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【社会】

大相撲の街 土俵消える 阿佐ケ谷 放駒親方定年で部屋ゼロに

2013年2月7日 13時57分

引っ越しを前に力士や関係者を集めて最後のあいさつをする放駒親方(右)=7日午前、東京都杉並区の放駒部屋で(北村彰撮影)

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 大相撲の放駒親方(元大関魁傑)が十六日に六十五歳の定年を迎えるのに伴い、放駒部屋(東京都杉並区)が七日、姿を消した。阿佐ケ谷地区は、花籠、二子山と合わせて一時は三部屋あり、輪島や初代貴ノ花ら人気力士を輩出したが、相撲部屋はこれでゼロに。人情で力士を支え、優勝パレードに沸いた地元の人たちからは「あまりに寂しい」と惜しむ声があがった。(竹島勇)

 七日午前、放駒部屋から転籍する力士らは同じ区内の芝田山部屋への引っ越し作業に取り掛かった。

 日本相撲協会理事長も務めた放駒親方は着物姿の力士ら十三人とともに車座になり、「これで終わりだ。向こうの部屋に行ったら、親方の言うことをちゃんときけよ。ちゃんと掃除して出て行け」と淡々と、最後のあいさつをした。

 「時が来ればこうなることは決まっていたことだ」と語っていた親方。部屋の誕生当時を「師匠の花籠親方(元前頭・大ノ海)が『おまえも阿佐ケ谷に部屋を作れ』と言われたから、『分かりました』と言うだけだった」と振り返る。JR阿佐ケ谷駅から徒歩十分ほど。国技館のある墨田区両国へは、中央線や総武線を利用して約三十分だ。「店が多くて便利で雰囲気は下町のよう。ご近所には感謝している」。今後も部屋のあった場所に住み続けるという。

 放駒部屋に所属していて、今年の初場所を最後に序二段で引退した元駒天星(こまてんしょう)の竹村裕樹さん(31)は十六歳の時、兵庫県尼崎市から上京して入門した。「東京は冷たいイメージだったが、阿佐ケ谷の人たちは人情味があった。ちゃんこ材料の買い出しに行くと、びっくりするぐらい値引きしてくれた」

 竹村さんがよく買い出しにいったのが、近くの商店街「阿佐ケ谷パールセンター」。野菜や精肉などを売る「高野青果」の田上正夫店長(58)は「お相撲さんが買い物に来ていると、びん付け油の香りで分かった。阿佐ケ谷から相撲部屋がなくなるなんてあまりに寂しい」と話す。

 和菓子店「とらや椿山」の坂井綾子さん(78)は「何年か前までは呼び出しさんが東京場所の開幕を告げる『触れ太鼓』を打ちながら練り歩いたもので、風情があった」と、昔を懐かしんでいた。

(東京新聞)

 

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