大体 O.K的生活


アルツハイマーの義父の世話の合間に、面白いことを探してます。

長谷君

2008-02-28 | 長谷君
高校3年生のクラスメートに長谷貴将君がいました。
彼は医師となり、2005年尼崎のJR脱線事故では、押しつぶされた車内に入り、救命医療を行うなど、たくさんの方の命を救ってきました。

その彼の訃報が届きました。

彼のお父様が、勤務先の病院を提訴したことを伝える新聞記事で、私たちが知る事になったのです。

事故直後の同級生あてのメールでは
「現場で、怖いと思うことなどなかった。助けたいと思うだけだった。
それよりもレスキューの人たちの仕事振りはすごい」と。

私たち同級生は、JR事故などでの彼の活躍を大変誇りに思い、ますますの活躍を祈っていました。

残念です。
こんなことになっていたなんて・・・・
これからも、たくさんの命を救えた筈の人だったのに。
命の重さを誰よりも知っていたはずなのに・・・
辛かったでしょうね。
あんなに、努力家で、粘り強かったのに・・・
事故後のテレビのインタビューで見た彼は、たくましかったのに・・・

高3の時、毎日大きなお弁当を一人でさっさ食べて、そのあと、机に突っ伏して仮眠。それが長谷君の昼休み。

毎日夜遅くまで勉強されてたんでしょうね。

お弁当にたくさんピーマンが入っていた事を思い出しました。
ささいなことを鮮明に覚えているものです。

お父様のことも、高3の時に聞いた事がありました。
「接待などで大変そうだけど、がんばってるオヤジ」とおっしゃってました。
そのお父様が85歳になられ、病院を提訴されたのです。

心より御冥福をお祈りします。

いくつか記事やブログを見つけましたが、YOMIURI ON LINより引用しましたので、お読みください。

以下 引用****************

瓦礫の下の医療象徴が何故

病院側反論、法廷で究明へ


 済生会滋賀県病院(栗東市)の救命救急センター長だった長谷貴將(たかのぶ)さん(当時51歳)が自殺したのは、過剰な対外活動を指示するなどした病院側が安全配慮義務を怠ったためとして、父昭さん(85)(近江八幡市)が25日、済生会(東京都)を相手に1億円の損害賠償を求めて地裁に提訴した。2005年4月25日のJR福知山線脱線事故で救出活動に携わり、「瓦礫(がれき)の下の医療」の象徴的存在だった医師がなぜ命を絶ったのか。真相究明は法廷に委ねられる。(中根靖明)
 代理人弁護士や遺族らによると、長谷さんの事故での活躍が多くのメディアに取り上げられた。病院は〈広告塔〉として、講演や研修活動に取り組むよう指示した。遺品の中から見つかった長谷さんの手帳には、スケジュールがびっしり書き込まれていた。
 しかし、病院側は長谷さんの赴任前から提示していた「(救命救急センターに)2人の部下を置く」という条件を実現させなかった。対外活動の比重が高まると、やっかみとも取れる不評が院内から噴出。ある同僚医師からは「それでも救急医か」「こいつの言うことは聞かなくていい」などと罵倒(ばとう)されるモラル・ハラスメントも受けた。
 さらに、亡くなる前日には、長谷さんが準備に心血を注いできた済生会主催の学会で英国人医師を招請する企画をめぐり、事務担当者と対立。それまで企画を支援してきた病院幹部からも「一晩頭を冷やせ」と冷淡な態度で突き放されたことで「決定的に追いつめられた」という。
 昭さんは「息子は、病院幹部にはしごを外されて死んだ。命令を覆すなんて許せない。実際に病院で何が起こっていたのか。真相を知りたい」と訴える。
 これに対し、病院側は▽部下となるはずだった医師は個人的な理由で退職した▽人員的なバックアップなど、対外活動に対しては最大限の協力をしていた▽同僚医師の言葉は職務上の指導だった▽企画を巡る対立などはなく、予算の範囲でいかに実施するかについて話し合いをしていたに過ぎない――などと反論している。
     ◇
 長谷さんは少年時代から医師になる夢を抱き、金沢大医学部卒業後に滋賀医大へ移り、救命救急医療の道を志した。1991年5月の信楽高原鉄道事故をきっかけに災害医療のあり方を追究し続け、福知山線事故では志願して現場入り。大破した車内に負傷したまま取り残された乗客に「大丈夫です。頑張って」と声をかけて励ましながら、現場で点滴などの治療を施した。
 約13時間にわたる活動を終えたのは翌26日未明。ほかの医師らとともに、何人もの乗客の命を救った。「自分が死んでもいいと思っていた。とにかく被害者を助けたかった」と振り返ったという。
 事故現場で共に活動した兵庫県災害医療センターの中山伸一医師にとって、冷静な判断力で現場を引っ張る長谷さんは、信頼できる<戦友>だった。「将来の救急医療界を担うはずだったのに……。『何で死んだんだ。バカ野郎』と言いたい」。同志の死を、今も受け入れることができない。
 2両目で瀕死(ひんし)の重傷を負い、長谷さんらの処置で生還した兵庫県西宮市の鈴木順子さん(32)の母、もも子さん(60)は「命の恩人。あんなに一生懸命だった先生が、なぜ死ななければいけなかったのか。娘と一緒に会ってお礼を言いたかった」と惜しんだ。
以上
**********************************
この記事はこちらから

