この運動は昭和63年に始まり、のべ3500人ほどのボランティアが富士山に登り、20万個の土だんごをまきました。
その結果、大沢崩れの部分に草がはえだし、草から木へと植栽を移し、昨年は、チシマササ900株、アカエゾマツ500本、ハイマツ数十本を植えたということです。
昭和42年、時の山梨県知事が「富士山の大沢川沿いの崩壊(大沢崩れ)が激しく、その姿が変わりつつある」と発言したことをきっかけに、この大沢崩れに世間の注目が集まりました。
大沢崩れは、富士山西側の噴火口から山麓の扇状地に渡って広がっています。これは「このままでは富士山の形が変わってしまう」と思わせるほどの崩壊ぶりです。
この崩壊は1000年程前から始まったといわれ、これまでに東京ドーム150杯分(約7500万立法メートル)の土砂が流出、現在もなお、年間20万立法メートルの土砂が流出しています。
土砂の流出や、土石流の発生は大沢川の下流域に甚大な被害をもたらします。
この土石流から人びとを守るために、昭和42年から国の直轄事業として、大沢川の流域を対象に大がかりな砂防工事が始まり、これまでに140億円もの費用が投じられました。
大沢川が扇状地となって広がる部分には、土石流を溜め込み、勢いを押える様々な施設が配置されています。これはまるで港がそっくりそのまま陸地に移ってきたような施設です。
ここには、去年の11月28日にも土石流が発生した影響で今でも、土砂が溜ったままになっています。直径3メートルはありそうなテトラポットもその時の被害で、突起部がまるまる無くなり、鉄骨が無惨に曲りくねっているありさまです。
神代の昔からあったようなイメージのある富士山ですが、今のような形になったのは、縄文文化華やかりし僅か1万年前のことで、日本の山のなかでは比較的若い山です。
若い富士山は、これからどんどん谷が削られて大人の山になっていくわけですから、崩れるのもやむおえないのです。
では自然現象だから何もしないのがよいかといえば、そうでもありません。下流には人間の文明があり、生活があるからです。
最初は防災が中心であった建設省も、最近では、富士山の火口に近い源頭部や峡谷部の砂防に乗り出しました。そこに富士山に昔からある植物であるフジアザミなどを移植して崩壊を少しでも防ごうとしています。
手つかずがいいのか、手を加えても守るべきなのか。これは富士山に限らず、自然保護を語るときにかならず論じられる課題です。しかし、富士山だけは、どうしても、自然の風化作用にまかせていられない日本人の心がやどっているようです。