『姉妹研究会の乱 前編』 作:酒井シズエ 「ごきげんよう、真由美さま」 建都千二百年の乱より数ヶ月前。天文部西支部長・田中真由美は校内各地で頻発する小規模騒乱の鎮圧に忙殺されつつも、それなりに穏やかな日々を送っていた。直属の部下である鈴木由比の、その言葉を聞くまでは。 「由比、あなた大丈夫?」 支部長室に入ってくるなりもじもじと頬を染めてうわごとじみた台詞を吐かれては、真由美でなくとも心配になろうというものだ。 「ずっと……ずっと真由美さまのことをお慕いしておりました。私と、姉妹の契りを結んでいただけませんか」 「え、姉妹の何ですって?」 完全に置いて行かれた真由美が目をしばたかせていると、由比はようやくいつもの調子に戻ってぷうっと頬を膨らませた。 「もう、真由美せんぱいノリ悪いんだから。そこで優しくロザリオをかけてあげなきゃダメですよう。あと『ごきげんよう』には自分も『ごきげんよう』って切り返してください」 「ロザリオって、あの切支丹の数珠のこと? そんなの持ってないわよ。だいたい、さっきから何なのそれは」 由比は幽霊でも見るような目で真由美を眺め、次いで思い切り溜め息をついた。 「せんぱい、姉妹(スール)ごっこのことほんとに何にも知らないんですね」 「スール、ごっこ……?」 先程から疑問ばかり口にしているような気がする。 「このところ校内で爆発的に流行っている、上級生と下級生が義兄弟になる風習さ。メタ女は女子高だから義姉妹か」 いつの間にか腕を組んで入り口に寄りかかっていた副官の佐藤乃理子が、顔を上げて軽い解説を入れた。いつも防御力の高い特注の戦闘制服をガチャガチャ言わせている乃理子が入ってくるのにも気付かないくらい、由比の熱演に気をとられていたらしい。 「なんでも、関東のお嬢様女子高からの転入生が、そこのしきたりを伝えたのが始まりらしいぜ」 「また変な遊びが流行りだしたものね。話を聞く限りは、特に実害はないようだけれど」 「それが、大有りなのさ」 いかにもすわりの悪そうな顔をして頭を掻きながら、乃理子が続ける。 「由比みたいに遊び半分でやってる奴らはいいが、どうも本気で姉妹の契りってヤツを結んでるのも多いらしいんだ。正確な数はわからないが、推定でざっと全校生徒の二割弱……」 「数万人規模で、そんな嘘姉妹がいるっていうの?!」 そういえば、近ごろ西支部でもロザリオをかけた一般部員の姿をちらほらと見かけるようになっていた。単なるファッションなのかと思っていたが、何たる迂闊。 「ああ。しかもめんどくせえことに、いちど姉妹になったら妹は姉の命令に絶対服従だ。そして、妹はさらに下級生の妹を、姉はさらに上級生の姉を持てる。これがどういうことか、わかるよな」 ここメタ女では、滞りなく学費を支払い在学の意思があるうちは生徒はいつまでも学生でいることができる。通常の三年制の高校ならまだしも、二十歳過ぎの女子高生も数多いメタ女でそんなことになれば――。 「組織の中に、別の小さな組織が乱立するようなもの。誰かが悪意を持ってそのネットワークを操れば、各部の命令系統はたちまちボロボロになるわね」 いたたまれなくなって立ち上がろうとした真由美の肩を、乃理子は片手で軽く押さえる。それだけで、身動きがとれなくなった。相変わらずの馬鹿力だ。 「待てよ。どうするつもりだ」 「本部に報告のうえ、通達を出すわ。ロザリオを捨てぬ者は即刻退部処分だと」 「落ち着けって、これだけデカい話なのに上が知らないわけないだろ。俺はその本部からの命令を伝えに来たんだ」 そう言って、乃理子は見るものの気持ちを落ち着かせる味のある笑みを浮かべる。思えば入部当初から、真由美はこの笑顔にどれほど助けられ、どれほど羨ましく思ってきたことだろう。 「まずは、これを見てくれ」 支部長専用の広い机の上に、数枚の写真が広げられた。それまで蚊帳の外だった由比が、その中の一枚に目ざとく反応する。 「あっ、これチグリス川の地図でしょ。夏休みに水泳部員のコと泳ぎに行きましたよ〜」 「確かにこりゃチグリス川だが、地図じゃねえ。生徒会の偵察衛星『あとらんてす』が撮った写真だ」 「生徒会ですって……?」 本部からの指令に、何故生徒会の特A級極秘戦略資料が登場するのだろう。 「その話はちょっと後まわしだ。この二枚目の写真、これは流域のクテシフォンで、三ヶ月前」 「このあたりは校庭のなかでも人の手が入っていない、荒れ果てた土地のはずだけど……」 「で、これが一週間前の写真」 拡大してあるので画素は粗いが、はっきりと確認できる。