『姉妹研究会の乱 中編』 作:酒井シズエ 薔薇の館より遠く離れた生徒会本陣にて、副会長・デビルヒデ子の報告を受けたメタ女中道真理真聖生徒会会長・東堂雅子――乃理子曰くところの『行かず後家』――は思わず傍らの床机を転がして腰を浮かせた。 「トポロジー爆弾だと」 生徒会の役員服姿のヒデ子はいつものように冷静に、事実のみを伝える。 「はい。さきほど『あとらんてす』が薔薇の館直下の地中より、励起中の50ペタストリング級クライン型トポロジー増殖爆弾の反応を検出しました」 「馬鹿な。増殖爆弾はンゴロンゴ条約締結時に全て廃棄されたはずだ」 「反応に間違いはありません。いまは出所の詮索より、爆弾が臨界へ向かっている、という現実を優先させた方がよいと考えます」 まるで仇敵を前にしたかのように、生徒会長が憎々しげに副会長を睨み付けた。 「デビル。貴様いったい何様のつもりだ」 「はっ。差し出がましい発言、申し訳ありません」 ふかぶかと頭を下げるヒデ子にひとつ大きく舌打ちしてから、生徒会長はどっかと椅子に身体を沈めた。 「――臨界までどのくらいかかる」 「付近の位相子濃度から算出すると約48時間ですが、現在既に励起開始後20時間が経過しています」 「あと1日か。このことを知っているのは」 「トポロジー爆弾探知技術は我が生徒会が天文部・生物部をリードしている分野のひとつです。きゃつらの技術レベルでは爆発直前まで検知は不可能と思われます」 「もとよりあやつらなど問題にしていない。生徒会内部でだ」 「いまのところ情報部門の一部と私、それに会長だけです」 生徒会長は静かに両目を瞑り、黙想の体勢に入った。こんなとき外面とは裏腹に、その内面では凄まじい速度で思考が続けられていることをヒデ子は知っている。 「直属部隊の爆弾処理班を準備。情報部門に箝口令。生物部、天文部には開戦を早める旨の連絡。本当の事情は一切知らせるな。生徒会のセキュリティ能力が試されるぞ」 「しかし、それでは」 ヒデ子の抵抗は、生徒会長のひと睨みであっけなく潰えた。 「要は、爆発前に決着をつければよいのだ。敵の部室にメタ女すべてが消し飛ぶ爆弾が埋まっていると教えたところで、無用なパニックを引き起こすだけだろう。どの道逃げ場はない。違うか」 「……いえ、仰る通りです」 「私も不安だよ」 額を押さえて、生徒会長は意図的に表情を隠した。 「それだけの抑止力を交渉の道具に使わず、いきなり爆発させるような狂人どもが相手なのだからな。 ……もういい、行け」 「はッ」 役員服に誂えられた部靴を響かせて、ヒデ子は本陣の外に出た。日の出とともに、徐々に立ち込めていた朝霧が晴れ、豊かさなど欠片もない荒れた校庭が晒される。 (狂人は、貴様のほうさ) ヒデ子には、爆弾を起動させた誰か――恐らくは、奴らの最高機関『山百合会』のメンバーなのだろうが――の気持ちが手に取るように理解できた。実に単純な話だ。その誰かは、このメタ女という狂った世界を憎んでいるのだ。ぶち壊してやりたくて仕方がないのだ。ヒデ子と、同じように。それがわからぬ生徒会長は、既にメタ女の狂気に取り込まれている。 (だが、それは私がメタ女のすべてを支配してから、己の手によって成すべきこと) 生憎、壊すことのできる世界はひとつしかない。可哀想だが、とヒデ子は中空を見据えた。姉妹研究会、潰すしかあるまい――。 薔薇の館、正部室門より下ること壱粁の地点。生命の息吹がまったく感じられない赤茶けた大地の上、両軍が激しくぶつかり合う戦場のただなかで、田中真由美は生まれて初めて敗戦の恐怖を味わっていた。 思えばここに至るまで、あまりにも誤算が多過ぎた。作戦会議での嘆願が奏功して天文部の先陣を任されたまではよかったが、突然総攻撃の開始時刻が18時間も繰り上げられ、準備不足での出陣を余儀なくされた。さらに行軍中には落伍者が相次ぎ、敵軍との接触以前に15パーセントも戦力を削がれた。 (『姉妹』の部員は選別していた筈だったのに……) 思い出すたび、自分の甘さにほぞを噛むしかない。