熱血!与良政談:「未来志向」という前に=与良正男
毎日新聞 2013年02月06日 13時26分(最終更新 02月06日 13時26分)
「首相の意気込みとは裏腹に、連立与党内の歴史観の違いは覆い隠しようがない」「今回の談話をアジア諸国などが、どう評価するかは不透明と言わざるを得ない」−−。
1995年8月15日。当時の自民、社会、さきがけ連立内閣が閣議決定して村山富市首相が発表した戦後50年の「村山談話」について、私はこんな懐疑的な解説を書いた。
談話には「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とあり、先の大戦を反省し、明確に謝罪する、踏み込んだ内容ではあった。
しかし、談話発表前には自民党閣僚の一人が「侵略かどうかは考え方の問題」と発言してアジア諸国の批判を招き、当日も別の自民党閣僚が「閣内にある限りは批判は避けるが、それぞれの国家観がある」と語って物議をかもした。これではいくら謝罪しても口先だけで、関係国は本気だとは思ってくれないだろうと私は悲観的になって、あんな解説になったのだと思う。
残念ながら私の見通しは当たったようだ。あれから18年近くたっても歴史認識問題は一向に決着しない。
そんな中、村山談話をずっと疑問視していたであろう安倍晋三首相が先週の国会で「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と表明した。ただし一方では「歴代内閣と安倍内閣の立場は同じだ」とも首相は語ったから、村山談話の骨格は踏襲するということなのだろう。だとすれば何を目的に改めて談話を出すのか。果たして「21世紀にふさわしい」とはどんな内容を指すのか。そこがどうもよく分からない。
中国軍の「射撃レーダー照射」で日中間は再び緊張状態にある。韓国政府も韓国マスコミも、歴史問題となると今もエスカレートする。日本国内では「一体いつまで、中・韓両国に謝り続けるのか」という不満が特に若い世代を中心にさらに高まりそうだ。仮にそんな社会の空気を反映した談話になるならむしろ逆効果だ。
未来志向とは戦争の歴史を風化させることでは決してない。村山談話には「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」との一節がある。出典は「春秋左伝」。「頼るべきものは信義に勝るものはない」との意味だ。大切なのは関係国との信頼関係の構築であり、お互い言ったことは守るという信義だ。(論説委員)