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20080225-OYT8T00664.htm
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キーワード
救命救急センター 災害医療センター 福知山線事故 モラル・ハラスメント 安全配慮義務 信楽高原鉄道事故
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32 コメント

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Unknown (よしりん)
2008-02-28 23:42:51
同級生が亡くなるのは、ショックですね。
それも、自死だったとは・・・。
追い詰められてしまったのでしょうか。
親御さんがお気の毒です。
ご冥福をお祈り申し上げます。
ショックです (セサミ)
2008-03-01 01:24:45
長谷君の件は本当にショックです。今月は私の叔父に姪のお舅さんと不幸が続き、それだけでも気持ちが滅入っていたのに追い討ちをかけるように長谷君の訃報とは・・・。
彼とは高校2、3年同じクラスでした。きりちゃんとヤッシーくん、みいちゃさん夫妻とも3年で皆一緒でしたね。最初の頃はがり勉タイプでとっつきにくい感じでしたが話してみると結構気さくでした。放課後友達と卓球してた時、親切に指導してもらったのを憶えています。
最後に会ったのは15年前の同窓会でした。私が東京に住んでいるのが意外だったらしく、そのいきさつを聞いたり研修で我が家の近くの病院に行った事があるとか色々話をしました。まさかあれが長谷君との最後の会話になるとは夢にも思いませんでした。

修学旅行の前にクラスで歌集を作りました。裏表紙に全員の名前を寄せ書きしました。長谷君だけが「R(我々の高校のイニシャル)の良識はどこへ?」というメッセージを書き込んでいました。今思えばこの姿勢が彼の人生を支えていたんですね。

この歌集は今でも我が家にあります。写真以外で残っている唯一の長谷君の在りし日の姿です。
どうか安らかにお眠りください。
Unknown (くす)
2008-03-01 02:21:34
やりきれないできごとですね・・・

私の同級生ではないけど、きりちゃんの同級生ということで、宝塚線脱線の時のご活躍を、すごく頼もしく思っていました。こんなお医者さんが滋賀県にいてはるんだから、また大地震などがあったってだいじょうぶだと、勝手に思っていました。

きっととてもまじめな方だったのでしょうね。
命の重さは誰も同じかもしれませんが、ほんとうに惜しい命を日本は亡くしてしまいました。残念でなりません。
よしりんさま (きり)
2008-03-01 20:49:09
暖かいコメントありがとうございます。
このブログを書こうかどうか、かなり迷いましたが、
18歳の長谷君を知っている者としては、書いておかずにはいられなかったのです。
今、高3の息子を持つ私は、自らの高校3年生の頃を振り返ることも多く、長谷君のことを頻繁に思い出す一年でした。
亡くなられていたなどと思いもしなかったので、混乱しています。

読んでくださってありがとうございました。
セサミさま (きり)
2008-03-01 21:18:38
JR事故の長谷君の活躍は本当に嬉しかったですね。

セサミさんは2年間も同じクラスだったんですね。

私は、3年の時、同じ塾に通っていました。
学校から、一緒に行ったこともありました。

ある時、彼は、女の子って、花嫁修業的なことをするのかと質問された事がありました。
違う種類の生き物に対する興味だったように思いましたが、私は、「縫い物は趣味で、自分の服もを縫うけれど、料理には興味がないので作らない」と答えました。
彼は、「それでは将来困ることにならないか」と案じてくれましたが、同時に、縫い物をする生き物は、不思議に映ってたようでした。

彼の予測通り、将来つまり今、料理に関しては、困っています。

そのうち、会えるかなと楽しみにしていたのに・・・・
セサミさんとは、近いうちに会って、お話しましょうね!

