「面白さ」とはなにか
2013/02/08 01:19:00


なんかネットをサーチしていたらハックルベリーのブロマガがヒットして、クリックしたらそのまま読めた。ときどき無料記事を書くのだろうか。

読んでみると「面白さ」と自身の生き方みたいなことが書いてあった。夕やけニャンニャンにハマったらしい。う~む、時間軸を補正しても、今のハックルベリーからは、想像がつかない。なぜ当時のハックルベリーが夕やけニャンニャンを面白いと感じたのか、直接は書かれてない。

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面白いとはなんだろう?人間は生きるのに必要なことを面白いと感じる。スポーツなど体を動かすことが楽しいのは、人間が野山を駆け巡り自力で食料を調達していた頃の名残りだ。本能を極限まで洗練させたものが娯楽なのだ。

本を読んだり動画を見て感じる面白さとはなんだろう。スポーツが体のトレーニングとすれば、読書は脳のトレーニングとなる。脳が生きることに貢献しているのは何か?

物事を予測することだ。過去と現状のデータから、未来を予測する。獲物がどの方向に逃げるのかを予測する。それがないならこんなデラックスな脳はいらない。昆虫のような神経のちょっとした塊程度で十分。

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よくできた物語というのはフラクタル構造になっていると俺は思っている。少年が旅に出て様々な経験をしていく。大事なことを学んでいく。そして個々のエピソードで描かれるテーマが、旅全体のテーマにもなっている。個々の経験が少年の生き方を決定づけていく。部分と全体が相似形なのだ。

しかしそれほど単純ではない。小さな子供に4本足の動物の絵を見せると、わんわん(犬)と答える。でも猫の絵を見せててもわんわんと答える。つまりこの段階では犬と猫の区別がついていないわけだ。

それをなんどか、これはにゃんにゃん(猫)だと教えると、混乱しつつも、最終的には犬と猫区別が付くようになる。「4本足の動物」以外の犬と猫を区別する特徴を学習したわけだ。

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犬だと思ったのに猫だった。これは予測が外れる体験であり、それが学習に結びつく。予測が賢くなり生きるのに若干有利なったわけだ。人間は予測が覆されることを「楽しい」と感じる。

少年があるエピソードで学習する。その経験を元に別なエピソードで行動する。しかし裏目に出てしまった。予測が覆されたのだ。人を信じたら騙されてしまった、みたいな。

で、それを学習して今度は疑り深く行動するようになる。ところがそれも裏目に出てしまう。やっぱり人を信じることは大事、となる。そうやって犬(信じていいケース)と猫(信じてはダメなケース)の区別がつくようになっていく。

最後に、やっぱり犬は犬なんだ、と締めくくって、ストーリーは完結。

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テーマが一巡して最初のテーマに戻って完結するストーリーが多いように思う。音楽の三部形式A-B-Aとの類似性が興味深い。最初の旋律があり、その次に変化があり、最後に最初の旋律に戻る。

人間の学習には2段階あるように思う。4本足→犬、2本足→人間という学習がレベル1とすれば、「4本足でも犬じゃないものがいる」というのがレベル2。A-B-Aは、Bの例外を学習させるための形式なのではなかろうか。Aを学習し、Bを学習し、最後にもう一度Aを学習することで、AとAでないもの(=B)を区別することができるようになる

人を信じることを学んだ。人を疑うことを学んだ。それでも人を信じる選択をした。正しかった!と。

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学習で問題になるのは局所解(ローカルミニマム)からいかに脱出するか。一番低い場所を探す場合、基本的にはいまいる自分の位置よりも少しでも低い場所に移動していけばいい。でも山の向こうにもっと低い場所があっても、その方法では辿りつけない。一度高い場所を乗り越えなければならないからだ。

視野が狭い段階で出した最適解と、視野を広げた状態で出した最適解が一致しない。人間は、というよりも「予測」を行う程度には知能の高い生物は、常にこのジレンマにさらされている。

この問題を上手に処理できる生物が生きるのに有利なのだ。速く走れるとか、物を遠くまで投げられるのが生きるのに有利なように。

走ると疲れるだけなのに、なぜか楽しい。予測をしてその予測が覆され、その結果さらに広いレベルで予測ができるようになる。それが人間は楽しい。物語がフラクタル構造(いいかえれば再帰構造)になっているのも、この学習の成長=視野の広がりを反映したものだろう。

A(狭い視野)-B(中くらいの視野)-A(もっと広い視野)、この構造がスケールアップしながら繰り返されるのが、みなに親しまれるストーリーであり、人間の学習方法でもある。

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では同じ物を見て、面白いと感じる人と面白くないと感じる人がいるのはなぜだろう。

FractalNet HD - Slow deep Mandelbrot zoom


上記はポピュラーなフラクタル図形だ。どんどん拡大していくと同じ図形(円が2つくっついた雪だるまのような)が繰り返し現れる。でも場所やスケールを上手に選ばないと、それはわかりにくい。

動画の後半なんかは途中でまったく別な図形になってしまったかに見える。ところがそれをさらに拡大していくと、最初の図形がまた現れる。「ああ、やっぱりまた同じ図形が出てきた!」と。まさにA-B-Aのパターン。

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同じ作品を見ていても、実は人によって違うスケールで見ているのだろう。だから人によってA-B-Aのパターンが見えない。そもそも雪だるまの図形を基本パターンだと思って見ているけれど、それは我々がそういう形に目を奪われるからであって、見方を変えればまったく別なものが再帰して見えるかもしれない。

こんな数学的な図形でさえ、「面白く」みせるには、スケールの誘導が必要なのだ。なにを見ればいいかわからない人に、この図形のジェネレータをポンとわたして、適当な場所をクリックして拡大してみろ、といっても、その作業は全然面白くないだろう。「だからなに?」といわれるのが落ちだ。

この動画が「面白い」のはA-B-Aのパターンになるように、スケールを選んでいるから。この動画は最初に全体像を見せて、どんどん細部へと拡大していく順序だが、物語なら逆だろう。すごく局所的な場所を見せて、だんだんと視点を引いていく。主人公が旅を続けるにつれて、徐々に世界の姿が現れてくる。最後に全体像が「実はこうなってたんだ!」となって終わり。旅の最初の方で偶然出会った相棒(雪だるま)が、実は世界の秘密を握る重要人物だった、とか(笑)。

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  フラクタル - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB

にある三角形の組み合わせの図形は、比較的単純で、誰が見ても繰り返しているパターンの部分の見解は、一致するであろう。子供向けのストーリーの単純さに通じるかもしれない。

人間は成長するに連れてこういうシンプルなパターンはすぐに学習してしまい、退屈になる。なので次第次第に複雑なものを求めるようになるのだろう。

面白いストーリーとは自己相似図形のスケールの誘導が上手なストーリーであり、それはそのまま教育の姿でもある。教育者がやってるのは、「なにを見ればいいのか?」という視点の誘導なのだ。

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まあ、夕やけニャンニャンがこのパターンに当てはまるかは、よくわからないが。…と最後に最初の主題に戻ることで、オチがつき、物語は安定するわけだ。チャンチャン。


関連記事:
作品の情報圧縮は第3のタイプ

2010: A Mandelbrot Odyssey (FractalNet HD)


[info]kasumoerer 2013/02/08 01:25:43 (UTC) 犯罪者は多弁になる。

メカAGの作者、1990年生まれ石井久子の長女石井典範も、このように多弁になる。
夕やけニャンニャン、とか1980年代の流行を持ち出して偽装工作。

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