home > barefoot gen > headlines > 02/03/12 BAREFOOT GEN


「はだしのゲン」を図書館から取り戻せ!!-著者・中沢啓治インタビュー

「はだしのゲン」は「親がわが子に、これだけは読ませたいと言い切れるマンガ」などといった
言葉で語られ、また読み継がれてきた。戦争の 悲惨さを"戦争を知らない子供たち"に伝える恰好の素材。
文部省やPTAのお墨付き的イメージ。

普通はマンガなど読まない、 自称・良識派が勝手に貼った"平和マンガ"というレッテル。
結局、「ゲン」 は"時代遅れの説教臭いマンガ"として、学校の図書室や公共の図書館や公共
の図書館に封印されてしまった。

全然違うんだよ!

「はだしのゲン」は悪たれ小僧のバイブル、"裏・仁義なき戦い"である。
主人公ゲンや隆太は"わんぱく"というよりはストリート・ギャングに近い。
竹割ったような愛と正義と友情で、苛酷な現実とシノギを削る。
その生き様が、 全身の筋肉を振り絞って描いたような極太タッチで描かれる。
情念ムキ出しのテンションが全編で怒張している。広島のショック残酷地獄絵図は伝説と化している。
一度見たら一生消せないトラウマになる。それが作者の目的だからだ。ハルマゲドンをサバイバルする
ガキのドラマという意味で「ゲン」は「アキラ」の兄貴分。
"パニックもの"という意味では「ID4」の100倍リアリティがある(当たり前)。
キレイごと一切なしの超過激大河ドラマ、「はだしのゲン」!
もう他のマンガいらん。 ということで中沢啓治氏にインタビュー!

(僕に「はだしのゲン」再発見の機会を与えてくれ、
またインタビューに同行してくれた"ハンマーブロス"BUDO"氏に感謝いたします。)



▲あのー、僕が感じることを正直に言うと、「ゲン」に夢中な理由に一つに、中沢先生独特なタッチで描かれた広島の惨状っていうのがあるんですよ。理屈で「戦争はいけない」って言うんじゃなくて、「わっ何じゃこりゃぁ!」って言うような感覚。脳を通過しないで、直接生理に訴えてくれる気持悪さがあって……それが実は快感なんですけど。


「うん。あのねぇ、「少年ジャンプ」で連載を始めたときにはほんっとにリアルに迫ろうと思ってたんですよ。"やるぞ"ってね。だから編集者がねぇ、気持ち悪がるのよ。"わっー、ウジが湧いてる"ってね。フキダシのネーム貼るんでも横向いて貼ってんのよ(笑)。
それほど、これがリアルなのかなぁと。僕はかなりセーブして描いたつもりなんだけど。僕が見たものを、そのままバーッとやったらねぇ、こりゃあもうヘドが出て来ますよ。
それを描こうと思ったんですけどねぇ。それをやったら読んでくれないから。読者を無視して描いてもなんの意味もないじゃないかと。だから本当は不本意なんですよ、あれ。かなり押さえて描いてありますから。」

▲今なら徹底的に残酷描写を前面にだしても、大丈夫な気がするんですけど?

「あの当時はそうじゃなかったですからねぇ。今描くとしたら、もうちょっとその辺にリアリティ持たせるように描いたみたいと思ってます。」

▲じゃ原爆が落ちた時の残酷描写を「わっこれヤバイ」って感じ楽しんでも全然構わないですか?

「そりゃ構いませんね。それは事実だから。僕の目に焼き付いたやつを表現してるわけだから。ただ、嫌悪感を感じて読んでくれなくなったら、それは困るよね。その辺を僕がセーブしてしまったけれど、非常に本心じゃないんだよね。
中沢啓治氏
中沢啓治氏、本人がまさにゲンのモデル

▲中沢先生が描く女性は、例えばゲンのお母さんですが、意志が強くて男勝りの美人って感じがするんです。一方で短編を読むと自殺願望があたっり、何かに挫折していくタイプがあるじゃないですか。
先生御自身は、どういう女性観をお持ちなんでろうって思ったんですけど。


「…そうねぇ、うーん。自殺願望っていうかね、僕はいつも"死"っていうのを背中に背負っているような感じがするんですよ。というのは、僕が生き残ったところから考えても死と紙一重ですからねぇ。 だからいくらハッピーであっても、何してても、人間は死んでいくんだ。結局はみんな"死"だからなぁと。無常観みたいな感じが小さい時から付いてまわっていたんですよ。だから、僕の作品はよく最後は死んでいきますよねぇ

▲あぁ……。

「多いですよ、ええ。だから"死生観"っていうのが非常にあったんですよ、あの原爆受けてから。…で僕は何か素直にものを見れないって言うか。女性をみてもねぇ、すぐ原爆でヤケドになってね皮膚がたれてね、ケロイドになった。あれがパッと浮かんでくるんですよ。美人っていっても、皮一枚剥いだらあのケロイドのものすごい顔になるんだていうふうにね、わかるわけですよ。

だから、冷めたっていうかね、のめり込めない、女性に。だから(作品では)ふてぶてしく生きる女性をとにかく描こうと。めそめそするのはイヤだと。死を乗り越えていくような強い女性を描きたい。僕の作品の女の子は、みんなそういうふうに描いてますけど


夏江姉ちゃん
いつも死と隣り合わせの大原夏江
▲中沢先生は自伝に中で自分のことを"ケンカ大将"って書いていらっしゃいますが?