くすさま (きり)
2008-03-01 21:34:53
JR事故の時、まだブログを始めてなかったので、くすさんのところへ、メールして、思いっきり長谷君のことを自慢しましたよね。

同級生の間で、長谷君はヒーローでした。
人の命を助けることができるなんて!!

災害が起きても、スーパーマンのように長谷君が助けに来てくれると思うと安心。私もそう思ってました。

本当に残念です。
残念! (オキザリス)
2008-03-02 00:48:41
 心境複雑でコメントを戸惑いましたが、気になって一言いわせてください。
 本当に“大切な人”をなくして残念です。
 お医者さんにも二つのタイプがあり、一つは患者さんの方を見て実務している医師や研究に身を投じているタイプと 管理運営と出世を目指すタイプがいるのでしょうね。ちょうど“白い巨塔”のように。また、同僚の中にも、すばらしいことをしても心から喜んで讃えてくれる人もいれば、妬む人もいる、さらにそれを利用しようとする人もいる。
 最近話題の“お医者さん不足”の問題でも、社会がお医者さんを物や商品のように扱っているようで、まるで スポーツ選手のスカウトやトレード、いわば人身売買のようです。
 ある地方では お医者さんを獲得するために 地域の大型病院の近くに、医師を住まわせる高級マンションを準備する計画があると・・・。本当に人としてまた医師としていい人材が集まるのか? 多分悪知恵の働く医者から言われて役所が動いているのでは・・・。
 もちろん医師不足を補うのは急務であるが、他に方法がないのか?
 また、患者さんの言い分と権利意識でお医者さんは随分追い詰められていると思います。誠心誠意手を尽くしても 結果としてうまくいかなかったら やれ裁判、やれ賠償請求など、本来の仕事に差し障る問題で、管理者と患者との板ばさみとなり、真面目で優しい医師にとっては耐え切れない辛さがあると思いますし、よい人材をつぶしてしまうことになります。
 “いいお医者さん”とは病気のことをよく知っているだけでなく、腕前がいいだけでなく、まずいい人でなければなりませんよね。長谷さんはいい人だったのでとても 残念です。心が痛みます。ご冥福をお祈りします。 「キリさん ごめんなさいね 取り止めもないことを書いて」

オキザリス様 (きり)
2008-03-02 22:45:29
コメントありがとうございます。
お医者さんって本当に激務なんですね。
台湾ドラマの『ホスピタル』も権力争いで、ドロドロ。どうせドラマだ、と思えなくなってしまいます。

毎日、救急車のたらいまわしが、テレビや新聞で取り上げられていますが、本日3月2日付けの朝日新聞によると、『救急の専門医は日本に2700人。
過酷な労働で、報酬も低く、週平均の勤務時間は77時間、1ヶ月間の休みは、2.1日。
当直代は平均1万円、時給換算だとたった600円。』

これはひどすぎます。

お邪魔します。 (みっこ)
2008-03-04 05:13:29
長谷先生のことで検索していて、こちらを読ませて頂きました。
私は今年、滋賀医科大学の医学部を受験しました。
そのきっかけは長谷先生の救命救急の医療を教わりたいという動機でした。

前期試験の二日目の朝、長谷先生の新聞記事を読み、とてもショックを受けました。
私も、二年近くも前に長谷先生が亡くなっているとは知りませんでした。
何とか試験に集中しなきゃと考え、試験場に向かいましたが、試験が終わって新幹線に乗った途端に涙がボロボロ溢れて止まりませんでした。

いまはまだ整理できていませんが、長谷先生の遺された著書を傍に置き、これからも医師となる夢を諦めずにがんばりたいと思います。

勝手に割り込んでしまい、失礼いたしました。

長谷先生が福知山線の事故の際におっしゃっていたことを思い出します。
その言葉はこのような内容だったと思います。
「阪神大震災の時、何もできなかった無力な自分がいたので、次に何かあった時には何かできる医師としてそこへ駆けつけられる自分でありたかった。
それが福知山線の事故だった。」