三ヶ月前には何もなかった場所に、巨大な部室とそれをとりまく二重の濠が出現していた。 「これが今回の事態の元凶『姉妹研究会』の部室――通称、『薔薇の館』だ」 「こっそりこんなところに根城をつくっていたなんて。いったい、部長は誰なの」 「薔薇の館に住む3人の『薔薇さま』とかって奴らさ。由比、あれ何つったっけ。確かロサ・キネ……キネン……」 教えるのが嬉しくて仕方がないといった風に、由比が元気よく答える。 「ロサ・キネンシス(紅薔薇さま)、ロサ・ギガンティア(白薔薇さま)、ロサ・フェティダ(黄薔薇さま)ですよう。お三方はみんなの憧れのお姉さまで、薔薇さまたちの妹になるのがまだ姉を持たない生徒の夢なんです」 「そう、それそれ。百合なのに薔薇さまってのは解せねえが、とにかくやたらとカリスマのある厄介な相手らしい」 由比が大きな湯呑みに用意したアガリをひとくち飲んでから、だがな、と乃理子は話を続けた。 「ここまで勢力を広げたにしちゃ、今のところ奴らが姉妹ネットワークを使って生徒を動かす気配はないんだ。特にどこかの部と敵対しているわけでもないしな」 「本拠地確保以上の野心はない、ということかしら」 「ああ、この間まではそう思われていた。だが奴ら、別の意味でやりすぎちまったのさ」 「どういうこと」 「さっきの三薔薇を中心に、よりにもよって独自の『生徒会』を作りはじめちまったんだ。しかも」 珍しく、乃理子の顔が曇っていく。 「ついに昨日、現生徒会に退陣を要求する『拾七ヶ条の要求』とかいう文書を突きつけてきたそうだ」 あわただしく真由美の脳裏に状況の絵図が出来上がっていく。先程の『本物』の生徒会の資料、では、あれは。 「なんてこと。じゃあ」 「そうだ。奴ら、あの行かず後家の生徒会長――東堂雅子を本気で怒らせちまったってことだ」 乃理子は、付き合いの長い真由美でさえ見たことがないほど複雑な表情でそう言った。 クテシフォンを彼方に望む小高い丘の上に、夕暮れの気配が迫っていた。斜面に落ちる、長い長いふたつの人影。 「つまらん戦だな。生徒会の落ち穂拾いとは」 ひとりは、白衣に身を包んだ知的な風貌の美女である。夕時の風になぶられてずり落ちた眼鏡を整えつつ、そうは思わんか佩譌、といまひとつの影に同意を求める。 「生物部内にもかなりの姉妹が生まれて、運営に支障を来し始めていたところです。生徒会に恩を売っておくためにも、せいぜい派手に戦ってやりましょう。それに――」 ハイカと呼ばれた背の低い魔術部員は、人の好い笑みを浮かべる。 「つまらぬ殺戮などないのではなかったのですか、花蘭様?」 白衣の美女――メタ女二大倶楽部のひとつ、生物部の部長を務める紅木本花蘭は口の端を曲げて応じた。 「確かにな。つまらん戦だが、嬲り殺しは存分に堪能できそうだ」 眼下には薔薇の館を取り囲むように、五万を超える生徒会・天文部・生物部連合軍が布陣している。眼鏡の奥の目をすっと細めてその光景に見入るうち、花蘭の右腕が徐々に人間のものから巨大で禍々しい獣のそれに変化してゆく。生物の位相を自在に操るバイオトポロジーの研究成果を、花蘭は危険を顧みず自らの身体にフィードバックしていた。 「姉妹研究会、どれほど保つと思う」 その異形を目の当たりにしても顔色ひとつ変えない佩譌へ、戯れに花蘭が問う。 「彼我の戦力差は20倍にも達しています。通常であれば半日、と申し上げるところですが――」 「ほう。こちらが苦戦するというのか」 「天文部の一部勢力は、苦戦することになるでしょう」 「他人事のように言う。お前の倶楽部だろうに」 「私の所属倶楽部は、生物部をおいて他にありません」 可笑しくてたまらぬというようにくつくつと、花蘭が笑う。 「職業病だな。二人きりの時まで偽らずともよい。仲間でいるのは互いに利用価値のある間だけ、それでよいではないか。それとも心変わりして、あの姉妹達のように手軽な『絆』が欲しくなったか」 「これは失礼を」 頭を下げ、恭しく振舞う佩譌。一連のやりとりには、うっすらと狂気が滲んでいた。 「今夜は私のテントで休んでいけ。奴らの前で、本物の百合を咲かせるのも一興だろう」 「今回は天文部の使者としてここへやって来ております。夜までに戻らねば、疑念を抱かれるでしょう」 「そうか。では、次に会うのは戦後処理の会議になるな」 「心待ちにしております」 紅に染まった世界のなかで、佩譌の小さな顎を左手でくいと持ち上げ、花蘭は全てを奪い尽くすような長い口づけを交わした。姉妹研究会総攻撃の、前日のことであった。 「ごきげんよう」 「ごきげんよう」 さわやかな朝の挨拶が、澄みきった青空にこだまする。 