『ある帰宅部員の手記』
作:酒井シズエ

 私の名前は石田文子といいます。府立メタトポロジー大学付属女子高校に通う17歳で、部活は帰宅部です。本当はあこがれの乃理子さんがいる天文部に入りたかったのだけれど、新入生の入部検査で喘息持ちなことがバレて追い返されました。

 このメタ女でどこの倶楽部にも属していないのはとても辛いことです。俗に「士農工商犬猫落ち部員」と言われますが、帰宅部員の扱いは落ち部員と同じくらい酷いものだからです。まず登下校時の安全がまったく保障されません。倶楽部ごとの集団登校の輪に加われない私たち帰宅部は、最初他部のまねをして弱い者同士寄り添うように通学路を歩いて戦闘のとばっちりを受けまいとしていたのですが、じきに何の装備もない私たちが集団でいるのはむしろ危険だということがわかって、それからはみんなできるだけ人目を忍んでバラバラに歩くようになりました。実際、下校中にトポロジー地雷を踏んだ50名あまりの帰宅部集団の命が一瞬にして奪われたこともあるそうです。トポロジー探知機を持つ一般の部では考えられない悲劇です。

 授業中も帰宅部の受難は続きます。他部が各倶楽部の大会出場などを名目に授業をエスケープして校舎の外で戦闘を繰り広げている間、私たちは流れ弾の恐怖に怯えながらじっと授業を受け続けなければなりません。戦闘制服を支給してもらえない私たちの防御力はないも同然で、たった一発の中性子鉄甲弾でクラスの帰宅部員が全滅することも少なくありません。それでも、教室は外に比べればずっと安全な場所なのです。

 そんな私たちにも唯一の安らぎの時間があります。各倶楽部間で休戦協定が結ばれている昼休みです。このときだけは私も教室でお昼ご飯を食べながら、他校の高校生と同じように友達と楽しくおしゃべりしたりできます。ただここでも学食で人気のあるヤキソバパンは有力倶楽部のパシリ部員によって買い占められ、私たちの口に入るのは残り物のカレーコロッケパンだけだったりするので、心から楽しくというわけにはいきません。いちどだけ、一個だけでいいのでヤキソバパンを手に入れたいです。

 入学以来、今までに帰宅部仲間の数は半分に減りました。いちばん仲の良かったともちゃんもこのあいだ生徒会と生物部の大きな戦いに巻き込まれて行方不明になりました。生物部の新兵器の直撃をうけて遺体があとかたもなく消し飛んだから行方不明と言っているだけで、生存は絶望的だそうです。たぶん遺言を残す暇もなかったでしょう。そして先日、私の姉も、私の見ている目の前で死にました。

 ひとつ違いの姉は私と同じ喘息持ちだったので、私と同じように帰宅部でした。さっきも書いた通り帰宅部員はばらばらに行動することが多いのですが、私と姉はいつも連れだってジョージア渓谷沿いの人気のない山道を通って登校していました。私はその朝、山道の雰囲気がいつもと違うことに気付いて姉に回り道しようと言いました。でも姉は遅刻するからと取り合ってくれませんでした。仕方なしに身体に障らない程度の早足で踏み固められた赤土の道を急いでいると、崖の上から戦闘音が聞こえてきました。朝から天文部と生物部の小競り合いが起こっているようでした。私たちが顔をしかめ、いっそう歩みを早めようとしたとき、突然崖の上からふたつの人影が転がり落ちてきました。ひとりは知らない生物部の上級部員。そして、もうひとりは何とあの乃理子さんでした。ふたりは立ち上がると、私たちのすぐ側で数合の立ち回りを演じ始めました。私と姉はどうしたらいいかわからなくなって身を寄せ合い、震えながら立ちつくしていました。ふたりの剣戟があまりのスピードで攻守と場所を入れ替えるので、逃げるに逃げられなかったのです。

