぎ捨てたのか。メルセデスは北4番交差点を左折れした。「キュッキュー」アスファルトに削られるタイヤの悲鳴が、制限速度を守りつつもメルセデスが急いでいることを伺わせる。街の喧騒から次第に2台の車は遠ざかっていく。車がまばらになってきたので尾行を悟られるかもしれない。追い越して脇道へ入り、メルセデスをやり過ごして尾行を再開する。既視感を感じた。
BAD TEST ゴルフ場はダム湖の近隣にある。「フェアウェイは広く、芝生の質も国内では最高クラスのもの」ゴルフ専門誌に称賛されている。環境もよく休日の森林浴も兼ねてのコース巡りは最高の気分だろう。交通の便も都内から車で約1時間と大変良い。施設はホテルを兼ねていて天然温泉を保有している。最高のリフレッシュ気分を味わう為にはそれに見合った代償を支払わなければならない。会員権は数億円で1日券も数十万円である。更に入会には資格審査があるという。この「アメニティゴルフクラブ」のオーナーは、私鉄企業グループ不動産部門子会社「日本計画」である。
今日は市北部にある「アメニティゴルフクラブ」に定期出張する。私にとっては新しい二人の部下、牧田と矢部も同行する。調査第一項目は芝生へ散布される薬剤のサンプル採取。これは芝生から直接採取する為、天候、温度条件がある。第二項目は地下水汲み上げ設備の立ち入り調査。アメニティでは施設のポンプ設備を所有しており、産業用水が適用されるので、定期的に法定調査を受けなければならない。第三項目はその汲み上げ地下水のサンプル採取。最終項目はコース周辺の植物サンプル採取。植物は属目数だけ決められている。属目毎に採取した場所と日付がわかる写真を撮らなければならない。写真撮影は特に指定がなくてもサンプル採取では欠かせない。そしてアメニティでの調査完了後、ダムへ貯水サンプルを受け取りに行かなくてはならない。アメニティでは滞りなく全ての調査が消化された。アメニティの支配人が終始我々に付きまとい、端々で口を挟んだ。私は主任に昇格して始めてここに来たので良くは知らなかったが、だいたいのことは沢井課長から聞いていた。私達三人と支配人はロビーの深深としたソファに座り向かい合った。「沢井さんはお変わりありませんか。あなたが今度、主任さんになられた方ですか。私が支配人の沖です。今後とも宜しく」私は沖から名刺を受け取った。「武州県春日私立保健所 地域環境管理部 調査課主任 新倉了一」の後に事務所の住所、電話番号、内線とFAX番号が記載された刷り上ったばかりの名刺を私は沖へ差し出した。「宜しく」牧田、矢部の二人は何度もここに来ているせいか、馴れた感じで沖へ会釈を返しただけだった。「皆さんお疲れでしょう。昼食をご用意しております。どうぞ召し上がり下さい。ご案内致します」私達三人は沖の歓待を受けた。「断らなくていいの?」と私は小声で訊いた「我々はわざわざ出張してきてるんだし、強要されたわけでもなく、あちらさんから申し出てくれたんだから断ったら失礼でしょう」と矢部は半ば怒ったように答えた。「我々はここらへんで失礼したいのですが」「お急ぎのご用でも?」「えぇ。毛呂山ダムへ寄らなければならないものですから」「ああ。その件なら承っております。貯水サンプルを受け取りに行かれるのでしたね。私供のほうで代わりの者を行かせましたのでご安心下さい」牧田と矢部はそ知らぬ顔をして酒を酌み交わしていた。
「あなたで5回目だ。何回説明させたら気が済むんですか。さっき私を尋問した人に、訊いたらいいじゃないですか」「取り違えないで下さい。新倉さん。あなたは重要参考人。これは容疑者の取り調べではなく任意の事情聴取なんですから」「大塚さん。ちょっと」一番最初に尋問した所轄の刑事が県警から派遣された警部を呼んだ。私はにわか尋問室に仕立てられた小部屋に一人取り残された。中央に据えられた黒く丸いテーブルの上に腕枕をし、頭を横たえた。私は丸1日眠っていなかった。外が騒々しい。腕時計を見た。土曜日の午後11時8分。街路に面する窓の閉じられたカーテンの隙間から光が漏れている。罵声が聞こえる。外を覗き見る。「ライトを消せ!」門前に集結した報道陣の中で他に抜け駆けして、こちらへ向けてサーチライトをあてたあるニュース番組の生中継チーム。非番だというのに誰もやりたがらない現場警備に借り出された所轄交通課の面々。両者は下劣な報道姿勢と、超過勤務の発するやり場のない怒りをぶつけ合っている。所詮彼らにとって私の身にふりかかったことは、他人事に過ぎない。私はカーテンを閉じた。
「疲れた。早く戻らないと」山崎は呟いた。もう日が暮れようとしている。腕時計は四時半を過ぎている。車で遠回りするより、コースを徒歩で横切ったほうが早い、と考えたのは正しかった。しかしサンプルを受け取るのに、時間がこんなにかかるとは。1時間あれば充分だとたかをくくっていた。昼食をゆっくり食って、昨日の勤務報告を書き、昼寝をして3時に出発した。片道20分の山道をこなして行き着いてみると、担当者が外出していて渡すサンプルがわからないという。担当者を待ってサンプルを受け取り、ダム管理所の正門をくぐったのが4時を15分も過ぎていた。支配人からどんな嫌味を吐かれるか知れたものではなかった。林道の入り口は国道27号に面している。国道を横切って西へ20bほど進むとアメニティの北ゲートがある。ゲートといってもただの南京鍵つきフェンス扉に過ぎない。陽が落ちた後のコースは闇と異常な静けさに包まれていた。多種多様な鳥や虫の奏でる不協和音は今日に限って全く聞こえなかった。夜のコースを歩いたことは何度もあったが、こんなことは一度もなかった。さっきまで緩やかに流れていた風も動きを止めている。聞こえた音といえば芝生を踏む自分足音だけ。突然、何かが頭の中を通り抜けた。直接、官能中枢神経を逆撫でされたような、ゾクッとする冷たい感覚。山崎は振り返った。
美咲村はダム建設計画の対象地に選ばれた。美咲村は一つの主家を中心とする一族の村だった。主家の当主が代々村長を務めていた。美咲村と何十代も前から対立している播磨村ではこの時、村長の息子が県会議員に初当選し、祝いの宴が数日間に渡って続けられていた。「今までのことは水に流し、美咲村をダム建設対象地から外す為、助力してほしい」播磨村村長の前で美咲村村長は土下座した。「手を貸すつもりはない」播磨村村長のむげない返事にうなだれて退くしかなかった。「了一!」帰り道、美咲村村長を呼びとめたのは同い年で高校までずっと一緒だった播磨村村長の息子だった。お互いに幼い頃からそれぞれの村の面子を背負い、憎みあった仲だった。しかし今は無二の親友になっていた。中学時代、何度も喧嘩を重ねるうちにいつしかお互いを尊敬し合い、切磋琢磨し合うようになった。二人共、主家の長男で否応なく村の威信に抑圧されていた境遇が、仲間意識を生んだのかもしれない。美咲了一は大学病院の勤務医を数年勤め、父親の突然の死で診療所と村長職を引き継いでいた。播磨一哉は父親と知己の県会議員の秘書を数年勤め、その議員の後継者として初当選した。「何もかも聞いたよ。俺でよかったら力を貸そう」了一は声も出さず泣きながら、一哉の右手を両手で握り、頭を深深と下げた。