私自身、阪神大震災で家族や家を失ったので、この長谷先生の言葉に感銘を受けました。
そんなふうに思える人に出会えたこと自体、私は幸せです。


みっこ様 (きり)
2008-03-04 08:34:43
ありがとうございます。

コメントをいただき
ほんとうにうれしいです。

長谷君はいつも努力の人でした。
と同時に、柔らかな心を持った方でした。

みっこ様、どうぞ、健康に気を付けて頑張ってください。
あなたのような方がいらっしゃることを知って、きっと他の同級生も喜ぶと思います。

私たち、おばさん、おじさんたちも、頑張ります!
Unknown (みいちゃ)
2008-03-05 00:23:33
携帯メ−ル、ちゃんと届いてますか?

卒業して三十数年、人数の数だけのそれぞれの人生。

長谷君で一番に思うのは、なぜか中学で野球部だったという事。

これからの人生、大事に生きたいです。
みいちゃ様 (きり)
2008-03-05 10:18:42
もしかしたら、みいちゃさん、長谷君と小学校の時から一緒?

私も、長谷君が中学時代は野球部だったことをなぜか知っています。

高校の同期生で、長谷君のことを語るメールボックスを開設してくれました。
京都の人たちには口コミで知らせて欲しいとのことです。
詳細はメールします。

みいちゃさんの携帯メール届いてます。
返信できてなかった?
すみません。
夢の扉 (じゃがも)
2009-04-26 21:53:17
初めまして。でもないかもしれません。私も長谷貴将さんと高校の同学年で、ということはこちらの多くの方ともそういうことだと思います。澤田芳郎と申します。

本日2009年4月26日の『夢の扉』というテレビ番組を見ていると、
http://www.tbs.co.jp/yumetobi/
秋富慎司氏(岩手医科大学附属病院)という若い救命救急医の方がとりあげられていたのですが、この方が
恩師とされていたのが長谷貴将さんでした。その長谷さんが「急逝」されていたことは私は承知しておら
ず、調べてみると裁判のことも含めていろいろわかりました。また、こちらにもたどりつきました。

長谷さんはわりと自分のことは語られない方だった印象があり、「僕は医者になる」と聞いたのも、私が聞いたのがということにすぎないかもしれませんが、受験のわりと遅い時期でした。そして20数年にわたって医師としての仕事をされ、また唐突に逝かれたのだなと思いました。

長谷さんを師と仰ぐ秋冨氏については、同じ番組で来週続きがあるようです。もう長谷さんのことは出てこないかもしれませんが、その影響下に仕事をしている若い人のルポを通して追悼できるかもしれないと思い、お知らせさせていただきました。失礼いたしました。
私も見ました 夢の扉 (いな)
2009-04-27 22:48:25
岩手に住むイナと申します。以前にもこちらのサイトは拝見させていただいたことがありましたがコメントが増えていたのでついついカキコさせていただきます。
私はこの秋冨先生とちょっとした知り合いで、1度だけお会いしたことがありましたが自分と大して年が変わらないのにすごい人だなぁとただただ感動しました。ナショジオの動画を見て長谷先生や秋冨先生の救命活動の詳細を知ることができましたが本当に一歩間違えれば自分の命も危ないような現場で救命活動に尽力を尽くしたその行動に感銘を受け、それと同時に亡くなられた長谷先生が悔やまれました。長谷先生が今も生きていれば日本の災害医療はどれだけすすんでいたことかと秋冨先生もおっしゃっていたので、多分秋冨先生は長谷先生の遺志をついでがんばっているのだと思います。
普段の秋冨先生は本当に気さくで優しくて誠実な方で全然偉ぶってないところがいいなぁと思い、尊敬してました。そんな先生がこのたび二週にわたり特集されることにうれしさを感じております。
長々とすみませんでした。次週の夢の扉を楽しみにしたいと思います。
私も・・・ (みいちゃ)
2009-04-27 23:00:27
偶然、私もその番組を見ていました。
「あっ、長谷君や!」思わず口に出ました。
長谷君はいなくなったけれど、ちゃんと、そのあとを継ぐ人がおられることは、素晴らしいです。