 そのまま十数秒経ったでしょうか。最初は互角に見えた闘いは、だんだん乃理子さんの優勢が明らかになってきました。そして、遂に乃理子さんの矛のような武器が上級部員の身体を貫いたのです──私の姉もろともに。

 明らかに事故でした。乃理子さんは余裕のないなかで私たちを気遣っていました(そして相手はそれを最大限に利用していました)し、最後の一撃を見舞うときはちゃんと私たちのいる場所を計算に入れていました。でもそのとき、姉は乃理子さんの予想外の行動──上級部員に殴りかかる──を取ってしまったのです。

「千載一遇の好機を逸するとは……無念」
「らしくないこと……しなきゃよかった」

 重なるようにふたりの遺言が聞こえてきました。上級部員が黒こげになり、くるくる回って爆発すると、それに続いて姉も煤まみれで三回転半してから壮絶な爆死を遂げました。爆発音が収まると、あたりにさっきまで姉だったものから生まれた微粒子が降り注ぎました。まるで元の形に戻そうとするかのようにその灰を空しく一掴みしてから、乃理子さんは私に視線を向けました。

「あの子のツレか」

 妹です、と答えると、乃理子さんは血が滲みそうなほどぎゅっと唇を噛みしめました。

「……すまねえ」

 それだけ言うと、乃理子さんはもうこちらを振り向かずに、部下らしき人の名前を叫びながら凄い勢いで崖をよじ登っていきました。残された私は、姉のものだか上級部員のものだかわからない煤を制服に積もらせて道端に呆然と座り込んでいました。

 ほとんど不可抗力とはいえ目の前で姉を殺されたというのに、不思議と乃理子さんに憎しみは湧いてきませんでした。いえ、少しはあったかもしれません。でもそのとき、私は姉の死という重い現実を受け入れるために、乃理子さんを理解する必要があったのです。このときまで、私は乃理子さんのことを何も知りませんでした。ちょっと下品な冗談で部下を励まし、大口を開けて明るく笑っている乃理子さんをたまたま遠くから見かけなければ、憧れることもなかったでしょう。離れた場所からは、彼女はとても幸せそうに見えました。

 でも今は違います。たった1分にも満たない出会いでしたが、今、私は乃理子さんの立っている場所と同じところからあたりを眺めることができます。明るい単色で塗り込められた、気が狂いそうなほど平坦な世界。違う色が顔を覗かせるたびに、彼女は自らの意志でその場所を塗り直してきたのです。こんなところで、と私は思わずにはいられませんでした。こんなところで、乃理子さんはあんなにいきいきと笑っていたのです。そして、いつか見た彼女の笑顔が姉と過ごした今までの記憶と重ね合わさったとき──私の頬を、とめどない涙が流れ落ちました。

 私は、いったい誰のために泣いているのだろう。姉か、乃理子さんか、それともこのメタ女の生徒すべてのためか。夕暮れどきになり、その涙がただ自分に向けられたものだったことに気付くまで、私はずっとそこに座り込んでいました。

 今日も教室の外では絶え間ない争いが続いています。色あせた数学の授業の合間にふと乃理子さんの台詞を思い出すたび、私はある不安に駆られるのです。もしかして彼女は自らを騙し仰すには優しすぎるのではないか、と。本来なら彼女は敵を倒した後、すぐに前線に戻るべきでした。もっと言えば、初めから私たちのことなど構わず戦うべきでした。私たちに割いた僅かな時間が原因で、何人かの天文部員が命を落としたかもしれないのですから。けれど、こうも思うのです。あそこで私たちに謝れる乃理子さん以外に、このメタ女に平和をもたらしてくれる人は考えられないと。

 いつか乃理子さんが仲間と共にメタ女を平定し、物流網が回復して学食に品物が豊富に入荷されるようになったそのとき──私は、いつも姉が食べたがっていて、遂にその喉を通ることのなかったヤキソバパンを墓前に供えに行こうと思っています。

(了)


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