巨人・金田正一投手(昭和43年4月撮影)【拡大】
伝説の大投手が、ことしも宮崎へやってきた。青のジャケット姿で球場に姿を現した金田氏。同じくOBの桑田真澄氏とともに、菅野の真後ろから今キャンプ4度目のプルペンでの投球を観察。柔和な瞳が、真剣な目つきに変わった。
「今時珍しく、腕が1コマ、2コマと遅れて出てくる。打者は苦労するよ。(現役時代の)自分を見ているような気がした」
菅野は球持ちがいいため、腕が出てくるのが、打者が思っているよりも遅くなる。右と左の違いこそあれ、プロ野球最多の400勝を挙げた自身のフォームとだぶった。
ことしは日本ハム・大谷(岩手・花巻東高)、阪神・藤浪(大阪桐蔭高)ら他球団のドラフト1位にも1年目から活躍が期待されるルーキーがそろっている。金田氏は「あの子たちも潜在能力はある」と認めながらも「今は比べものにならない。(菅野と)比べられる新人はいないだろう」と大絶賛。投球を終えた菅野に「よく食べて、よく練習しろ」とアドバイスを送った。
大先輩と初対面した菅野は「大、大、大投手。オーラがありました。握手をしたときの手の厚さがすごかった」と恐縮しきりだ。この日は直球にカーブ、スライダー、カットボール、ワンシームを交えて79球を投げたが、ストライクは6割強の49球。コントロールが今ひとつだったことに、「カーブ以外は全然ダメだった」と反省した。
それでも金田氏は「野球界にとってすごい明るい材料」と期待を膨らませ、開幕からの先発ローテ入りには「入るよ。入らなかったら監督のせいだ」と太鼓判を押した。賛辞はとどまることを知らず、報道陣から「金田さん以来の大物投手?」と問われると、「そう書いてもらってかまわんよ」。そして「わしが23歳のときは200勝していたかな?!(正確には154勝)」と大笑いし、カネやん劇場を締めた。 (青森正宣)
(紙面から)