これから先も、4月25日が来るたびに、長谷君の事
思い出すのやろね・・・
じゃがも様 (きり)
2009-04-28 20:59:19
コメント、ありがとうございました。
この番組のあった日、忙しくて、テレビを見てませんでした。コメントいただかなかったら、何も知らないままでした。

長谷君のこと、さぞ、驚かれたことと思います。
京都在住の同級生→東京在住の同級生→私 の経由で知った時は、あまりの驚きで、混乱してしまいました。

お名前、教えてくださってありがとうございます。
残念ながら、高校時代お話したことはなかったと思います。

ブログかhpをお持ちでしたら、おしえていただけませんか?

京浜地区の同級生にも、「じゃがも」さんのこととテレビ番組のこと、お知らせしておきます。

本当に、ありがとうございました。

いな様 (きり)
2009-04-28 21:09:56
はじめまして。ようこそ。
コメントありがとうございました。

夢の扉、見てなかった事が、本当に悔やまれます。
あの脱線事故はたくさんの方々の命が失われた悲惨な出来事でしたが、長谷君をはじめたくさんの方々の懸命な活動によって、多くの命が救われたことに感謝しています。
あの日がやってくると、本当に辛いです。
秋冨先生の番組、次週は必ず、見ます。
また、何か、情報がありましたら、お知らせいただけるとうれしいです。
よろしくお願い致します。
みいちゃさんへ (きり)
2009-04-28 21:19:17
ご覧になってたんですね。

私も、前、別の番組で、長谷君のインタビューをみて、「あ、長谷君や!」と一人テレビの前で叫んだことがありました。

大きな愛情をもって、人の命を救っている、そんな様子が、お話しぶりからもうかがえました。
それだけに、残念で、悲しいです。
裁判、どうなってるんでしょう?
ブログなどはしない不調法者で (じゃがも)
2009-04-29 12:02:29
きり様

ブログなどはしない不調法もので、申し訳ありません。きりさんにメールをお送りするにはどうしたらよろしいのでしょうか。なお、SPYSEEで見ていただくと私の名前で一人出てきて、略歴は正しいです。また交遊リストはそこそこですが、ネットワークは相当な偏りがありますので、信じないでください。
先週の夢の扉 (イナ)
2009-05-02 08:35:32
きり様、コメントありがとうございました。実は先週の夢の扉をビデオに録画してまして、もしよかったらいりませんか?って古いビデオに重ねて録画しているのであまりきれいな画像ではありませんが。。。

昨日本でたまたま見かけた記事が気になったのでちょっと紹介させていただきます。
一つは長谷先生や秋冨先生がおられた済生会滋賀県病院のある看護師さんがスーパーで心肺停止の店員を心肺蘇生法によって救った話。さすがは救急医療の先端をいってる病院だなぁと感心しました。

もう一つは、その滋賀県病院の別の方ですが、精神科の看護師さんが、多分今年の3月に(3月としかかかれてないので年が不明ですが、雑誌が2009年4月号なので)病院内で自殺を考えるということで救急センターのスタッフや精神科のスタッフで自殺についてのアンケートをとったり自殺に関する研修会を開催したそうです。病院内の人だけでなく、警察や消防、地域の保健所などたくさんの参加があり、講師の先生からもこの企画に高い評価をいただいたそうです。
滋賀県病院には精神科医がいないそうですが、この企画した方が長谷先生のことをご存知かどうかもわかりませんが、どうか先生を死が無駄にならないよう病院の体制やスタッフが充実することを祈ります。

