牧太郎の大きな声では言えないが…:自殺には「謎」が残る
毎日新聞 2013年02月05日 東京夕刊
悪口になるのか、褒め言葉になるのか、ともかく、毎日新聞社の大先輩の「遺書」について書きたい。
1919(大正8)年3月、海軍機関学校の教職を辞して、大阪毎日新聞社に入社した作家・芥川龍之介。新聞への寄稿が仕事で、出社の義務はなかったから「広告塔」的な存在だった。
1927年7月24日、大量の睡眠薬を飲んで自殺した。が、この大先輩の「遺書」には不満が残った。
遺書は6通。「妻への遺書」はあまりにも事務的だ。
一、生かす工夫絶対に無用。二、絶命後小穴君(親友の画家)に知らすべし。絶命前には小穴君を苦しめ并(あわ)せて世間を騒がす惧(おそ)れあり。三、絶命すまで来客には「暑さあたり」と披露すべし。(中略)六、この遺書は直ちに焼棄せよ。
妻に対する「感謝」も「恨み」もない。“命令調”である。
「わが子等(ら)に」には「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」とか「汝(なんじ)等の父は汝等を愛す」というカッコつけたクダリはあるが、その他の遺書にも、僕が期待した「自殺の深遠なる動機」は見つからない。
ベストセラー作家はなぜ、死を選んだのか? 知りたいのだが……ただ一カ所、長文の「遺書」の冒頭に「僕等人間は一事件の為(ため)に容易に自殺などするものではない」というクダリがあった。
さすがである。大記者・芥川龍之介を結局、褒めることになるが……人間が自らの死を選ぶ「動機」は一つではない!とスクープ?している。
自殺事件が起きると、昨今のメディアは「○○が原因!」と書きたがる。世間も「○○で死んだのね」と納得したい。でも「自殺の動機」を特定するのは簡単ではない。本人だって分からない。
例の大阪・桜宮高校のバスケットボール部員の自殺も、果たして「体罰」だけが原因だったのか?
己の高校生時代を思い出してみると(自殺まで思いつめたことはないけれど)出生の秘密を知り、親に対する嫌悪、担当教諭の“不正”への怒り、一向に上がらない学業成績、それに受験、性的コンプレックス……悩みはたくさんあった。
「体罰が原因で一人の生徒が自殺した。体罰が常態化した体育科の入試を中止せよ!」と革新的市長が声を大にするが……自殺には社会的背景に、個人の資質、個人の事情が入り交じる。自殺はいつも「謎」だ。(専門編集委員)