今日の予算委員会を見て愕然とした。
先ず、阿部の経済感覚は児戯に等しいのと、期待の石破の経済観念も高度成長時から一歩も脱していない。
阿部の経済知識とは、円が下がると輸出が伸びて株価が上がり、企業の資産価値が高まって多くの人(株主)の資産が高まり消費が増えると云うものだが、そも、株式投資などは米国と違い一般人が行っているものではない。
石破は企業が潤うと内部留保から設備投資に振り返られて景気が良くなると云うのである。バカかこやつは、日本企業の設備投資は行きすぎており、むしろダウンサイジングが求められているという現状がまったく見えていないのであるる
自民党の金融緩和政策は旧態依然とした考え方で日銀が市中にお金をジャブジャブ流そうとしても銀行で止まってしまうのは目に見えているのである。
むしろ、巨額の財政投資によって銀行を無視して市中にお金を流したほうが直接効果が出て雇用も確実に確保されるのである。このやり方も古いと思われがちだが、現在米国はじめ欧州でも日本式の財政投資のやりかたを評価されている時代なのである。
投資は財政投資・設備投資・住宅投資が主な柱となるが、設備投資については述べたとおり、成熟した経済力と工業力を持った我が国では人件費が高くなったおかげで当然のごとく生産力は海外移転で空洞化が進んでいるがこれは当然のことなのである。
むしろ、海外生産で得た資金を日本の本店に開発費として逆流して本店じたいは中小企業として研究開発という技術開発に特化すべきであろう。
日本の生産は技術特化した高級品として世界のお金持ちを対象とすべきであり、大量生産・大量消費の考え方は捨てるべきなのである。自民党はこのあたりがまったく理解出来ておらないのである。
しかも、新自由主義の権化である竹中平蔵なる痴犬を、またもやおともだちとして経済政策の中に迎え入れたのである。小泉時代の悪弊である格差社会の権化がふたたび息を吹き返そうとしているのである。
このやり方ではカンフル剤の役目は果たすが結果として国の借金を助長しお金持ちだけが良い思いをするという悪循環の繰り返しとなることは間違いなさそうである。
[世界は共産主義へと向かっている]
これは決して理論としてのマルクス・レーニン主義を礼賛しているのではない。いわば「共同労働組合」という全員が出資して全員が社長という新しい働き方が始まったようだ。
本日のNHKで特集をしていたが、スペインではすでに確立しており地域社会に着々と雇用を生みだして一大産業を築いている。日本でもこれを始めた会社が除々にひとりひとりのアイデアで次第に事業が拡大して150人もの雇用を生み出すほど発展しているということである。
ともあれ、やはりこれからの時代は政府に頼らない新しい思考が求められているということである。
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