討伐軍編成に先立って行われた姉妹検査、通称『踏みロザリオ』により真性のスール関係保持者と認められた部員は、驚くべきことに西支部全天文部員の半数近くにのぼっていた。放逐され落ち部員となるか、姉妹の絆を断ち切って部に残るかの選択を迫られた彼女らのほとんどは泣く泣く姉妹を捨て、西支部の居残り部隊に回された。だが。 (まさか、まだあんなに隠れ姉妹がいたなんて) 私たちに、薔薇さま方は討てません――決戦を前にして、次々と泣き伏して動けなくなる部員の存在は、物理的にも精神的にもその実人数以上の深刻なダメージを自軍に蓄積させた。西支部の軍勢は、いわば戦わずして負けていたと言えるかもしれない。しかし、なにより最大の誤算は――。 「どっせい!」 反射的に飛び退いた真由美の耳元を、身の丈を遥かに超える巨大なロザリオが信じ難い速度でかすめて行く。その非常識な得物をブン回しているのは、それほど腕力があるとも思えない姉妹研究会の一般部員である。真由美もすかさず愛用の両刃剣で反撃のひと太刀を浴びせるものの、今度は素早くロザリオを盾代わりに使われてしのがれてしまう。戦端が開かれてからこちら、うんざりするほどこのパターンの繰り返しだった。 メタトポロジー技術の応用により、ある程度の範囲内で自在な形状の拡大縮小を可能にしたロザリオ。画期的な点は、拡大時に重量を据え置いたまま質量のみを見た目通りに変化させることにある。女子高生の力でも取り回しの容易な攻防一体の大質量完全撲殺凶器――それが姉妹研究会の標準装備、グレーターロザリオの正体だった。だがこの武器の真に恐るべきは、それが姉妹の絆そのものであるところだ。 「妹のかたきィーッ! 往生せいやあ!」 「ぐわっ! ……PARCに栄光……あれ……」 「第二遊撃隊、全滅です! 乃理子せんぱいとの通信途絶!」 やや離れた場所から、怒号に混じって由比の悲鳴そのものの報告が聞こえてくる。乱戦のなかでは、もはやその姿さえ確認できない。 実際、姉妹研究会の部員はそれほど戦闘訓練を積んでいるわけではない。だが白兵戦におけるグレーターロザリオの優位性と組織だった動きに加え、姉が倒れればその妹が、妹が倒れればその姉が死兵と化して絆のロザリオで仇討ちに来るその壮絶な気迫に、数で圧倒するはずの西支部軍はじわじわと陣形を崩されていた。つまるところ、姉妹研究会は予想をはるかに上回って強かったのである。 「落ち着いて上級部員の指揮に従え! 数ではこちらが勝っているわ!」 幾多の敵部員と斬り結び、周囲の味方を鼓舞しながら、真由美は少しずつ少しずつ由比の声がした方へと移動していった。敵味方が入り乱れるなかで、何故か前方にぽっかりと人のいない空間がある。訝しく思った真由美は、次の瞬間本能的に理解した。人がいないのではない。いなくなったのだ。その原因が、きっとあそこにいる。気が付くと真由美は、全身に走る戦慄の命ずるままにその空間へと駆け出していた。 果たして、そこには大鎌を携えた死神が佇んでいた。少なくとも真由美にはそのように見えた。丈長で、真黒に緑を一滴たらしたような色合いのクラシックな戦闘制服と、向こうが透けて見えるほど薄く大きな刃と細長い柄が特徴的な鎌。その主である品のよい面差しの生徒の足元には、一様にそッ首を刈られた血生臭い天文部員の屍の山が築かれていた。彼女が醸すあまりに異様な空気に圧され、どちらの勢力の部員も皆遠巻きに見守っている。 と、天文部の一団めがけて長い黒髪がゆらめき、その姿がかき消える。刹那、新たな首無し死体の屍山血河が築かれ、無人の空間はさらにその面積を広げた。一瞬で十人近い天文部員を葬った筈だが、その大鎌の刃には血糊ひとつついていない。人が、こんな風に笑えるものか。そんな凄絶極まる笑みを浮かべながら、胸に黄色い薔薇をつけた死神は言った。 「私、もっと残酷になれてよ――」 そのひとことが引き金となり、周囲の天文部員は完全な恐慌状態に陥った。戦意を失い、まるで無秩序に逃げ出していく。 「みんな、戻りなさい! 敵前逃亡は銃殺刑よ!」 必死で呼び止める真由美の言葉も、恐怖に塗り潰された部員たちには届かない。そこへ背後から勢いづいた姉妹研究会の部員たちが、雪崩を打って襲いかかった。