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某掲示板にて、某阿呆が某頭破作七分の一闡提に洗脳され、狂言をはいているので一応破折を加えることとする。
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某阿呆曰く、
「昨日、私が、身延の訳と申しました、「本門の釈尊の脇士となり」は、立正大学刊行の『昭和定本日蓮聖人遺文』に書かれている訳なのです。 『御書全集』は、昭和29年発刊で、『昭和定本』は改訂を重ね、現在平成12年改訂分が一番新しいものだと思います。
私は、『昭和定本』を確認して投稿いたしました。宿坊さんの仰せのように、『御書全集』の誤記と云うのは確かなようです。宿坊さんが挙げていただいた解題に「写本 日興本(京要法寺)」とありますが、この興師の写本には、「本門の釈尊の脇士となり」と振り仮名が記されていると云うことです。但し、要法寺が日興写本を公開していないようなので、確認の取り様がありません。一説では、日興写本は偽筆と云うことも言われています。しかし、【「御書全集の誤記」=阿呆の極め】と云うのは間違いないようですね。
大石寺の『平成新編日蓮大聖人御書』(平成6年刊)も、『御書全集』の誤記を踏襲しています。
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『観心本尊抄』の原文は、いうまでもなく漢文で書かれており、当該箇処については、
『此時地涌千界出現 本門釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国』と示されているのである。これを某阿呆は『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為り、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし』と読み下しているのだが、これは漢文の読み方の慣例を無視した誤りである。
何故ならば、同じ『本尊抄』の前文には、
『小乗釈尊迦葉阿難為脇士』
『迹門等釈尊以文殊普賢等為脇士』
との文があり、この二文の読み方は、
『小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し』
『迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す』
と読むのだから、『本門釈尊為脇士』の文も、当然、『本門の釈尊の脇士と為り』ではなく、『本門の釈尊を脇士と為す』と読まなくてはならない。
これは、純然たる漢文の読み方の問題である。
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