長々と書いてすみませんでした。
長谷君の命日 (ひらめ)
2009-05-23 14:28:51
突然の投稿をお許しください。京都のひらめです。長谷君のあかね掲載をお願いした経緯は同窓会理事として長谷(あまり君付けするのはよそよそしいのでなしにします)の活躍はどうしても同期の僕としてはみんなに知ってほしいからでした。それがあんな形で居なくなるなんて口惜しい限りです。今日は長谷の命日です、みんなそれぞれの心の中で供養していただければうれしい限りです。
男に似合わず色白で、でも筋肉質の体でよくバレーボールをもって、植物園で遊んだこと忘れません。満面の笑顔で語らった日々はもう一緒に語らうことはできません。悲しいね。。。。合掌!!
命日 (ozaki)
2009-05-24 00:07:55
長谷先生の大学の後輩です。長谷先生が亡くなられて,早や3年がたちました。大学でご一緒したのはわずか2年間でしたが,初心者から地道に練習を重ねて医学部テニス部のキャプテンになり,北信越学生選手権でも上位に食い込むまで精進された長谷さんは,我々後輩にとっては,心から尊敬できる先輩でした。
2006年の夏,金沢大学テニス部創立50周年のイベントがあり,各界で活躍中のOBの講演で長谷先生のお話が聞けることを楽しみにしていましたが,当日,亡くなられていたと聞き,言葉を失いました。その後,秋冨先生にもいろいろと事情を伺い,医療従事者としても何とも言葉に表しがたい気持ちでおります。未だに信じられません。
昨年,3周忌で大津に伺いましたが,ご両親は気丈に振る舞っておられ,かえって胸が詰まりました。たまたま,きりさんのこのHPで長谷先生の高校時代の微笑ましいエピソードがあったので,プリントアウトして,ご両親に差し上げました(すみません,事後承諾で)。お二人で目を細めて読んでおられました。
皆様と一緒にあらためて長谷先生のご冥福を祈りたいと思います。
合掌。
イナ様 (きり)
2009-05-24 01:01:41
お申し出ありがとうございます。
不手際で私のコメントが投稿されてませんでした。
お返事が遅れて申し訳ございませんでした。
ビデオ、そのうち、友人から回ってくることもあるかと思います。
本当にお申し出ありがとうございました。感謝申し上げます。
ひらめさん (きり)
2009-05-24 01:13:09
お久しぶりです。
コメントありがとうございました。
今、実家にいるのでパソコンが使えず、携帯だけで不自由しています。
タイムリーに長谷君のご命日の記事が書けず、残念に思っていたところです。
思いがけずコメントいただいてうれしいです。
ありがとうございました。
OZAKI様 (きり)
2009-05-24 01:32:03
コメントをいただきありがとうございました。
また、拙ブログを長谷君のご両親にお届けして下さったとのこと、感謝申し上げます。
ご両親様のお気持ちを思うと、言葉を失ってしまいます。
長谷君の大学時代のことも、教えてくださって、ありがとうございました。
いつでも、どこでも、長谷君は努力の人だったんですね。
本当にありがとうございました。
皆様とともに、長谷君のご冥福をお祈りいたします。
皆様 (秋冨でございます。)
2009-05-26 11:27:49
皆様
はじめまして、、、私は現在、岩手医大に勤務しております秋冨といいます。以前、済生会滋賀県病院で勤務しておりました。皆様の長谷先生に対する思いを読み、心の奥が熱くなりました。
長谷先生は私のような若輩者にも、本当にやさしく色々とご指導をして頂きました。そして色々なことを話し合って、長谷先生が亡くなる前日まで今後の予定や夢を話しておりました。その時に滋賀県で進めていた災害医療の今後の指針とか、日本の心肺蘇生法のあり方などです。その翌日にあのようなことになろうとは、夢にも思いませんでした。前日の夕方から行われていた済生会滋賀県病院の管理者会議で色々なことがあったと、やはり個人的もそう考えざるおえない状況があります。
長谷先生が残された偉業は様々ございます。滋賀県の災害システムにはその時にはすでに、海外の進んでいる方法を組み込んで独自に進めておりました。その流れでMIMMSという英国の災害システムのアクションカードを翻訳し出版しました。http://anzenmon.jp/page/455116 現在、このシステム取り入れたものを岩手で作り、一人でも多くの人を救えるような環境づくりをして、これを全国に広めていきたいと思っております。
また、滋賀県医師会主催で、ILCOR(世界中の心肺蘇生法のガイドラインを決める協議会)の議長のJerry Nolan先生と一緒に、最新の心肺蘇生法の考え方を教えていました。
これは院内心停止のうち80%もの人は、実は予知して予防できたというデータがあります。しかし、一旦心停止してしまったら生存退院率は15%にもなってしまうということから、心停止をしてからの教育だけでなく心停止を予知して予防するということを主眼に置いた教育コースが必要と考えたからです。
現在でも長谷先生が作ったコースは、滋賀県医師会と済生会滋賀県病院で開催されており、このコースを続けるように講義をしておりました。病院全体の職員に受講してもらい、少しでも自分たちが何かが出来ると感じて欲しかったためです。このおかげで、飛行機内の心停止患者やスーパーでの心停止患者に対しても、自ら進んで自信を持って対応できる人達が大勢増えました。
この内容が含まれる英国のILSコースのテキストを翻訳致しました。http://www.herusu-shuppan.co.jp/book/600_649/619.html このテキストの中に、長谷先生との思い出も書いてあります。この内容も広めて行けたらと思っております。
両方の本は、いずれも長谷先生が出版をしたいと思っていた本であり、長谷先生が本のまとめ役で出版して欲しかったのですが、、、それが悔しくてなりません。
 長谷先生と一緒に考えていたことが、こんなに広まってきたという思いもありますが、なぜまだ気付かない人や気付いても無視している人が多いのか、私には分かりません。また、裁判というのは残酷で嘘で固められていると分かっておりましたが、ここまで嘘で固めて亡くなった方へ攻撃するものかと思ったら、悲しくなってしまいました。ご両親もご高齢で心配でもあります。
 今後は皆様のお言葉を頂戴しながら、いろいろとご相談をさせて頂きたいと思っております。お忙しいと存じ上げますが、なにとぞ宜しくお願い致します。
秋冨慎司 拝
Unknown (カルメン)
2009-05-26 15:56:00
私も、テレビ「夢の扉」を見た瞬間、ぱっと「長谷君」を思い出しました。キリさんのブログのおかげです。知れば知るほど、惜しい人をなくしたと、残念でなりません。それに、もっと本当のことをたくさんの人に知ってもらいたいですね。ご冥福をお祈りします。
秋富先生、どうぞ、くれぐれもお体を大切にして、長谷先生の意思をついでください。
ヨーロッパ救急蘇生 (じゃがも)
2009-05-26 18:57:15
秋冨先生