巨大なロザリオに骨を砕かれ、肉を潰されて顔見知りの部員たちがあっけなく死んでいく地獄絵図を、真由美はただ呆然と眺めていることしかできない。 「……天文部西支部長、田中真由美さんね」 反射的に声のほうに向かって、身体に染み付いた構えを取る。死神は、どうやら今度は真由美に目をつけたようだった。 「私は姉妹研究会のロサ・フェティダです。お手合わせを楽しみにしていましたわ」 喋りながらも、少しずつ間合いを詰めてくる。凄まじいプレッシャーに耐えられず、真由美は思わず顔を背けた。 「部員の皆さんの歯応えがなくて、少々退屈していたところでしたの。どうか私を、楽しませてください」 大鎌の刃が煌き、真由美の首を刈り取った――かに見えた。だが刃の軌道上には、ひと房の髪がたゆたうのみ。 「――ね」 かろうじて、真由美は死神の初撃を見切った。しかしそれは、残酷なほどの力量の差を知らしめる一撃でもあった。 (絶対に勝てない。殺される) 半端な使い手ならすぐに刃毀れは免れない極限まで軽量化した刃をもって、針の穴のような『斬れる』ポイントに神速必中の一撃を見舞う。黄薔薇流鎌術とは、そのような決して余人には真似られぬ離れ業であった。豪腕で鳴らす天文部の部長陛下でさえ、この隙のない強さに及ぶかどうか。 出来ることなら今すぐ後ろを向いて逃げ出してしまいたい。だが西支部五千の部員を預かる長としての責任感が、真由美の心を折ることを許さなかった。ここで真由美が敗れれば西支部は総崩れとなり、犠牲者は数十倍に増えるだろう。それだけは何としても避けなければならない。 「いい表情(かお)ね。これなら楽しめそうだわ」 口調を変えた死神は、猛攻を開始した。薙ぐ、避ける、踏み込む、退く、斬る、受け流す、跳ぶ、狙う、溜める、薙ぐ、薙ぐ、薙ぐ、薙ぐ。無呼吸の激しい攻防が三十秒あまり続いたところで、遂に真由美の剣が根元から折れ、地面に刃が突き立った。 「勝負あったようね」 荒い息の真由美とは対照的に、ロサ・フェティダはまるでアフタヌーンティーを喫した後のような顔だ。やはり黄薔薇の名は伊達ではない。 「――殺しなさい」 「冗談でしょ。あなたには、死ぬまでに色々やってもらうことがあるわ。例えば」 鎌の柄でみぞおちをしたたかに突かれ、真由美の意識は薄らいでいった。 「私の妹がそうされたように、少しずつなぶり殺されるとかね」 倒れ込む真由美の視界に、一瞬だけ彼方の不毛の大地に浮かぶ薔薇の館が映った。ああ、どうして。あの部室はどうしてあんなに綺麗なんだろう。 あるいはそれは、真由美の心が造り出した幻だったのかもしれなかった。 (弱い。こんな奴らに、磨紀は) 真由美との戦闘を終えたロサ・フェティダは、しばらく目を瞑ったまま動こうとしなかった。やがて、味方に背を向けるように歩み去る。 「連れていって」 「はい!」 ロサ・フェティダ直々に命じられ、感激の面持ちの姉妹研究会の一般部員ふたりが、真由美の肩を抱え上げる。そのまま薔薇の館へ連行しようとした、その時。 「てめえら、待ちやがれッ!」 振り返った死神は、いちはやく事態を把握した。天文部員の追撃に加わろうとしていた味方部員数名が、折り重なるように倒れている。そしていったいどこから現れたのか、周りを姉妹研究会に包囲され、孤立しながら不敵に笑うひとりの天文部員の姿があった。その擦り傷だらけの命知らずな天文部員を返り討ちにすべく、五人ほどが一斉に襲いかかる。 「お前らさ、やっぱソフト百合より美少年だろ、美少年」 その言葉に、部員たちの動きが一瞬止まる。自ら創出した好機を、擦り傷だらけの天文部員――佐藤乃理子は逃さなかった。 「スキありっ!」 ガシャガシャと厚い装甲が音を立て、地面すれすれに上半身を落とした特異な構えから木刀がうなりを上げる。飛びかかっていった生徒全員がロザリオで防御する間もなく打ち据えられ、もんどり打って地べたに倒れ込んだ。その重戦車じみた外見からは想像もつかない疾さだ。 仲間をやられて気色ばむ部員たちを、ロサ・フェティダが目で制する。 「面白そうな子ね。私がお相手するわ」 乃理子の正面に進み出た死神は、威圧感の中にも余裕を漂わせて言った。 