薔薇の館に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い部室門をくぐり抜けていく。 汚れを知らない心身を包むのは、薄い装甲の戦闘制服。 スカートのプリーツは乱さぬように、携行武装をぶつけないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。もちろん、遅刻寸前に持ち場へ付くなどといった、はしたない部員など存在していようはずもない。 姉妹研究会。 数ヶ月前に忽然とメタ女に姿を現したこの倶楽部は、もとは華族の令嬢のためにつくられたという、関東の伝統あるカトリック系お嬢さま学校の再現を目的とした倶楽部である。 ――少なくとも最初は、そのはずだった。 紅薔薇のつぼみの妹(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン・プティ・スール)である藤田美咲は、あわただしく階段を駆け上がって『薔薇の間』の扉を押し開けた。 「すいません、遅れ――」 それ以上は続けられなかった。室内の雰囲気が、あまりに緊迫していたからだ。 「裏手の守りに戦力を割くのは、得策ではないわ」 「いや、敵もそこを狙ってくる筈」 「では、正面を留守にしろというの? 話にならない」 長方形の机を挟んで、紅薔薇さまと白薔薇さまが、激しくやりあっている。その横で真剣に会議のゆくえを見守っているのは、黄薔薇さまと白薔薇のつぼみ、それに美咲の姉である紅薔薇のつぼみという豪華な面々だ。ノートPCに議事録を打ち込んでいた黄薔薇のつぼみの妹、栗原七海さんだけが美咲に気付いて、小さく手を振った。自分がオミソであることは重々承知していたので、美咲は会議の邪魔にならないよう音を立てずに七海さんの横に座った。 (白熱してるね) (ちょっと割り込めない雰囲気よね) お互い苦笑しつつ、小さな声で挨拶代わりの会話を交わす。その間も指のほうは休まず動いているのだから、七海さんはさすがだ。 「どうぞ」 そこへ給湯室から戻ってきた白薔薇のつぼみの妹、柳井沙希さんが皆に紅茶を振舞う。これで、『薔薇の間』に倶楽部の首脳と生徒会の役員を兼ねる薔薇ファミリー全員が勢ぞろいした。 「こちらから打って出るのには、私は反対だわ。戦力を消耗するだけよ」 「かといって篭部していても、ジリ貧になるだけだろう。積極的に敵の数を減らすためのアクションも必要だ」 「エリザベツ、あなた本気で言ってるの」 紅薔薇さまと白薔薇さまの激論はいつ果てるともなく続いている。あーあ、紅薔薇さまったら白薔薇さまのこと本名で呼んでるのにも気付いていらっしゃらない。退屈になってきた美咲は、じっとふたりの話を聞いている姉――紅薔薇のつぼみ、三条由利恵さまの隣に席を移した。由利恵さまは隣に来た妹にちょっと怪訝な顔をしたけれど、すぐに注意をふたりの薔薇さまに戻してしまった。お姉さまのこういうにぶちんなところを、美咲は決して嫌いではない。嫌いではないが、少し頭にきたので仕返しにそっと身体をすり寄せてみた。 (美咲……) さしもの鈍感な姉も、それで可愛い妹がかまって欲しがっていることに気付いたのだろう。黙って机の下で手を握ってくれた。 (お姉さま、来週のデートの約束、覚えてますか) (ちゃんと覚えているわ。ふたりで荒城の月湖巡り、だったわね。そのためにも、早く戦を終わらせないと) (はいっ) 麗しのお姉さまの体温をひとりじめしながら、美咲は満足げに目をつぶった。 ――そこまでが、限界だった。美咲の頬を、ふいに大粒の涙が伝う。 「どうして、幸せって続かないんだろう」 それほど大きな声というわけでもなく、むしろ囁きに近い音量だったが、その美咲のひとことで室内は水を打ったように静まりかえった。 「どうして、幸せを壊そうとする人がいるんだろう」 「だから」 それまでひとことも発言のなかった黄薔薇さまが、初めて口を開く。 「このメタ女を幸せの続く場所にするために、私たちは戦うの。いなくなった多くの姉妹と、そして」 いつもはあまり感情を表に出さない黄薔薇さまの声が、微かに震えた。 「私の妹のためにも」 全員の視線が、ひと月前まで黄薔薇のつぼみと呼ばれていた部員が座っていた席へ注がれた。そのなかでも、愛する妹、愛する姉を奪われた黄薔薇さまと七海さんのまなざしはひときわ熱い。 「この戦い」 焼け付きそうな沈黙を破って、紅薔薇さまが皆の気持ちを代弁した。 「――必ず、勝ちましょう」 (つづく) |