ただいま職場の図書館で『ヨーロッパ救急蘇生』を拝見してきました。医学部へ行かなきゃと思ったら、中央図書館の開架の医学書コーナーにありました。クレジットの上下に「企画 長谷貴将」「後援 滋賀県医師会」と置かれているのを見て、出版に関与された先生方の思いやその広がりがうかがえたと思います。また、まえがきなどからは年あるいは月単位の技術進歩への追随、そしてそれにとどまらず、スタンダードの先取りまで考えて取り組んでおられる様子がわかりました。

それにしても残念なことです。長谷さんはすごくいいところに目をつけ、しかし職場があまりにも小さかったということでしょうか。電子メールに何か残っていないか、いや誰か消去したかと思い巡らさざるをえませんが、複雑な状況の中にどちらかと言うと勝ち戦を進めておられた、その途上のことだったのではないかとも想像されます。

秋冨先生におかれましてはどうぞご自愛いただきまして、また救急医療へのご尽力をお願い申し上げたいと存じます。失礼いたしました。
秋富先生へ (きり)
2009-05-27 12:33:06
お忙しい中、コメントをいただきありがとうございます。
私、ただいま実家のことで、取り込み中で、お礼を申し上げるのが遅くなり申し訳ありません。

先生のコメントをたくさんの方にみていただけるよう、新しく、ブログの記事に貼り付けさせていただきたいと思っています。

取り急ぎ、コメントのお礼を申し上げます。

じゃがも様 (きり)
2009-05-27 12:34:06
コメントありがとうございます。
またいろいろ教えてください。
はじめまして (398)
2012-05-24 21:00:20
『ナイン』を読んで、MCLSの存在を知り、
また、こちらを拝読して、いろいろな思いが湧いてきました。
長谷様のご冥福をお祈りいたし、今後もたくさんの人々に救命の意識が広がりますように。
398さま (きり)
2012-05-27 21:12:52
コメントありがとうございます。
大きな事故災害があるたびに、長谷君がお元気だったら・・・
と思わずにはいられません。
福知山線の事故で長谷君が治療にあたった方がお元気になられている姿を先日テレビで見て、本当にうれしく思いましたが、それだけに、長谷君のことが残念でなりません。
398さまも、どうぞお元気にお過ごしください。
ありがとうございました。

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