「いやぁ、僕は悪ガキでね。悪ガキっていっても今みたいに陰湿じゃないんだよね、僕ら。戦後の焼け跡の中で、ホントに生きるか死ぬかの、人間の本能むき出しで生きてた。もう生活圏かけて戦うからね。とにかく食うものがなし。相手の物とって、食ったろっていうサバイバルみたいな感じだから」

▲漫画家になってからも、ケンカはよくやったんですか?

「いい歳こいて、やってるよ。錦糸町に居た頃は、町中でよくケンカしましたよ。意外と僕がぼんぼんみたいな顔してるからナメられるんだね。非常に大人しい奴だと。
一旦キレて、やるなとなったら昔の敏捷さが甦るからねぇ。不思議ですよ、あれは。三つ子の魂百まで、って思いますよ」

▲じゃ、本当にゲンみたいだったんですね?

「ゲンの性格に、よく似てますよ」

ゲン
真っ直ぐ伸びたゲンの精神
▲ゲンは"ウンコ"とか"チンポ"とか好きですね、替え歌で"むげるチンポ〜"とか歌ったり。

「あれは、もう禁句になっちゃってねぇ。雑誌社も嫌ってからに。確かに差別する言葉は良くないと思うし、される方は悲しいよ。だけどチンポだのウンチだの、あんなの誰だって小さい時に言ってるわけだから。そんな言葉まで刈りとって、どうすんだって思いますよ。これ(チンポ、ウンコ)はどんどん普及させた方がいいですよ。キンタマとかね…オマ○コとか…

※註この時、カメラマンのスタッフは女性の方だったんですが、それも気兼ねなくぽんぽんひわいな言葉がとびだす中沢さんのある意味"B面"に、個人的に非常に感激した。

チンポ
チンポにこだわりのあるゲン
▲ゲンはどこか真っ直ぐじゃないですか。その分、隆太が痛快で。ヤクザのところに殴り込みに行ったりして、ピカレスク・ヒーローみたいで魅かれるんですよ。

「いやホントね、隆太のファンが随分いるんですよ。僕も描いててねぇ、ゲンは余りにも生真面目過ぎて、イヤになる時あるんですよ。ゲンを描くときは構えちゃうっていうかねぇ。良い子になりすぎてるんじゃないかと思って。もうちょっとゲンを悪くさせなくちゃいけないなって思って。まぁ、ケンカはやりますけどね。隆太描いてるとね、生き生きして楽しいですよ。あれが本当の僕の性格じゃないかと思うんですよ。」

▲「ゲン」の第二部は、どうなるんですか?

「第二部は"東京編"で、ゲンは絵の世界を修行して、最終的には船でアメリカかフランスに向かう。隆太については、なぜ殺人を犯したりといった生き方をしたのか、っていうことを描いて最期の決着をつけるつもりです。」
隆太
隆太の激情型の生き方

▲具体的な作業はこれからですか?

「来年(1997年)にはネームに入ろうかなと、約三巻で第二部に決着をつけて、
それから第三部に入る形をとりたいです。まぁ、出来ればねぇ、僕が生きてる間は、もうゲンが五〇、六〇、七〇歳になるまで描き続けたい。完結ってことはありえないです。未完ですから」

▲まさにライフワークですね。

「これしかないですから、僕には。だから、ゲンはこれからもずっと、自分が生きている証として描いていきたいなと、そういう風に思ってます。」
本誌のインタビューはここで終わりですが、実際は、3〜4時間?近いインタビューで現在のマンガの話や(結構、いろいろチェックしておられるそうで、「アキラ」は絵が細かいとか…) 音楽の趣味は結構、洋楽志向であるとか…、また「地元の警察がこんなものを送ってくるんですよ。」と「右翼とは」というパンフレットを見せていただいたりと、非常にザックバランにお話される中沢先生が印象的でした。本当にありがとうございました。

ちなみに私はインタビューに同行しながらも緊張のあまり、質問という質問が浮かび上がってこず、「ゲン」の中で、はじめの頃に登場する犬の印象と、後半の犬の印象が随分ちがいますね。といった陳腐な質問を尋ねたら、中沢さんはそれでも、「後半はやはり疲れてしまって、背景のほとんどは、家内にやってもらってたから…」と答えていただきました。

●インタビュア・アイカワタケシ、BIG THE BUDO
●PIC・ETHICA (1996年11月7日中沢氏自宅にて)
(1997年2月発行クイックジャパンVol.12掲載)









犬
通称後半の犬