EP−ROMの昔話・その14

DESIRE 〜背徳の螺旋〜

2002年12月16日

 タイトルが発売になる(1994年7月)以前にシーズウェアからは2本のゲームが発売になっていたのですが、プレイした人の感想によると、「Hシーンてんこ盛りのサービス重視のゲームで、とてもシナリオでどうこう評価できるゲームじゃない」とのこと。ですからこのゲームも、「そういうゲームなのだろう」と思って購入された方が多かったらしいです。が。

 このゲームが発売されてからNIFTYの会議室では「感動した、感激した」という発言で一杯になったのでした。中には「永遠の名作」などという方もいて、かなりの盛り上がりを見せていたのでした。

 ところで私は、と言うと、興味は持ちましたが、警戒感の方が先に立ったのでした。感想を読んでいる限りにおいては、どうも私には合わないんじゃないか、と思えたからです。そういうわけでしばらくプレイすることはなかったのですが、勧めてくれる人もいたりしたので思い切ってプレイしてみることにしたのでした。

 このゲームで特徴的なのは「マルチサイト」と呼ばれる形式を取っていることでしょう。具体的には、アルバート編とマコト編の2つのシナリオがあり、それぞれの立場でプレイすることによって逆の立場の時はわからなかった相手の行動の意味がわかって来る、というものです。

 この形式自体はDESIREが第1号というわけではなく、スタジオみるくの「マリオネット・マインド」(1993年8月発売)というゲームの中でも出てきます。(このゲームについても書かないといけないかな?)ただ、こういう形式を広めたのはDESIREでしょうが。

 で、この2つのシナリオを終えると「???」というもう1つのシナリオが追加され、多くの方はこのシナリオに涙されたようです。

 ところで私の感想は、と言うと・・・ 「正直、このゲームのどこがいいのかわからない」。どうも感動された方達とは感性が異なっていたようです。まあ、予想した通りではあったのですが。

 このゲームになじめなかった理由の1つとして、ゲーム中で「反応装置」というものが出てきます。これが一体何なのか、これで何がしたかったのか、ということはゲーム中ではほとんど説明されません。そこでこれが何なのか、多くの方が意見を出していますが、ゲーム中の情報が少なすぎて決定版と言えるものはないようですね。「ONE」では「えいえんの世界」という理解不能の世界が出てきますが、プレイヤーに判断する情報すら与えない、という手法は案外このゲームが元祖なのかもしれませんね。

 このゲームはセガサターンやWindowsにも移植されていますが、なぜかその際にはサブタイトルの「背徳の螺旋」が抜けてしまっています。これは重要な意味があるのですがねぇ。

 どういうことか説明しますと、このゲームって一見すると救いがない話のように見えます。しかし実はそうではなく、「輪」ではなくて「螺旋」であることがポイントで、登場人物達は同じ事を繰り返しているのではなく、螺旋が1回転するごとに立場は少しずつ変化しており、その変化が大きくなればいつかは螺旋がほどける時が来る、そういう意味合いがあるのです。これは私の勝手な解釈ではなく、雑誌のインタビュー記事に載っていたものです。

 しかしシーズウェアは「DESIRE完全版」とか言う螺旋がほどける部分を追加したものを出してしまったみたいですねぇ。プレイした方によると「蛇足としか言いようがない」とのことですが。

 このゲームを「名作」と言っている方はかなりいるので名作なのかもしれません。が、私にとっては「どこがいいのかわからない」状態です。ただ、このことから1つの教訓を得ました。それは、「強烈にプッシュする人のいるゲームは気をつけろ」。

 こういう熱烈な支持者のいるゲームというのは人を選ぶ場合が多いものです。ですからそれが自分に合えばいいですが、合わない危険性もかなりあるわけで。実際、強烈にプッシュする人がいるので回避したゲームというのも私のゲーム歴の中では存在しています。

 そういったわけで、世間一般の評価と自分の感性のズレというものを大きく意識させてくれたという特殊な思い出を持ったゲームなのでありました。

written by EP−ROM