「天文部の上級部員ね。名前を聞いておきましょうか」 「西支部所属、佐藤乃理子少佐だ」 「そう。私は――」 「知ってるよ。姉妹研究会の山田花子だろ?」 途端、ロサ・フェティダの表情が凍りつき、みるみる蒼ざめていった。 「あの子、何言ってるの? 黄薔薇さまの本名は『持明院 綾乃』さまなのに」 「やっぱり天文部員って根性曲がってるわよね」 ざわめく一般部員を背に、先程までの余裕を全く失ったロサ・フェティダが問答無用で乃理子に斬りかかる。しかしその打ち込みからは、真由美との戦いで見せた鋭さが影を潜めていた。乃理子はなんなく木刀で大鎌の柄を絡め取り、鍔迫り合いの体勢に持っていく。 「妹にしか打ち明けなかった秘密を、何故」 「ばーか。入学したときの名簿見りゃ一発なんだよ。滅多に授業ないからって、名前のサバ読みすぎだぜ」 「くっ!」 ふたりを見守る一般部員からすれば、それはとても奇妙な闘いだった。ロサ・フェティダが優勢になるたび、何事かを乃理子が囁く。すると大鎌の軌跡に冴えがなくなり、一気に攻守が入れ替わるのだ。見かねた部員たちが飛び出そうとしたが、手出し無用とロサ・フェティダに拒絶された。 「そんなに知られたくないのか? 薔薇さまってのも大変だな」 「黙れ黙れ! 今すぐ喋れなくしてやる!」 闇雲に乃理子の首筋を狙って打ち下ろされた一撃によって生じた隙を、乃理子は見逃さなかった。紙一重で刃をかわし、返す刀で深々とロサ・フェティダの腹部を抉る。勝敗はあっけなく決した。 「ぐ……っ」 「今度生まれるときは、もっとかっこいい名前だといいな」 「余計な……お……世話……」 乃理子が木刀を下ろすと同時に、ロサ・フェティダは事切れて動かなくなった。 「敵将持明院綾乃、討ち取ったり!」 戦場に、朗々と乃理子のよく通る声が響き渡る。いたるところからどよめきが起こった。 「黄薔薇さま!」 「そんな、薔薇さまが討たれるなんて」 「――さあ、死にたい奴から先着順にかかって来な。割り込みも大歓迎だぜ」 今度は姉妹研究会の部員たちが乃理子の背後に死神を感じる番だった。一軍の指揮官と言うにとどまらない巨大な精神的支柱を失った姉妹研究会の軍勢はもはや戦う意思を持たず、今までの剽悍な戦いぶりとはうって変わり、各個撃破されるだけの烏合の衆と化すまでにそれほど時間はかからなかった。 「真由美! しっかりしろ」 混乱のなか、置き去りにされていた真由美のところへ駆け寄ると、乃理子は軽く頬をはたいて意識の覚醒を促した。 「乃理子……」 「おい、大丈夫か。頭は俺が倒したぞ」 「ごめんなさい……勝てなかった。守れなかった。やっぱり私に西支部を預かる資格なんて――」 「しっかりしやがれッ!」 今度は、本気の往復ビンタだった。両頬が燃えるように熱い。 「まだ戦いは終わってねえし、お前は西支部長なんだ。悩む前にやることが山盛りあんだろ」 しばらく呆然と頬を押さえていた真由美の瞳に、少しずつ力が戻ってくる。 「……そうね。そうだったわ」 戦闘制服の土埃を払いつつ立ち上がった真由美は、既にいつも通りの指揮官の顔になっていた。 「あなたにはいつも助けられてばかりね、乃理子。どうして立場が逆でないのか、ときどき不思議になるわ」 「お前は、支部長なんかで終わるタマじゃねえよ。自分じゃ気付いてねえだろうがな」 得心がいかない様子の真由美に、乃理子はにこりと笑いかける。ああ、またこの笑顔。 「スールだ何だって持ち出さなくたって、俺とお前は元から姉妹みたいなもんだろ? なんかヘマやらかしたら、また俺がフォローすっからよ」 どっちが姉かはわからねえがな、と付け加えた後、ふたりは視線を合わせて笑いあった。 「由比とはぐれてしまったの。探さないと」 「よし、そっちは俺に任せろ。まったく、手のかかる妹だぜ」 あいつは間違いなく末っ子だな、『支部長のつぼみの妹』ってとこか――と言い残して、乃理子は装甲をガチャつかせながら最前線へ消えていった。はるか前方には、白亜の薔薇の館が見える。しかしもう、真由美はその部室をそれほど美しいとは感じなくなっていた。 (つづく) |