ニコンに対して損害賠償や謝罪広告等を求めて提訴した安氏と弁護団 (2012年12月25日 東京・東京地裁の司法記者クラブで/撮影:綿井健陽) |
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韓国人写真家の安世鴻(アン・セホン)氏が撮影したこの写真作品は、ニコンサロンの選考委員会が審議した結果を受けて開催されることになっていたが、ニコン側は「諸般の事情」「総合的に考慮した結果」という理由で突然中止しようとした。
結局、新宿ニコンサロンでは、裁判所による仮処分命令(契約に基づく施設使用)後に、「仮開催」という異様な形で展示された。
しかし、同じく大阪ニコンサロンでも予定されていた同写真展は、本当に開催中止となってしまった。
なぜ、このような事態が起きたのか、背景に何があるのか。
安世鴻氏が中止の真相と謝罪を求めてニコンに起こした損害賠償訴訟が、今年2月18日から東京地裁で始まる。
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この写真展中止を巡ってどんな動きや、"沈黙"があったのかを振り返る(全3回)。
綿井健陽 (映像ジャーナリスト/日本ビジュアル・ジャーナリスト協会共同代表)
◆一写真家に対する写真展はく奪行為
新宿ニコンサロンで予定されていた韓国人写真家、安世鴻の写真展への中止通告をめぐる動きは、「慰安婦問題を巡る騒動」ではない。「ある写真家とある企業のギャラリーとの間で起きた、写真展示をめぐるトラブル」でもない。
「写真機器メーカー・ニコンが示した、一写真家に対する写真展示はく奪行為」だからこそ、私自身は「重大問題」だと認識している。そして、「ニコンが主張する中止理由」とは、写真のみならず、映像や絵画なども含めて、あらゆる表現行為とその機会にとって、"危険"な妨害だと思ったからこそ、私はこれまで対応や発言を続けてきた。
ニコンが行ったその行為と説明は許されることなのだろうか。
それまで「諸般の事情」「総合的に考慮した結果」とだけ説明していたニコン側が、展示を中止した理由を述べたのは2012年6月10日付の書面だった。安世鴻が東京地裁に申し立てた仮処分(契約に基づく施設使用権)に対して提出した答弁書だ。
「(安氏による)マスコミを通じた政治活動が行われている」
「本件写真展も『政治活動』の一環」
「『政治性』を有することが明らか」
そして、「ニコンサロン写真展の本来の目的に合致しないことが明白となったので、展示という便宜の提供を中止することとした」と主張している。そして、「消極的には」と補足しているものの、「政治性が付加されていないこと」が、ニコンサロンの応募条件の要件として含まれているとまで書いてきた。
当初は、「右派団体による抗議活動や写真展中止を求めるネット上での書き込みが殺到したことによって、ニコンの会社上層部は中止という自粛の判断をした」というのが大方の見方だった。
ところがニコンは、中止の「理由」を、あたかも安世鴻本人の方に非があるような説明をしてきたことで、「新宿ニコンサロン中止問題」はその構図が大きく変化する。
新宿ニコンサロンで「仮開催」された写真展では、金属探知ゲートが設置されて来場者の身体・持ち物検査が行われていた (2012年6月28日 東京・新宿ニコンサロンで/撮影:綿井健陽) |
もし、ニコン側が「脅しや抗議してくる連中は気にしないでいいですよ。一緒に頑張りましょう」とでも、安世鴻に伝えて、写真展の準備をそれまで通り進めていれば、本人も周囲も対応は全く違っていただろう。ニコンが自ら決めたことを淡々と実行していれば、右派連中の抗議や嫌がらせにさらされる彼らもいわば「被害者」だったはずだ。
写真の政治性を問題にするのであれば、「すべての写真は何らかの政治性を含んでいる」としか定義できない。政治性のない写真はこの世に存在しない。それが風景写真でも、動物写真でも、防犯カメラの写真でも、どんな写真であっても、あるいはそれが映像や絵画であっても、何らかの「政治性」から逃れることはできない。単に、「特定の政治団体と関連している」「政治活動に携わっている」といったことではない。
個々の人間の内面に関わる「政治性」とその表現作品を切り離すことは不可能である。写真を撮る人、写真に映っている人や物、写真を映されたときの状況、あるいは映っていない人や物、その写真が掲載された媒体、構図、写真説明、そして、その写真を見る人まで、それらすべてに何らかの「政治性」は必ず含まれている。その何らかの「政治性」が、「ある、ない」という判断もまた、「政治的」でしかない。
ニコンサロンで展示をする写真をこれまで選んできたのは、「ニコンサロン選考委員会」(当時の選考委員は、土田ヒロミ、大島洋、伊藤俊治、北島敬三、竹内万里子の5人)だ。もし彼らが「政治性」を理由に、ある写真作品を選ばなかったとしても、それは「選考委員会が判断した結果」としか言えない。それは選考委員による「政治性」だが、そこに応募した撮影者はその選考結果を受け入れざるを得ないだろう。
しかし、安世鴻の写真は、その選考委員会が審議・決定した作品であり、それをニコンは開催1カ月前になって突如、中止を通告・発表したのである。
これこそがニコンによる何よりもの「政治的」行為であり、一写真家に対する不当な「政治的」介入でしかない。出品者を切り捨て、中止理由を無理筋で作り出し、これで右派団体の標的にならずに乗り切れると目論んだ。
もし今回の写真展が、著名な日本人写真家が撮影した作品であっても、ニコン側は同じような対応や説明をしたであろうか。相手が韓国人写真家で、かつ「慰安婦問題」が関わっているため、ニコン側は中止理由を安世鴻に押しつけたのだ。それが、今回のニコンの説明・対応で最も重い"罪"だ。これによって、ニコンは、すべての立ち位置と拠りどころを失った。(敬称略)
(続く)
◆写真家・安世鴻氏 写真展とインタビュー(動画・6分)大阪
◆写真家・安世鴻氏 写真展と記者会見 ニコンへの抗議文書手渡し(フル動画・58分)大阪
~この記事は、2012年9月に発売された『検証・ニコン慰安婦写真展中止事件』(産学社 / 新藤健一・責任編集)からの転載です。
【関連リンク】
http://sangakusha.jp/ISBN978-4-7825-3347-5.html
http://www1.odn.ne.jp/watai/Nikonsalon-kougi20121005.pdf
http://juju-project.net/nikonsosho/